Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

一生懸命生きるんだ。

魔女の力を失った文字通り危機に陥ったキキが(今日はこんな感じでいっちゃうよ。)
ウルスラを訪ねる。

ウルスラ「魔女ってどうやって飛ぶの?」

キキ「魔女は血で飛ぶの。」

ウルスラ「血かぁ・・・ワタシそういうの好きだな。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血・・・」

魔女は魔女としてうけついだ血で飛ぶ。

「血っていうのは親からもらったもので、才能もみんなそうで。無意識のうちに平気で使っていられる時期から意識的にその力を自分のものにする過程が必要なんですよ。」

そして、

「豪華船に乗って楽しく安全に海を渡る人もいれば、筏をこいで渡る人もいる。どうせ海を渡るなら、筏をこいだ方が後悔そのものをよく味わうことができる。」

駿さんの著作、「出発点」からの抜粋。




お久しぶりです。1ヶ月以上ぶりの更新になってしまいました。葦沢リオです。
今日はまた長くなります、覚悟してくださいませ、ませ、まーせ。


この沈黙を保っていた1ヶ月ちょっとにまたまた、たくさんの映画をみました。



World war z

ブラッド・ピットの最新作【World War Z】今までには無かった大量のゾンビが蟻のように襲ってくる、それよりも何よりも根本的な解決法が見つからないまま、いわば僕らがこの社会で行っている「共存」というものを映画の中での解決法として見せ、珍しくメッセージ性の濃いゾンビ映画になっている。ブラッド・ピットは表情で芝居しねぇーーんだよ、ホント。すっげ。




now you see me


この手の作品は、【Trance】または【Usual Suspect】のような手法をとらない限りはほころびが出でしまうんですよ。挑戦したい手法なんだけど、形にするのがとても難しい。いいところまでいったんだけど、どうしても僕は最後の最後でわかりきった望まないオチで悔しい想いをした【Now You See Me】。メラニー・ロレンは、ブリジッド・フォンダを越える僕の好きな女優さんでしたやっぱり、ヤッバイ。




Pacific rim

<kaiju(怪獣)>という言葉で現れる巨大モンスターと巨大ロボットで応戦する人類の存亡戦を今までに見た事が無いようなアングルで撮らえ、映像だけではすんごい面白い作品です。見るなら映画館をお勧めする作品、と同時にやっぱり役者という存在は本当に大事なんだという事を思い知った【Pacific Rim】くっやしいし、なっさけないっ。


先日、スピルバーグ監督が今、映画業界は新しい時代を迎えていると。映画館離れは加速し、業界は3D、IMAXなど手を替え品を替え、何とか集客にやっきになる。映画館に足を運ぶ観客も、求めるものが変わってくる。エンターテイメントの定義もそれとともに形をかえる。アカデミー賞を受賞した、スピルバーグ監督の【リンカーン】ですら、紙一重で、劇場公開ではなく、テレビ映画になるところだったそうだ。

スピルバーグのような監督の作品が、そして結果ここまでの評価を得るような作品が、まさか劇場公開すらままならない時代が、来るなど予期できたろうか。

しかし、これも僕らが望んだ結果なのだ。


少しずつ、少しずつ、時代は形をかえていく。
いや、時代という生きものはうねっていく。

大地震・大恐慌・二つの対戦という生きるのが辛い時代をテーマにした【風立ちぬ】を宮崎駿監督が作った理由は

「今が同じ時代だからだ」

そう言った。

時代はうねり繰り返し、人々に問いかける。

社会の中で生活と環境と肉体が裕福に、豊かになった僕らのこの時代には、精神面であの頃と同じ程度の辛い時代がやってくる。いや、すでに片足浸かっている状態だ。知らず、感じぬ、存ぜぬではもう、本当に豊かに生きぬ事すらままならぬ時代に、僕らは、今、いる。

しかも、知らぬ、感じぬ、存ぜぬで通じるのだ、今は。
個人が『生きる』ことが希薄になることで、社会が生き生きするのだ。


身の毛がよだつ。


個人主義が飽満となり、飽満で崩壊しそうな個人主義ギリギリのところで張りつめた社会を支えている。そのストレスを深層心理で感じた人類という共同体として、ソーシャルネットワークが登場し、今また人と人との繋がりを希薄にし、また表面だけの社会を新しい形で成長させる、崩壊に向かって。


面と向かって言えない事はいわない。言うべき事は面と向かって、苦しみながら言う。精神を鍛える環境がどんどん失われ、それでも、表現する事そのものが個のアイデンティティーとして、発言と言論の自由として、美化される。もうどうしようもない・・・ところまで来てしまった。

人が人を助け合うのではなく、寄生する。そして、寄生している事に気もつかない。助け合う事を棚に上げ、助けてもらう事を互いのものだと思い込み、自分を安心させる。


「しょうがない。」

仕様がないなら、まだ救いはある。
仕様がないではない、しょうがない、のだ。



「あきらめる」


のスラングだ。


今の人の成長は、何となく生き、いずれ悩みながら生き、だから、考えながら生きる。本来はこの先に、必死に生き、受け入れながら生き、そして、納得しながら生き、結果、最後には豊かに死ぬ。しかし、考えながら、何もせず死ぬという社会の歯車としての浪費が成長と勘違いされる。



