Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

8月が一年で一番、日本らしい。

Leo森の中


またまたご無沙汰してしまいました、葦沢リオです。


先週8月8日は映画の撮影でした。

本当に大詰めです。残すところ撮影は9月に1日だけ。

長い道のりだったけど、ようやくゴールが見えてきました。先日の撮影はテレビで活躍されているスーさん(SusanJameson)と照れ屋で笑顔が可愛いカリーサさん(Charissa Shearer)と一緒でした。

カリーサさんとスーさん


撮影したシーンはヘレンケラーが永井隆さんを尋ねる件。
ヘレンケラーシーン

相変わらずな現場の雰囲気も残すところ後1回と考えると寂しくなってくる。



撮影に関してはどんなことを話してどんなことを話してないか覚えてないから、重複してたらゴミンなさい。

バーミンガム(Birmingham)というロンドンの次に人口の多い都市(日本で言うと大阪だね。)から車で30分くらい移動した山の中にあるスタジオで撮影してます。セットはなく、すべてグリーンスクリーン。

かれこれバーミンガムにはもう、20回以上いってるけど、実は一度も街中を歩いたことはない。いつも駅とスタジオの往復。なんで「打ち上げはバーミンガムだぜ!」という噂がもっぱらなので、そこでようやく街を闊歩してやろうと楽しみにしてるわけです。

ちなみに、バーミンガムはロンドンから200kmくらい離れていて、電車では約2時間くらい。アクセントも強く、その他の地域のイギリス人からはガラが悪いような印象をもたれてる。

レッド・ホット・チリ・ペッパーの出身地でもある。

いうなれば、お笑い旋風が日本全国で巻き起こる前に、みんなが大阪人に対してもっていた印象とよく似てる。それもあってか、バーミンガムの空気はしっくりくる。

いつも朝早い電車に乗ってお昼前にバーミンガムに着き、夜遅くに着く電車でロンドンに戻ってくるようなスケジュール。日帰りの日もあれば、3,4日くらいの泊まりの日もある。

いつも電車では読みたい本を持っていったり、何かしら2時間程の時間潰す手段をもっていくんだけど、結局は、ボーっと妄想にふけっている。いろんなことが頭の中で錯綜する・・・・・・








車窓からは、地平線までまっすぐの平原に、牛やら羊やら馬やらが草をハミハミしている姿がずっと続く。

前にイタリアに行った時に、景色を妙に懐かしく思ったのは山があったからなんだな。

イングランドには山はない。
ウェールズまでいかなきゃいけない。
ウィンタースポーツしたけりゃ、スイスまで行った方が早いくらいだ。


日本人の僕にとって山のない景色というのはそれはとても綺麗だけど、どーんと明るすぎるのだ。
どうもすっきりとしすぎていて、しばらくすると飽きてしまう、そして自分の想像の世界にどっぷりつかってしまう。
山のある景色は飽きることなく、想像が膨らみ、世界の想像の中に自分がどっぷりつかっているように感じる。

春に緑が始まり、夏に潤い、秋に色を変え、冬に散り雪に覆われる。

どの季節も、僕のような季節を感じるセンスが無い人間にもわかるくらい区別がある。

人によって好きな季節は違うだろうし、僕は秋が、11月の日本が好きだ。



でも、個人的主観を抜きにして、「夏」特に8月が1年で一番日本が日本らしい季節だと思っている。



日本は国土の7割が森林で、人が住まない自然に覆われている。

この割合は驚異的だ。よくもまぁ、僕らの祖先はこんな場所に文明を起そうと思ったなと。

ある学説では世界は7つの文明から起こったといわれている。

文明の名前は割愛するけど、そのうちの文明の一つは「日本文明」と呼ばれている。世界の主要な文明には、2カ国ないしは、それ以上の国が含まれているが日本国と日本文明は合致しており、他の国は含まれておらず、他の国にも属していない。

