Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

僕のかたち

「スポンサーサイトだけは…」
といつも思っているのですが、どうにもこうにも
ここ最近、更新の頻度が極端に落ちてしまってます。


元気でやってます。葦沢リオです。

みなさんもお元気ですか?


11月に「都会の遊牧民たち。」のパフォーマンスで5日間だけでしたが、帰国していました。

知らなかった方々。連絡もせずにすみません。ど・と・う(怒濤)になるのがわかっていたので
あえて、今回は連絡しませんでした。


数年ぶりの東京は、何もかもが真新しくなっていて僕の知っていた頃よりも外国人に対する間口が広くなっていた。

パフォーマンスは、巻上さん、三田さん、大友さんの音楽ではじまり、

鞄を使い音楽を引っ張る前半と、都会にセトルしようとするキャラクターを演じる僕らが、観客を使い音楽に引っ張られる後半に分かれ、
デバイズ・シアター(Devised theatre)と呼ばれるパフォーマンスで、台本があるわけでなく、即興芝居とアイデアから作品を作り上げていく。


僕が1人芝居をする時は従来の手法にこのデバイズを混ぜた方法で作り上げていく。


僕は良い台本をかける作家でもないし、素晴らしいアイデアをもった演出家でもない。役者として身体に鞭うって、頭から湯気を出して、精神をちょっとだけ刻んで、魂をすこーし丸くすることで、何とか1人で形になるものを作り上げているだけだ。

今回はピュアなデバイズ・シアターにイギリス人の演出家と日本人役者にスタッフで日本で公演。

少しフラフラした。今までの人生で一度も体験したことのなかった時差ボケというものも経験した。


まるで違う惑星の違う重力の中で生活しているような感覚で(ある意味そうなのかもしれないが)、僕自身の影がブラックホールかのようにどこに行くにもついてまわり、僕の全身の筋肉をあられもない力で引っ張りこむ。あれだ、小さい頃に掃除機をノズルの口をほっぺたにあてて、「コボッ」っと吸い込まれる感覚だ。


僕の等身大の影がノズルの口で全身を吸い込んでいる。いつものウォームアップをしても、何もやっていないかのように、身体が僕のシグナルを受け取ってくれない。

伝達がうまくいってない。

いつもより時間をかけて長めのウォームアップをする。ようやく伝達がうまく行く。公演最終日(イギリスに帰る前日)にようやく、すべてを普段の倍にすればいつもの状態にうまくもってけるということがわかった。



なるほど、ここはプイプイの育った惑星ズンなのだ。



そんな短い時間の中でも敬愛する先輩、友達、身内に会えたり、新しい出会いがあったことに感謝します。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。


コント赤信号の小宮さんと橘流寄席文字の橘右門さんに、渋谷の某おでん屋さんに連れて行ってもらった。

僕らのいる世界のとはまったく違う時間軸の時代の狭間にそっと存在しているような横丁にある5人くらいしか入れないけど、おでんが美味しい良いお店。

すでに3人くらいお客さんがいらっしゃったので、ぎゅうぎゅう。

なんでもちょうどNHK杯のスケートリンクをつくっていらっしゃる方々。
ちょうど大会が終わったのでスケートリンクを溶かしてきたと。

すでにベロベロに酔っ払っている女将さん、瓶ビールをついでくれるんだけど、
ほっとんどグラスにはいんない。

「女将さん、女将さん、あんたが溶けてる。」



テーブルの上を雑巾で拭く。
ぎゃははははと笑いながら、しゃべる。
豪快に雑巾をしぼる。
水がぼとぼとと足元に落ちる。


まったく気にしない。


雑巾に水を含ませる。


前後に揺れる。


テーブルの上を雑巾で拭く。
ぎゃははははと笑いながら、しゃべる。
豪快に雑巾をしぼる。
水がぼとぼとと足元に落ちる。


まったく気にしない。


雑巾に水を含ませる。


揺れっぷりも、反復っぷりもメトロノームのよう。
頭の中でカッチカッチって音が聞こえてきたようです、ホント。


おでんは本当に美味しかったです。

ありがとうございました。

そんな11月が過ぎ、イギリスに帰ってきてからというものの、映画の撮影も終わり、パフォーマンスも終了、ようやくゆっくりできると思いきや、自分ルールで決めた新しい歳を迎える条件を満たしていないに気づき、
そして焦り、追い込まれてます(もう少しなの!)。


