Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

LIfe of Pi

Life of Pi

新年明けてからしばらくたちました。調子戻ってきました?
3月に一人芝居の公演も決まり、もうちょっとしたら、
ギュッと気持ちを引き締めていかないと、と日々悶々としている葦沢リオです。

オフィシャルサイトをつくってからここでは好き放題言いたい放題をモットーに書かせてもらってます。

もちろん皆さんに「元気でやってるよ」「元気でやってけよ」というメッセージをもとに。

ただ、自分へのメモとしてもきちんと機能しているなって思って。思ってることは言葉にして(話して、書いて、読んで)初めてちゃんと自分の引き出しに入るんで、また今年もながーい、ながーい、読むに耐えないブログを更新して行きたいとおもっとりますので、楽しみにしてくれてる奇特な素敵な方々、宜しくお願いします!


さって、年末年始は知り合いの結婚式でボローニャにいってきました。
(お二人の末永い幸せをお祈りします。)

イタリア初上陸。

本場ボロネーゼ(ミートソーススパゲッティー)を食し、

水より安いハウスワインを楽しみ、

結婚式では飲んでくって飲んでくっての8時間を過ごし、

コーヒーのうまさに舌を巻きました。

最近イタリア人の友達が

「イタリア語ではbusy(忙しい)って単語ないんだよな」

「え?そしたらbusyな時はなんていうの?」

「busyを使ったり、仕事がたくさんある。やることがたくさんある。って表現する。」

ほっほーってなりました。

で、実際にボローニャで町を歩いてみると、
商店の人たち、働く人たちが、「生きてる」んだな。

ちゃんと地に足をついて、「働くことは生きること」になってる。

ロンドンにいる人みたいに、「働くことはお金を稼ぐことでそれが生きる」じゃない。

でも、何より一番おでれーたのは、
ちゃんと時間通りにやってくる交通機関。

イタリアンタイムって言うくらいイタリア人は時間にルーズなイメージ(俺の友達は実際そう)があったのに、なんとまぁ、バスがきっちり時刻表通りにやってくることか。イギリスの方が適当じゃーんって。

イギリスでは地下鉄が、突然、何のアナウンスもなく止まることがよくある、駅と駅の間で。

つい先日も、10分くらい止まっていました。

生粋の大阪生まれ大阪育ちの僕は例外なくイラチなんでいつものごとく、
イライラし始めていました「何で止まってるか理由くらい言えや!」と心の中で吼えながら。
(ちなみに15分以上電車が遅れると、運賃は払い戻してもらえます。)

この状況、人によっては電車のせいで時間に遅れそうでイライラするよりも
時間に遅れてしまう不安でハラハラする人もいるでしょう。
(もちろんぜーんぜん気にしない人もいる。)

