Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

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SKYFALL

Skyfall

こんにちは。葦沢リオです。

All That Remainsの撮影第二弾はまだ始まっていません。もちろん、プロダクションでは日々、ポストプロダクションとよばれる編集やCGIワーク、もちろんその他まだ撮影していないシーンに切磋琢磨です。たくさんのキャストが登場する長編映画は色んな意味で時間がかかりますよね。その間僕は、自分のやれることで地道に作品に協力しています。

少しずつですが、写真や映像を公開していますので、楽しみにしていてください。
ここでも、第二弾撮影が始まり次第、撮影状況を報告しますね。

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グリーンスクリーンでの撮影は、とても不思議な感覚です。

というのも例えば舞台だと公演が始まれば、物語は最初から最後まで一貫して流れる。自分が登場するシーンは物語と平行して展開して行く。もちろん作品のタイミングで登場する必要はあるけれど、自分で自分を必要なところまで高めて入るんです。

いわゆる映画等、映像の撮影ではいかにも自分がその場に存在するかのようにセットや衣装などに臨場感があります。だから、自分を瞬発的に高めることができる。

(もちろんどちらもこんなに簡単じゃないんだけどね)

ただ、グリーンスクリーンでの撮影はなーんにもありましぇん。

グリーンスクリーンだけ。

ちなみに昔はブルースクリーンだったよね。監督にブルースクリーンとグリーンスクリーンの違いを聞いてみるとフィルムとデジタルの違いだそうです。フィルムの場合はブルースクリーンの方が後で抜きやすく、デジタルの場合はグリーンスクリーンの方が後で抜きやすい。もちろん時と場合で衣装が緑の場合はデジタルでもブルーを使ったりします。で、そんなシーンもありました。特に軍ものの衣装を着てる時には。

監督のイアンとドミニクは、独自のCGI技術を使用しているみたいなので(CGIワークも二人でやってるんですな!)、細かい事はわかりませんが、絵コンテすらCGIでした。

彼ら曰く、

「描くより早い。そして光がわかりやすい。」

(IT音痴な僕には意味がわかりません)

セットや小道具もほとんどないのに、普通の撮影ばりに場転に時間がかかります。というのも、照明にかなり力を入れているからなわけです。

そんな彼らの仕事っぷりをダイジェストでまとめたグリーンスクリーン、ビフォア・アフターが公開されているのでこのコメントを参考に観てみてくださいな。






で、どこまでそうかはわかりませんが、007はかなりの部分がCGIだそうです。

最新作、そして50周年記念の007スカイフォール。オリンピックでエリザベス女王をエスコートした殺しのナンバー00の7番目のコードを持つジェームズ・ボンド。ダニエル・クレイグが好演していますが、当初は彼も、初の金髪ボンド、さらに背が低い(決して低くないんだよ、俺からしたらさ、178cmもあるんだから、ただ歴代ボンドが平均188cmという化け物のような身長だったからさ…。)ということで最初の作品「カジノ・ロワイヤル」が公開されるまでは辛い時期を過ごしたそうです。

さらにダニエル・クレイグの007シリーズは、クリストファー・ノーランのバットマンシリーズ、これから公開されるザック・スナイダーのスーパーマンシリーズ「マン・オブ・スティール」のように、ただ派手なアクションでなく、主人公の葛藤を浮き彫りにしたいわゆる生活感のあるヒーロー作品にできています。

それにあわせたキャストもしっかりされています。

今回の007シリーズで初めて登場するベン・ウィショウが好演するQなんてもう最高です。
(こりゃ、俺の新しい英語の先生だな)






そんなこんなで映画草子、徒然と・・・。

【SKYFALL(スカイフォール)】

監督:サム・メンデス
出演者:ダニエル・クレイグ/ハビエル・バルデム/レイフ・ファインズ/ベン・ウィショー/ジュディ・デンチ



息もつかせぬ怒濤の15分、オープニングテーマまでの件はこれぞエンターテイメント本家のボンドフィルム。ただそれ以降は好みにわかれるでしょう。だってボンドフィルムですら、映画のあり方に錯綜しつつ作っていることが見えてしまうこの時代。

観客が求める物が放射線状に分散してしまっていて、作り手にとって混迷と暗黒の時代に突入しつつあるんでないかいって思ってしまったぜよ、おい。

僕ら作り手は純粋に、初心に帰らないといけないんだろうね。もちろん、初心っていっても初めの心って意味でなくて、作品が生まれるより前、作品が企画されるより前、作品を作り出そうとする意志のさらに前、んー、そうね、いわゆる原子・・・より前の、ヒッグス粒子くらいまで・・・かな。





さーて、いつもはここで歯切れのいいフレーズを差し込んでブログを終わってるんだけど、今日は何かさらにもうちょと自分の事を書こうかなって思って。教会の懺悔のように自分のブログを濫用させてもらって悪いんだけどさ(不特定多数に発信している以上、言論に責任はあるからね)

本日、11月5日で新たな年齢を迎えました。みなさん、誕生日おめでとうメッセージありがとうございました。

僕は昔から3という数字が好きでした。


「でした?」っていうと今はもう好きじゃないみたいか。英語だと、I have liked the number 3、、、I like the number 3、、、日本語って難しいな。自分の感覚的には「好きでした」の方がしっくりくるんだけどな、でも、もちろん今も3が好きなんですけど。…まぁ、いいや。


昨年の1年間は3という数字が一生で一度だけゾロ目になる33という年齢だった。自分では、かなり大切な1年でした。振り返ってみて…果たして、自分はどう生きて来たのか。


みんな好きなモノには執着心があると思う。もちろん僕もそう。


人にやりたいこと、夢を聞かれた時に、僕は幸運かな、それに対する回答を持っている。

人は決断を一瞬のきらめく感覚で導く。
何か決断を迫られた時、その答えはすでに出ていて、後はすべて後付けだったりする。

人が背中を押してくれる。
自分が自分の決断に踏み切れるだけの理由を探す。

どんな理由にせよ、上へ上へと昇ろうとする自分の生活の中という断崖絶壁の途上で、少しでも上へ昇るためにつかまなければいけない飛び出した岩は見えている。ただ、それが飛び出していてつかめる岩だとわかるのは自分だけ。



ただ、果たして上へ昇る必要があるのか?



