Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

コミュニケーション

珍しく暑い夏日に、自転車で細いカナル(運河)沿いを走っていた。

左側を爽快に走っていると、上半身裸のおっさんが前からジョギングで迫って来た。

僕はおっさんを避けようと、右側に寄ろうとしたが、僕の後ろをもう一台の自転車が走っていて、今か今かと抜くタイミングを見計らっていた。それを後ろめで確認しつつ、右側に寄ろうにも、僕が走る左側は運河沿いの砂利道、草原側の右側はコンクリート道。砂利道とコンクリート道には若干の段差がある。その段差はある程度の角度タイヤが侵入しないと、自転車のタイヤがコンクリート道に乗り上げることができずこけてしまう。そのタイミングを見計らいつつ、ちょっと不思議とボーッとしてしまったら、目の前におっさん。

もちろん、急ブレーキをかけ、よけたもののおっさんにちょっとぶつかってしまった。

僕は自転車だ。

おっさんはランニング。

おっさんの方が弱だ。(自転車対歩行者という意味でね。)

僕は左側を走っている。

おっさんは左側を走っている。

ここは左側車線のルールだ。

「Sorry」という僕。

両手を広げお前は何をやってるんだのアピールに舌打ちのおっさん。

こーいうおっさんの感覚に頭がクラクラする。

役者という業種からか、僕は自分と会話する事が多い。

自分に質問したり、自分中にいる彼とよく話をすることが多い。彼は、的確な回答をくれる。僕が認めたくないことも、認めるようにしむけたり、時には後押ししてくれるときもある。彼の存在にはとても感謝している。


最近、人とあって話すと感じることが多いけれど、自分の中に誰かがいなかったとしても、少なくとも自分と会話はできるはずなのに、それをしていない人が多い。氾濫するエンターテイメントのせいで、外とのコミュニケーションに忙しくて、内とのコミュニケーションが圧倒的に不足している人が多い。


つい先日、役者仲間のニコス・プルサディニスと飲みながら話をしていた。
ギリシア悲劇『Antigone2012』で共演してから、仲良くしてる役者仲間だ。

オリンピックはギリシア発という演出家ジョージの情熱のもと、オイディプスに関わる5作品をこのオリンピック期間に公演している。僕は、過去にそのうちの4作品に出演したものの、今回は映画の撮影も控えているので、出演はしなかった。


ニコス「最近さ、なんかズレてんだ。」


リオ「俺もそー思ったんだよ。」


以下「二」「リ」


二「【エレニの旅】を撮影してた時、監督から突然言われた。「明日が絶好の天気だ。スコットランドで撮影するから、いますぐ飛んでくれ。」で、俺はスコットランドに飛んだけど、大雨の天気で撮影は中止、何もせずギリシアにとんぼ帰り。でも、その後監督は言った。「うん、これでよかったんだ。」って。わかる?」


リ「わかる。」


二「そーいうことだしょ?」


リ「そー。」


二「この話したんだみんなに。でも、みんなわかんないんだ。」


リ「残念だね。」


二「残念だろ。例えばさ、カメラってさ生きてて自分が良い芝居するとこっちに向くんだぜ。」


リ「いいねー、そういうのいいね。俺らがズレてんじゃないと思うよ。」


二「うん、わかってる。」




先日、コシノミチコさんが言ってました。
「もーね、姉達がいないところはロンドンしかなかったのよ。」


足の裏から紐みたいなものを突き刺されて頭から突き抜けてそれを天井にひっかけて吊るし上げられている気がした。
目の前がぐわんぐわんしていた(酔ってたからじゃないよ)。


荻原朔太郎さんの『虫』という作品がある。

”私”はふと「鉄筋コンクリート」という言葉を口にした。「テツ、キン、コン」という3シラブルの押韻に最後に長く「クリート」と曳く。そこには秘密に表象している哲学的、神秘な謎が存在しているのだ。骨組みを鉄筋してコンクリート建ての家、以上に本当の意味が存在する。・・・そう、それは「虫」なのだ。それがなぜ「虫」であるか、ここで説明する意味は無い。

例えば、この本を実際に読んだところで、何のことかまったくわからない人が増えてきてんだと思う。


クセなんだよね、クセ。

クセにしないと。

世の中には怠け者か働き者のどっちかしかいないのだ。

で、世の中は怠け者をつくってしまうような風潮になってしまってるのだ。

外部とのコミュニケーションに忙しい人は怠け者になってしまうのだ。

内部とのコミュニケーションに忙しい人は働き者に必然的になるのだ。

そして、働き者じゃないと、なーんにもならないのだ。

働き者が怠けるから、いいものが生まれるのだ。


ちょうど昨日、テレビで松本大洋さんのテッコンキンクリート(映画版)が放映されていた。
ちゃんと、日本語で英語字幕だ。こーいうところがイギリスは素晴らしい。
ちゃんと、働き者なのだ。


町中にあふれるふわっふわ浮いてる人。

ひどい人は言葉を意味付けられない。「175cmです。」すらちゃんと言えない。

「ひゃくななじゅうごせんちです」この短い14文字の言葉ですらふわっふわしてる。


働き者はちゃーんと地に足がついているから、
ふわっふわしてないんだもんね。


どうしてふわっふわな人たちがいっぱい増えて来ているかも知っているし、
どうしたら、このふわっふわな人たちがちゃんと地に足をつけることができるかも知ってる。

でも、言ったところで実践しないだろうし、
別にふわっふわでも害はないものね。


ただ、何かにむかって突き進みたい人は絶対に働き者にならないと駄目だ。
ふわっふわで進めるほど世の中は甘くないんだから。

オリンピックで思ったほどの特需効果が期待できなかったイギリス。
イギリスに夢をいだいてやってくる日本人。


人間よ、働き者になれ!


久しぶりに雑記をかきました。あー、こーいうのもいいなぁ。
ではでは、今度はまた映画草子か舞台草子でお会いできればとおもいまーす。

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