Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

【The Troll hunter(邦題:トロール・ハンター)】

The Troll hunter

どーも、こんにちは。葦沢リオです。

Leo Ashizawa一発目のブログはやっぱり、映画草子。

何か最近、ブログを書くときはいっつも映画草子か、芝居の公演かみたいなことになってきましたね。昔はもっと日常のことも書いてたんだけどなぁ。自分では、日常のことはTwitterで・・・なーんて思ってるんだけど、実際はTwitter全然触らないもんな。触りたいんだけど、僕の携帯は遅くてこんなことになってるんです。

このブログを見てくれている人はやっぱり、携帯端末から読んでくれているのかな?

んなことも気にせず、古臭いネットツールだとしてもブログだけは「長い!」と言われよーが、あーでもない、こーでもない話を延々と書いていきます。お付合い頂ける人はついてきてくださいな。

さて、今回もやっぱり映画草子なんですが、実のところ映画草子が、一番僕が出るんじゃないかなーっと。
僕がどーしてるか「元気にやってるか」、精神状態を含めた健康状態が一番良くわかるんじゃないかと思ってます。
たとえば忙しい過ぎたとしても、健康な精神状態であれば、ちゃんとブログ更新するはずだしね。


僕も実際に多大なる恩恵を受けているオンラインの世界にはいろんないわゆるソーシャル・ネットワーク・ツールが溢れてます。あれやこれや、人と人が繋がるために、少しキャッチーなそして便利なツールを生み出すことに必死。だから生き残り競争もすごい。

その中でも頭一つ異常抜きんでてるTwitterやらFacebook、最近になって日本人の友達がいっせいにFacebookに登録しだしてる。Mixiは閉鎖的だったし、個人を特定しにくかったし。その反動か、この過去数ヶ月本当にすごい勢いです。

オンライン上でのコミュニケーション僕はこれを2Dコミュニケーションって呼んでるんですが、広がりが激しいですね。そして、残念ながらフィジカルな3Dコミュニケーションが減っているにも関わらず、人は人と繋がっていると勘違いする。


昔のように、他界以外にも今生の別れがあった頃は、二度と会えないからこそ、
約束や誓いが、その人との本当の繋がりが存在した。


それと同じことだと思うんだけど、こないだちょっとだけ大昔の恐竜映画を見たんです。ストップモーション・アニメーションはやっぱりいいなぁ。リアルなの、CGよりも。CGが当たり前じゃなかった頃はCGの方がリアルだったのかもしれない、でも今は血肉の通ったストップモーション・アニメーションの方がリアルに感じる。


人臭さがなくなってしまったんでしょうね。


ヘルニアで日本に滞在中、志明院に訪れた際、住職さんがおっしゃってました。

「今でも<もののけ>が出るんですかとよく聞かれますが、<もののけ>は<物の気>です。ここは<(人の気)ひとのけ>が少ない分、<もののけ>を感じやすいんですよ。」


今回IUGTEで、オーストリアでの出会ったカナダ人のピアニストであり、映画音楽の教授でもあるロスも言っていました。

「昔の古き良きハリウッド映画は、オーケストラがアフレコ時に映像を見ながら音楽を奏で、それを録音してたんだ、だからたくさんミスもあったし、露骨に演者が感情移入をしてピッチが上がったり、下がったり・・・映像と音楽を結びつける接着剤は人だった。今はオーケストラが演奏したものを機械をつかって、映像に貼り付けているだけだ。残念でならない。」


ゴッホも言っていました。

「写真に写った像というのはまるで死人のように冷たい。しかし肖像画というものは、画家の心を映し出しているので絵自体が生命をもっているのだ。決して機械に出来ることではない。<ファンゴッホ書簡全集>





.....さて、映画草子、徒然と・・・

【The Troll hunter(邦題:トロール・ハンター)】
Directed by: André Øvredal
Written by André Øvredal
Produced by: Sveinung Golimo/ John M. Jacobsen

Starring: Otto Jespersen/ Hans Morten Hansen/ Tomas Alf Larsen


昔からどうしてもこういうUMAモノや恐竜モノから個人的趣味を外すことができなくて、どーしても観に行ってしまいます。
そして観終わった後だいたい、個人的趣味的観点君(略:コシュカン)と役者的批評観点君(略:ヤヒカン)が大バトルを繰り広げることになります。

コシュカンが囁きます、左耳元で
「やっべー、トロールやっべー、でかっ、うわぁ、次どんなん出てくるんやろ、いたらいいのになぁ。冒険冒険!」

ヤヒカンが囁きます、右耳元で
「科学的観点とドキュメンタリーを融合させたちょうどこういう映画はこっちにこないといけないんだな。もうこのジャンルもこれで終わった方がいいだろうね。ただ、映画でやらずテレビでやった方が悪戯心満填で、ジャンルとしても面白いのにな。」

そして、総合点は・・・・となるわけではないんですね。

というのもヤヒカンがほめればほめるほど、コシュカンのテンションはあがっていくわけです。コシュカンは基本的に馬鹿だから、ヤヒカンが持ち上げれば持ち上げるほど、ウハウハになるわけです。といって、ヤヒカンがコシュカンに「おい、この映画面白いぞ」って話かけるわけではないんです。ヤヒカンとコシュカンは「カン」で繋がってるので、勘でお互い感じることができるわけです。

この勘、これが一番大事で、勘は経験と本能が導き出す最善策なので、個人的にも僕は理屈でない勘をとても信じてます。

このようなヤヒカンとコシュカンの相互作用が働き、その作品が一体全体、僕にとってどうなのかってことになるわけですね、ハイ。

ドキュメンタリーで一番大切な事は、台本があるように見えないこと。
見えちゃ駄目でしょ、見えちゃ。あるってわかっててもさ。

もっと大切なことは人臭さがそこに存在すること。

鼻をつんざくような、人臭さがドキュメンタリーには存在すべきでしょう。

ドキュメンタリーちっくはドキュメンタリーじゃない。
でも、人臭さで、ドキュメンタリーちっくは本当にドキュメンタリーのように見えるはず、ブレア・ウィッチ・プロジェクト、臭かったじゃない。



僕らは黄身のない卵にならないよーに。いろんな形や色んな大きさ、色んな色の殻が売っていて。着せ替え人形のように僕らは殻を使ってく。

白身の部分は殻を選んで、殻と接して、殻を楽しんで。気が付けば黄身のことなんて考えなくなってる。だって、中にあるんだもん、どーせ外からは見えないんだもん。でも、黄身のない卵なんて、美味しくないし、黄身がなきゃー、成長もできないもんね。


大切なものはいつも見えないところにあるから大切なんだら。


海外生活ブログ イギリス情報へにほんブログ村 演劇ブログへにほんブログ村 演劇ブログ 役者へにほんブログ村 演劇ブログ 海外演劇へ

0 Comments

Add your comment