僕がブログをかけない理由は、
書き出すとこんなことばっかり書いてしまうからだ。それも嫌になる。








先日、あるオーディションに行った。


自分では精神と肉体がグラスと液体のように共和し、最高の状態で臨んだ。


けっちょーん、けっちょーんだった。


細かくはかかないけど、自分の人間性を問いただすところまで、落ち込んだ。

役者とはなんだ。

芝居とはなんだ。

人間とはなんだ。

『なんだ』で僕はいっぱいになった。まるで、小学生のように頭の中に『?』が飛び交った。少しずつ、少しずつ一つずつの『?』を着地させる修行の最中だけど。役者は僕にとって職業だ。


『職業というのは、愛の行為であるべきんだんだ。便宜的な結婚みたいなものじゃなくて』


村上春樹さんの著作の一つの中でこのような表現がある。


生きる事は愛する事だ。


よく言われる西洋思想としての、0か100、黒か白、と言われるものがある。イギリスにいて、これは人々の生き方に根源的に根付いているものだと痛感させられる。


'Did you have a nice weekend?'
で一週間は始まる。

'What is your plan on this weekend?'
で週の真ん中を迎える。

'One more day to go! Thanks God it's Friday'
で週末を迎える。


黒と白なのだ。

オフが必要なのだ。


農耕民族に休みはない。狩猟採集民族は心身を注ぎ、狩りに望む。獲物を得て、次の狩りまではいかに次の狩りが成功するかを脳みそから湯気が出るほど考える。数ヶ月に一度、不定期でも豊穣と感謝で祭りを行う。


オフはない。


そもそも僕らにオフはいらないはずなのだ。
オフがいる職業は愛の行為の一環ではない。
愛の行為の一環でないならば、生きる事にはつながらない。

でも、僕らは生きをしている、息をしているのだ。
オフは睡眠だ。そして、死が永遠のオフだ。


愛の行為として選んだ僕の職業にオフはない。
それでいいと思ってる。


何に携わったとしても、一生懸命生きる事以外に、愛の行為としての職業を見つける事はできない。
探す事はできない。気づく以外に他はないのだ。

気づく為には何かに一生懸命になるしかないのだ。

昔の人は、常に何かをしている。

「おばーちゃん、ちょっと座ったら。」

おばーちゃんは座らない。

『今』の積み重ねが一生懸命生きる事だと体験から知っているからだ。

憂慮する『今』に未来は無い。

地に足をつける『今』に未来は訪れる。

動物的感覚が今、僕らが取り戻すべき一番大切なものなのかもしれない。



だから、職業で何かにぶつかった時に、『分析すべきは自分が何をしたかでなく』、『自分が誰なのか』であるべきなのだ。


人は死ぬまで自分がどんな人間なのかは結局分からない。
それをわかろうとするのが人生であり、職業はそれを助ける手段、仕様なのだ。


日々僕らがぶちあたる壁は『しょうがない』ではなく、『仕様がない』であるべきなんだ。



ここで、「賢しらに僅かな不運を見せびらかして」だけの僕だけど、
アクセス解析でわかる、僕のブログを楽しみにしてくれている危篤な素敵な人たちには、一緒に見てほしいものがあるんです。


この沈黙の1ヶ月、一番大きな出来事は僕の弟がイギリスに遊びに来た事。

一番の理解者であり、愛する弟であり、先輩であり、後輩であり、友達であり、愛人であり、血のつながった兄弟である弟。重層的にからまった人間の思考と行動を、単純な言葉で理解し合える希有な存在。

10日間ほどの滞在で、なんとまぁ、色んな事を話したか。
手刀で地球を東半球と西半球に切ったりした。
手刀で地球を切る男





楽しい時間は愛の行為である、そして、結局それは職業である。


そんな僕はもう、15年も近くも芝居をやってるのに、まーだ、職業として飯食えないんだけどね。


テヘっ。




親から受けついだ血で、何となく芝居を始め、頭を使って、遣って、浸かって、ようやく形になったモノを今、もう一度、解体する時期がきました。新しい僕を発見する為に。


before midnight

20分ほどノーカットで作品が流れる。

このご時世には珍しく、会話劇のみで物語が進む。物語、物を語る。物は人が作る。または、そこにある。結局僕らは人の中に生きている。僕らは人によって、生きている。


自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。






『元気でやってるよ。』


『元気でやってけよ。』


そのためにも


僕は『一生懸命生きてるよ。』


みんなも『一生懸命生きてけよ。』









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2 Comments

かと  

月イチ更新でもいーじゃん♪
いつも楽しみに読んでるよ
頻繁更新じゃなくても、中身が濃くて面白いよ

写真、凄いね
ギャラリーができてる(笑)

2013/07/28 (Sun) 11:23 | EDIT | REPLY |   

Leo  

>かとさん、

ありがとう。そういってもらえると、書く意欲がわいてきます!地球をきったからね、コウは手刀で。しばらくネタを考えるのに時間もかけたし(笑)

ご覧の通り、俺は元気でやってます。かとさんも元気かな。また、連絡ちょうだいな!

2013/08/14 (Wed) 20:17 | EDIT | REPLY |   

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