Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

TYRANNOSAUR

Tyrannosaur

最近は週一のペースで書けてます。

今日は、あえて映画草子だけを徒然と・・・。(必見です)

【Tyrannosaur(邦題:ティラノソー)】

衝撃的なシーンから始まる物語。妻を亡くし、仕事も無く、飲みにあけくれ、突発的な暴力衝動に襲われる男。
キリスト教徒でチャリティーショップを運営しながらも、家庭に問題を持ち、生の理不尽さを受け入れることが出来ない信心深い女。

メディアに取り上げられるような社会、地域が孕む問題を一つの作品の中に凝縮させ
そして、リアルにそれを反映している作品。これは誇張のようで誇張はなく、嘘のようで、本当の出来事。

監督・脚本:Paddy Considine
キャスト:Peter Mullan/ Olivia Colman/ Eddie Marsan/ Paul Popplewell/ Ned Dennehy/ Sally Carman


どんな人間にも確実に潜む凶暴性

短かろうが、長かろうが、どれだけ沈黙を保っていた火山ですら
活火山である以上、噴火する可能性があるように、

知らず知らずに日々感じているストレスが
知らず知らずのうちに個々の容量を超えた瞬間
人も暴発する。

どんな些細な日常での出来事も、人の奥底に眠る凶暴性を
抉り出す可能性を持っている。

ただし、凶暴性と暴力を持っている人間だからこそ、
穏和に人を愛することができるのだと思う。

どちらか一方のみが存在するなんてことはありえない。

問題はその存在を認めることができるか、
そして共存することができるのか。

ティラノサウルスとは『暴君のように凶暴な爬虫類』という意味である。

爬虫類は陸上で初めて生活を始めた原始の生き物。
その中でも暴君の名を与えられたティラノサウルス。

6500万年前に絶滅したと思われていたと思われていたティラノサウルスは
人の心の中に姿を変えて存在しています。

地球上に約2億年間存在した恐竜、まだ600万年程度しか存在していない人類
食べるために日々、生命活動を行っていたしていた彼らと、
ゆき届きすぎた社会福祉によって労働(生命活動)をせずとも食べることができる我々。

果たして、生命体として暴君なのはいったいどちらなのか。

人は食べるためだけに、労働が必要なわけではないだろう?

人が人であるために、労働が必要なんだろう?


労働をせず生きる人間が果たして生きているとは言えるのだろうか。


ゴッホが「種をまく人」のように労働をする人、風景をたくさん描いたのには理由がある。
こういう言葉を残している


「労働とは人間にとって神の契約を果たす為の崇高な作業であり、真の神とは、教会の中に存在するのではなく、人々の労働の中にこそ、存在する。」


人は寄り添い生き合っている。

人に頼り、頼られ、
人や何かに責任を与え、責任を持ち
(責任とは愛という大きな言葉から零れ落ちた欠片)

空間とその空気を共有しながら生きている。



冒頭で、男がキリスト教の祈りを聞き、涙を流すシーンがある。
キリスト教のなんたるやは、いろいろなところで語られている。


「俺は形ばかり切支丹になったと思うてきた。今でも、その気持ちは変わらぬ。だが、御政道の何かを知ってから、時折、あの男のことを考える。

なぜ、あの国々ではどの家にもあの男のあわれな像がおかれているのか分かった気がする。

人間は心のどこかに生涯共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬもの-たとえ痛みほうけた犬でもいい-求める願いがあるのだな。

あの男は人間にとってそのようなあわれな犬になってくれたのだ。」
 遠藤周作『侍』


宗教とは言うものの、キリスト教徒でなくとも、環境がそうであれば、

祈りの言葉は母親の子守唄や、寝床に入ったふとんの上から撫でてもらうような
そんな暖かなぬくもりを与えるものなんだろう。


信仰とは関わり無く、もっと人の奥底をさするような。

そして、爆発しそうな凝縮された暴力というエキスを薄く溶かし、蒸発させるような。



海外生活ブログ イギリス情報へにほんブログ村 演劇ブログへにほんブログ村 演劇ブログ 役者へにほんブログ村 演劇ブログ 海外演劇へ

0 Comments

Add your comment