とても特殊な形態で起こった文明であり、国家なのである。

世界で、アジアの中でも「日本人」というのがちょーっと違って見られるのはこういうバックグラウンドがあるからだろう。

そして、これは日本という自然が根っこに興った文明と国家だからこそ特殊なんだと思う。
つまり、日本の自然が特殊なんだと。

これほど、ランダムな地震を含め自然災害がすべての季節で猛威を振るう国もそうそう無い。
日本にとっての「自然」というのは概ね、森林、山、そう、緑のことだ。

この緑があふれるのは夏、気温も助け8月なのだ。


だから、僕は8月が1年で日本が一番日本らしいと思っている。


つまり、自然、国土としての日本、日本国土にとって8月は一番大切な月なのだ。


そこに住む僕たち日本人にとっても8月は特別な月だ。



Little boy(リトル・ボーイ)呼ばれたウラン新型爆弾が8月6日に広島に投下され、

Fat man(ファット・マン)と呼ばれたプルトニウム新型爆弾が長崎に投下された8月9日、

そして終戦を迎えた8月15日。



「核ってどんなもの?」

「葡萄の中に種が集まっているだろう。あんなものさ。原子核には中性子という粒と陽子という粒とがある。陽子は陽電気をもっているが、中性子は電気を持っていない。」

「原子が炸裂すると、中性子や陽子の一部がなくなって、その代わりに猛烈な力ができる。そしてそれが強い勢いで噴き出すんだ。その力で工場も家もぺしゃんこになったものさ。それから中性子なども一緒に吹き飛ばされてくる。それが人間の身体に突っ込んで色々な原子病を起こしたんだ。」
(永井隆『長崎の鐘』)



ファットマンはウランから生成された自然界には存在しないプルトニウムをエネルギーとし、火薬量もリトルボーイの1.5倍と、威力としてはリトルボーイを遥かに上回る。

しかし、市街地平野に投下された広島の方が被害は大きかった。長崎、浦上は山に囲まれていたため被害は少なかったそうだ。


そう、「山」なのだ。


日本のキリスト教は1600年頃の弾圧が元になり、隠れて信仰され続けその結果、仏教と融合し独自の進化を遂げた。日本国土の自然が隠れ蓑になったに違いない。

イギリスの有名な義賊、ロビンフッドはシャーウッドの「森」を隠れ蓑にし、民衆を助けた。

自然はそこにあるだけだが、意識せずとも僕らは寄り添っていきているのだ。

自然は人の根っこにしっかりと結びついているんだけど、僕らはそれに気がつかない。
それが有事になってようやく気づく。


長崎の被爆者救護一団は熱傷に効果がある鉱泉の湧き出る場所を本部として活動した。


二つの原子爆弾を受け、その結果日本は8月15日のポツダム宣言により無条件降伏を受け入れる。
その後マッカーサー率いるGHQの管轄の下、現代の日本の土台が出来上がった。



その一つが日本国憲法だ。イギリスには憲法はない。厳密に言うと存在はするが、記述されたものはない。
憲法は国民によって選出された政府を抑制する国民がそれぞれもつ力である。
その力をもって、日本は9条で戦争を放棄している。


国民が皆、戦争を放棄したのだ。


もちろん、アメリカ占領下で、日本国民が自分たちの意志で望んだものではないかもしれない。
アメリカがいつまでも日本を自分たちの庇護下におくために無理やり、入れ込んだ条項なのかもしれない。

とはいえ、形式上国民の総意として、戦争を放棄しているのだ。
こんな国はどこにもない。

でも自衛隊があるではないかと。直接的・間接的侵略から国民を守るために、当時政府によって組織された自衛隊。
自衛隊の所属が明らかになっていないこの宙ぶらりんな状態は脅威だという人もたくさんいる。


しかし、脅威は人の心にある。


ある山にたくさんの狼がいた。時々、人を襲う狼は結局人に駆逐されてしまった。
牙をもっているがゆえにだ。その山には雉やうさぎなどの草食動物しかのこっていない。

弘法大師はたった一人で日本中を歩き回った。

慈悲の教えを広めたがオオカミさえ食いつかなかった。

草食動物が威嚇したところで、僕らが驚くことはあったとしても、命の危機はない。
肉食動物が僕らにとって脅威なのは、命の危機があるからだ。何故か、肉食動物は武器をもっているからだ。

人間を含め動物は脅威に脆い。現代の草食動物で武器をもっているものはほとんどいないが、
恐竜時代なんて、トリケラトプスのような草食恐竜も立派な武器をもっていた。

しかし、彼らはこれを肉食動物の脅威のためにだけ持っていた。
己からその武器を使用する事はなかった。身を守るためだ。



・・・少し動物のたとえから離れよう、じゃないとリアルな食が絡むと説明がこんがらがっちゃう。



例えばアメリカの銃社会は個人に防衛と責任を与える意味では良い役割をはたしているように見えるが、社会で見ると百害あって一利ない。自己防衛という大義名分で人殺しの道具を持てるわけだ。