人に聞かれることがある。

「どうやれば、やりたいことが見つかるのか。」

「何がやりたいことなのかわからない。」


答えはすべて自分の中にある。外の世界には何も拾えるものは落ちていない。


その道々に、自分を映す大なり小なりのガラスの破片が転がっている。日々の生活の中で、数多に散らばるガラスの破片。それは、眼に見えないくらい小さい破片の場合もあれば、立ちはだかる壁のような場合もある。

顔の部分だけがガラスの人もいる知り合い。

全身がガラスそのものの仲間や家族や恋人。

一生で一度だけ道ですれ違った人はミクロのガラスの破片がどこかにうまっているだけなんだろう。


果たしてそれは、単なるガラス(の破片)なのか。


ガラスは焦点をガラスに合わせると自分自身を観る事が出来るものである。

つまり、そのガラスがどんな形なのか、どれだけ汚れているのか、どんな使い道があるのか、何を映しているのか、そんなことは関係ない。

そのガラスを観る時に焦点を合わせるべきなのはガラスであって、そのガラスに映る自分自身。
純粋にそこに映っている『自分』をしかと、その眼で、観る為、のモノ、そう、そのガラス達は鏡である。


自分のやりたいことは、内へ内へ、自分の中に果てしなく広がる無限の宇宙を旅して初めて手に知ることができるモノ。


鏡を見るたびに、少しずつ内へ内へ、息の続く限り潜る。
成長するに連れて、肺活量も多くなり、内へ潜れる距離と深さが伸びてくる。


実は、やりたいことをすでに見つけている人だって、同じ悩みを抱えている。

やりたいことを見つけていない人からすれば、やりたいと望む職業を見つけている人は、自分より満ち足りた人生を過ごしているようで羨望の眼差しを注ぐかもしれない。


ただ、やりたいことを見つけている人も、幸運かな、生業が職業として見つかっているだけで、実は大差あるわけではない。


『職業』は生きものとして生命活動を維持する為に人間に与えられた手段であって、職業そのものが生きる目的にはならない。そもそも生命として生きる目的は種の保存であり、動物のカテゴリーに当てはめられた人間が社会活動として過去歴史を学べば人間という種が保存・繁栄しているのは一目瞭然だと思う。


ただ、その半物質である『職業』が一つの無形の何かになりうるのはこの普遍的な種の流動に投じられた場合のみだ。


人が思い、望むものの始まりはすべて形である。

ただ、それを望むその意志は言葉で表現できない無形のものである。

本当に『ある』もの、そのものを言葉で表現する事はできない。表現した時点で後づけになってしまう。

本当に『ある』ものは、人が存在する数だけ、ある。


その『ある』ものは、自分にしか見つける事が出来ず、普遍性の中にしか存在しない。永遠なるもの、普遍なるものを見つける事が生きることだと、そして、普遍なるものとリンクする手段がやりたいことなんだと、僕は思う。


そう、やりたいことは、すでに僕らはもっているはず。
自分ができることに普遍性を見つける事がやりたいことをみつけるより大切なこと。


自分ができる事で、変わらぬもの、永遠なものへと続く道。
やりたいことは単なる入り口なはず。


やりたいことを考える自分、自分はそこに『ある』


アバッキオが食事をするテーブルの下でガチャガチャと音がするので覗き込むと、警官が床に散らばったビンのガラス破片を集めていた。

前夜に側の歩道で強盗があり、被害者はビンが割れるほど殴られたという。警官は粉々になったガラス片を集めて指紋を採ろうとしていたのだ。

アバッキオは思わず訊いた
「犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。あんたはどう思って…そんな苦労を背負い込んでいるんだ?」。

警官は手をとめて答えた
「そうだな…わたしは“結果”だけを求めてはいない。“結果”だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな…違うかい?」。(ジョジョの奇妙な冒険)

『今にも落ちてきそうな空の下で』



11月に入ると極端に空が大地に近づく印象を受ける。世界が自分に落ちてきそうで、大地が自分の足をしっかりと支えてくれて、まるで自分が空と大地を支えている柱のように。11月は1年で一番好きなひと月だ。



スカイフォール。



まだまだ、僕は息が続かないから、内へ、内へ、深く、深く、自分の中に潜ることができない。

ただ、生きて来たこの33年間で、全身が鏡のような仲間や家族、そこら中に落ちていた鏡の破片のおかげである程度の宇宙を旅することができた。本当に感謝しています。

その感謝を糧に、今日から始まる新しい1年で、もう少し深く潜れるように、日々生きて行きたいと思います。


ありがとう。



僕は、元気でやってるよ。



みんな、元気でやってけよ。





げんきだぜー

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  • 2012.11.21 (Wed) 22:49 | まっとめBLOG速報
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