Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

ひょんなことから記憶は繋がる

駅から見えるいつもの景色


昨日、久しぶりに映画『LEON』を見た。

思い出した。
ちょうど大学受験の浪人時代

とてもとても大切な模試があった。
自分の志望校を決める最終段階の模試

時を同じくして、『Fifth Element』封切
監督Luc Bessonの舞台挨拶があるという。

それまで僕はいわゆる世界的に有名な一流の人と生で接する機会がなかった。
まぁ、接すると言っても舞台挨拶なので、【接する】というわけではないのだが。
【触れる】の方がいいのかな。

その頃、僕はまだ二つの夢の狭間で葛藤していた。
【役者】【考古学者】
どちらか決めかねている時期だった。とはいっても今思えばやっぱり役者が良かったのだろう。
だからこそ、生で触れてみたかったいわゆる一流に。
一人考えたすえ、黙って模試を欠席し、舞台挨拶のある初日封切に向かった。

初めて生で感じた彼の雰囲気は忘れる事ができない。
いわゆる<オーラ>と呼ばれるものは、自分で作るものなのか、周りの人が作るものなのか。
周りの人間が勝手に<オーラ>を作る。それを本人が還元する。
自分が<オーラ>を作る。それを周りの人間が感じ取る。
鶏と卵のようなものか・・・。

まぁ、いいや。
うん、世の中の出来事は結構、鶏と卵だったりするから。


次の日、予備校の担任の先生にこっぴどく叱られた。
もうすぐ20歳になるというにも関わらず

「はぁ・・・あなた一人だけよ、この予備校でこんな大事な模試を受けなかったのは。」
「そうですか。」
「大学に行きたくないの?」
「行きたいですよ。」
「じゃぁ、昨日は何をしてたの?」
「映画観に行ってました。」
「は・・・?映画?」
「はい。」
「・・・。!・・・・。」


それからしばらく沈黙が続いた。

「もう、いいですか?」

そう言って僕は部屋を出た。

その先生が僕の為を思っていったのか、それとも自分の管轄の生徒をしっかり管理できていないことで、周りから責められるのがイヤだったのかそれは僕にはわからない。



世の中には色んな言語でたくさんの単語がある。
たとえ同じ国の同じ言葉でもひとそれぞれ重要度が違う。

僕とその先生の【映画】という単語は意味が違った。
おそらく僕の【映画】という単語に、一番近い先生の単語は【世話】か【管理】だったんだろう。

人が自分の尺度でモノゴトを測るのは仕方がない。社会が社会の尺度でモノゴトを測るから。そして僕らは社会で生きているから。
相手のことを本当に良く知っていれば単語の本当の意味を理解する事はできるだろうけど、そこまでの関係になる過程で大切な事。

僕にとっては
【自分の尺度で相手を測らないようにすること】
を心がけること。

自分で勝手に生み出した(もしくは社会か)尺度は偏見を生む。
そんなものを土台にしたくはない。


言葉はコミュニケーションの手段でしかない。
便利だけれど、そこを真にしっかりと理解するところから
僕のここでの活動が始まるんだろうな。
異国の文化と異国の言葉を操りたいんだから。

どこまでも続く波紋。いつか消えると知りながら。


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