誰かを殺してしまい、でもそれが殺されそうだったからという理由でも成立する。




極論、「殺される前に殺してしまえ」だ。




こんな社会に平和はない。どんだけ祈ろうが来るわけがない。
平和は武器を放棄したものにこそ、始めて謳う権利があるのだ。



武器を持っている人から武器を奪おうとすることで争いが生まれる。
武器を奪うのではなく、武器を持っているその人に武器をもたせたまま、友達になるのだ。
すると友達は武器の必要性を感じなくなるのだ、それを理想論だなんていいたくない。理想は辿り着くためにあるんだし。



ナイフの一本でも持ったらもうこの勇気はなくなり、さらに木刀が一本欲しくなってくるのである。木刀をいったん手にもつと、今度は何かを殴りたくなってくるのである。闘争だの、戦争だのという騒ぎは、つまり、臆病者がやるのである。「愛」の人は、すなわち「勇」の人であり、勇の人は武装しない。武装しない人は戦わない。つまり、「平和の人である。」
(『平和塔』)



残念ながら、人は脅威に弱い。脅威が恐怖を誘い、脅威の対象を消去することで平安を求める思考が働く。

その手に武器があると、短絡的思考に陥った人の行為は単純だ。

僕らは今、自国を守る武器をもっている。
それは、政府という僕らが選んだ国を治める組織が、僕らを守る為に生み出したものだ。

その政府も人の生み出した集合体であり、時代という脅威には脆く、そしてその脅威が恐怖を誘い、短絡的行動に陥り易い。経済ではショックドクトリンと呼ばれたりするよーな状況も同じようなもんだ。

短絡的行動結果が人と人レベルの個人間であれば、良くはないけど、仕方がない。

ただ、それが政府間、国家間になると、仕方がないのレベルではすまない。

ただ僕らにはそれすらも制御する国民一人一人を代弁する力がある-憲法だ。

憲法が戦争を放棄している。



つまり、どれだけの脅威で、どれだけの恐怖が日本に蔓延し、日本が短絡的思考に陥り、右手にはマシンガンを持っていたとしても、憲法という僕ら一人一人の思いで出来上がった元気玉にグッとおさえこまれる。



人の心の弱さを踏み留める一歩がここにあるのだ。

つまり、僕らは個人は根本的に、平和を祈っているのだ。

「自衛隊の立ち位置が不明確だから。」
「日本国の本当の自立になるから。」
その他、色んな色んな正当化のような理由がたくさんあるけれど、

とどのつまり、人の弱さを救ってくれる最後の、最後の砦を崩すことより大切な理由にはなりえない。




人類は弱く脆いんだから。




深い深い自然があるにも関わらず、日本には大型肉食獣が熊くらいしかいない。
しかも、その個体数は少ないし、大型と呼べるほどの大きさでもない。


自然と寄り添って生きてきた僕たち。日本文明というほかと比べてもユニークな文明を築いてきた先祖たちは、知らず知らずとそんな風土を身体に取り込みながら生きてきた。


色んな政治的策略があったにしろ、今ある僕たち現代人にも脈々と受け継がれ、それが一つの形として生まれた戦争放棄なんだろう。





「わたしたちは、戦争を、放棄、します。」









「日本国民は、日本国の風土で、いきていきます。」




というように、僕には聞こえます。





1945年8月15日、そこから学んだ僕たちは近代とともに脱皮し、現代を素晴らしい心で羽ばたきだした。


これから、しっかりと日本国民は日本国の風土でいきていくと。





長い間、8月の日本を知らない。


僕の身体が覚えている8月は、何をしても、何もしていなくても汗が止まらない月。


僕の心に残るのは、耳をつんざくセミの声、あふれんばかりに、青々しく育った緑-山、森、林、木、湿度に凝縮されて緑色の空気がみえてもおかしくないほどの。




8月は日本国土が充実し、一番元気いっぱいな月だ。


そして、日本国民にとって、これからもずっと日本国民であることを一番誇りに思える月であるように祈ります。















・・・・なーんつーよな事を、ガタンガタン電車に揺られながら、妄想してたりすると、あっという間にバーミンガムについてしまう。原子爆弾の基礎理論を発見したのはバーミンガムの教授だ。








いっつも電車に乗る前にカフェラテを買うんだけど、飲みきれない。


一度、蓋がちゃんとしまってなかったから、座席にコーヒーをこぼしてしまったことがあった。


熱かった。すぐにティッシュやハンカチで拭いても若干の染みが残ってしまった。


横でおばちゃんはそれをじっと見ていた。



別の時に乗ったバーミンガム行きの電車。僕の座った座席に染みがあった。


その染みをみて僕はカフェラテの蓋をギュッと押さえ込んだ。


でも、あの時おばちゃんが着ていた服がどんな服だったか思い出せない。




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