イライラする人は、「遅れることはしょうがない、電車が動かないから」。
でも、動かない電車にイライラする。だって電車が動けば遅れないんだから。

ハラハラする人は、「電車が動かないことはしょうがない、どうしようもないんだから」。
でも、遅れることにハラハラする。だって遅れたくないんだもの。

反応は性格による。

この思考はまったく違うようですが、共通していることが一つある。

それはどちらも予想外・予定外の出来事に対する負の感情の起伏。

自分の予想・予定しているように物事が進まないと、
概ね人は負の感情のスイッチを無意識に入れてしまう。

入れちゃうと、理性的に収拾をつけることができなくなるから、
負の感情のスパイラルに巻き込まれてしまう。

もうおぼれちゃう・・・というのを無意識に知っているから、
前もってその可能性を消そうとできるだけコントロールしようとしてしまう。

コントロールすればするほど、負のスパイラルが発生した場合
取り返しがつかないほど、、、深くなる。



話を元に戻そう。



「何で止まってるか理由くらい言えや!」

と心で吼えた瞬間にふと思った。

停車の理由を説明するアナウンスがあったとしても、
実際に次の駅に到着する時間はかわらない。

自分の中でどう感情がうねろうが、
実際に次の駅に到着する時間はかわらない。

(理由を聞けば遅れた理由を説明できるじゃん的指摘はここでは抜きにして)
駅から駅に到着するという事実は、
その間に何があろうが変わらない。

と理性的には理解しているがイライラする。

つまり、この出来事に対してイライラ・ハラハラしているのではなく
普遍的な予想外・予定外の事象にイライラ・ハラハラしているんだね。

出来事を通じて発生してしまった予想外・予定外のふり幅によって負の感情が呼応する。
無意識に何でもコントロールしたいんだ人間は。

根源的に人が持つ側面 - コントロールフリーク。

人間が自然の一部でなくなった瞬間から
コントロールフリークは生まれました。

いや、コントロールフリークになったから
自然の一部じゃなくなったのか。

我らコントロールフリークが、我らがより心地良く過ごせる夢を見せるために作ったのが社会だから、ここから逃れるのは至難の業で。

もう人類は補完されていて、無限月読にかかっているから。

この目に見えない鎖から逃れる方法は一つ、「何をコントロールするか」を明確にすること。
無意識でいると人は高きから低きに流れる。楽を、心地良さを求め。

自分が変わることは労苦を伴うため、自分以外が変わることを望む、それもまた無意識に。

同様に、コントロールも外なる世界を対象にし、内なる自分ではない、それもまた無意識に。

実は、「意識的に」内をコントロールすればするほど、
あなたの中のコントロールフリークが昇華していく。

イライラ・ハラハラは予想外・予定外の事象によって引き起こされる。

外部起因の事象をコントロールしようとすることから発生するもの。

外なる世界の出来事は森羅万象でコントロールでき得るものではない。

理性的に考えると実は、内なる自分の方がコントロールはし易いのだ、しんどいけどね。

映画草子、徒然と・・・

【LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日)】
監督:アン・リー
原作:ヤン・マーテル『パイの物語』
出演者:タッブー/イルファーン・カーン


沈み行く船から脱出した少年は、救命ボートでトラと過ごすことを余儀なくされます。

肉食獣であるトラはもちろん少年を餌としてしか見ません。

少年は生き抜く必要があります。
一般的には何とかしてトラをコントロールしようとするでしょう。

例えば、自分が生き抜くために、トラにボートから出てもらう(=死)。
おちおち寝れないからね。



うおぅっとい・・・今日はコレ以降、ネタバレるからね、ご注意おば。



しかし、少年はトラにボートを明け渡し、自分は筏を作ります。

トラとの共存です。トラがボートで少年が筏。

筏に乗っている少年がトラの餌をとってあげます、でないとトラは死んでしまうから。

大洋のど真ん中、トラはなーんにもできない。

しかし、ついに筏生活が限界をきたした少年はトラとボートでの生活を試みます。

トラを屈服させる。しかし殺しません。

少年とトラは共にいろんなことを経験しながら生き抜き、ついには上陸します。

少年はトラのおかげで精神的に生き抜けました。
トラは少年がいたから肉体的に生き抜けました。

少年はトラとの別れを惜しみました。
トラはふりかえることすらなく森に消えていきました。





声をあげて謳われる自然保護。保護は事象をコントロールすることです。

保護するのではなく共存する。

自然と共存するという事はトラがボートで生活し、
少年が筏で生活し、少年が自分の食料とトラの餌を確保するということです。

さらに、トラを屈服させるとういうことは少年が自然に返ったということです。

そして、トラは感謝もしなければ、情の余韻も残さないことに、
少年が涙を流さず、これが平等であることを知ることです。

ただ、もし、少年が少年でなく、母親であったとしたら。
そして母親には小さな子供がいたとしたら。


それが僕らに与えられた自然共存の課題として考えるべきことでしょう。


人が真の意味で自然と共存する方法には、主体を個の体の外に置き、
自然と人間を平等に俯瞰することでしかなしえないでしょう。

これは、コントロールフリークから脱皮し、外因的事象にとらわれず、
内部をコントロールでき、社会の外に飛び出した人間のみが持つことができる能力です。

そして、すべての人間が持ちうる能力です。

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・やっべ、まっだまだ遠いなぁー。

水平線の彼方にも見えてない。

äCäOê∂äàÉuÉçÉO ÉCÉMÉäÉXèÓïÒÇ÷Ç…ÇŸÇÒÉuÉçÉOë∫ ââåÄÉuÉçÉOÇ÷Ç…ÇŸÇÒÉuÉçÉOë∫ ââåÄÉuÉçÉO ñé“Ç÷Ç…ÇŸÇÒÉuÉçÉOë∫ ââåÄÉuÉçÉO äCäOââåÄÇ÷

- 0 Comments

Add your comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。