Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

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わすれかけていたもの。

散歩というもの


久しぶりに、ただ、<散歩>というものをしてみた。
ただ、そこいらの公園に行っただけ。
ほんの数十分ほど。

サマータイムになり、あっという間に陽が長くなった今頃は
19時でもまだ、太陽が元気いっぱいだ。


通ったことの無い道
民家の合間を縫って公園に向かう道を歩く。

たまに自分の数倍にも伸びた影で
影法師遊びなどしつつ。

気づいてはいたけれど、知らない道
見えてはいたけれど、気にはとめなかったもの。
気にはとめたけれど、何も感じず・考えなかったもの。
いっつも目につくんだけれど・・・・





今日は、久しぶりに<散歩>というものをしてみた。




ちょっとだけ、近所が違ってみえた。



目的地の公園
とは言っても、直接公園を目指せば徒歩10分もかからない。



つい先週まではこの時刻は結構、暗かったせいか
綺麗で、すがすがしい空に似つかわしくない寂しい公園


すれ違う人たちも、携帯電話片手に、下向き加減




こんなにも綺麗な空なのに。




少し胸がギュッっとなる。



公園の芝生を眺めると
なぜだか寝転びたくなる。


みんなもそうかね。
でも、別に、温かい気温ではない。どちらかというと寒い。
それでも、関係なく、寝転びたくなる。



空に向かって大の字で。
タバコ片手に。

あーあ、タバコ一生やめれないってかやめたくないなぁ。



昔からの僕のポーズ
芝生に寝転ぶ時の僕のポーズ。



寝転んでいるのに立ちくらみがするような
白く光る碧いはずの空
近く見える遠いはずの碧い空


しばらく眺めるとそっと目を閉じる。
ご無沙汰していても、どうするものかは身体が覚えている。


瞼の裏に残る空と雲
眼球の汚れを勝手に何かに例えてみたり。

そんなことをしばらくしているうちに
芝に身体が沈んでいくようなそんな感覚を覚える。
昔からその感覚が大好きだった。



昔はよく、悩んでいる時や、何かが身体にこびりついていそうな時には
芝に身体を沈めていた。まるで湯船につかるみたいに。
(奈良の石舞台らへんの芝が好きだった。何かね、太古に触れる気がして。)




身体が芝と一体化し、公園全部に広がっていくまで
身体と<自然>の境界線がなくなるまで
自分がどこまで在ルかわからなくなるまで



ホント数年ぶりでないかな、この感じ。

いったん身体から魂とやら(?)が抜けてって、芝の生えた大地に広がって
目を開けると同時に凝縮されたかのようにギュッっと身体に戻ってくるまで。



戻ってきた時には、何かが少し軽くなっているような気がする。




悪いものだけにニフラム

・・・。





そう
今日は、かなり久しぶりに<散歩>というものをしてみた。



公園へ行って帰っての散歩
芝の大地へ広がって戻っての散歩

芝に広がって戻ったその後に。


P.S.
四葉のクローバー探してみたんだけど、何でかみつかんないだよね。
小さい頃は探して見つからなかったことは無かった気がするのに。
今の僕には見えなくなってしまった何かがそこにはあるのかな。

ちょうど上手い具合に悩み事がある時には対処方法まで蘇ってくるんだね。

よーできとる、人間ってのは。

- 2 Comments

関敬  

潜在で求めてたのさソイツを…人間ってのは往々にして『よくできてる』ものだぜ♪僕は煙草をやめたよ。。求めなくなったんだなソイツを…

2008/04/01 (Tue) 08:21 | EDIT | REPLY |   

Gen  

>関敬
あー。本当に。そのままソイツが必要のない日々が続くことを、ただ、祈る。

2008/04/01 (Tue) 15:07 | EDIT | REPLY |   

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