これが終わると、ようやく、新しい年齢を(精神上)迎えて、少し心のホリデーを楽しめるかもしれません。
今回、日本に帰ったときにたくさん本を買って帰ってきたので、それを読むのが楽しみで楽しみで・・・。



それにふと気がつくと、最後に1人芝居をやってからもう2年が経ってしまいました。

色んなアイデアが浮かんでは消え、消えては浮かぶけれど、今はなんとなく、この1,2年をちゃんと咀嚼し、血肉に浸透させる必要があると思います。

どちらかというと、きっちりしてる方だけど、時には意識的にきっちりしないと。



例えば、「英語の上達は階段を登るよう」だといわれていて、右肩上がりに上達するのではなく、急に上がり、しばらくフラットで、また急に上がりを繰り返す。

何故かというと結局、聞けるようになるから、話せるようになって、話せるようになると、もっと聞けるようになってを繰り返すからだ。

この階段をしっかり登っていくには、話すと聞く以外に、書く・読むもとても大切になってくる。小さい頃から第二言語を話していればこの書く・読むがなくとも第二言語を話すことは問題にはならない。読み書きが普及していない時代もあったくらいだ。

英語に話を戻すと、この読み書きは、話せるようになればなるほど、聞けるようになればなるほど、漠然と頭の中にちらばっていた英語の破片を、一箇所に集めて、すっきり箱におさめてくれる。

その箱が踏み台になり、より高い階段を上ることができるようになるわけだ。これが逆に話す・聞くよりも読む・書くが先行すると箱をどんどん積んでしまって、箱から降りることができず、階段へ行けない。

高くなればなるほど、箱を取りのぞく作業も大変になるし、作業そのものを恐れてしまう。
この状態がおそらく、いつも問題視される日本の英語教育だ。



話を戻すと、これは僕自身、役者としての自分を見た時に同じくあてはまることだと思っているので、ちゃんと咀嚼し、血肉に浸透させ、次の高い階段を登るための箱にするという作業が今、特に必要だと思っている。


これはこれで、一日や二日でできるような手軽作業ではないので、重心を落として、グッと地を踏みしめないといけない。やるぞって。




さーて、では久しぶりの映画草子ダイジェスト。

映画草子、徒然と・・・。

【THANKS FOR SHARING】

Thanks for sharing

【キッズ・オールライト】リサ・チョロデンコ監督。マークラファロはこんな目の奥にまぁるい玉がホワっと浮いていてようやく成立するようなそんな役柄が最近は多い。依存症、特に認知度の低い性依存症を取り上げ、人の弱さと強さ、現実逃避の転嫁としての依存症の役割を優しく表現しています。





多かれ少なかれ人は必ず、何か・誰かに対して『依存』を持たずには生きれない。



【THE FIFTH ESTATE】

The fifth estate


僕自身メディア側の人間ですが、例えばニュースはヘッドラインだけでいい。人々を煽動しやすい歪められたものがメディアでは伝えられてしまう。
例えば加害者と被害者、加害者の色んな憶測や真実(?)に基づいた話が横行するけれど、本当かどうかなんてわからない。
そこにある事実は、被害者がいるということ。
容疑者が本当の加害者であるかすらわからない。何を信じるかは自分で決める。これだけ情報が氾濫する世界だからこそ。





ウィキリークスの創始者、インターネット活動家のジュリアン・アサンジを演じるベネディクト・カンバーバッチが言います。


「真実を探し求めるのであれば、自分で行動をおこさなくてはいけない。他人から真実を聞いた時点で、その真実は話した人物の知覚・見識によって歪められている。自分で見つけるのだ。おそれてはいけない。なぜなら、やつらも君をおそれているからだ。」




【FILTH(フィルス)】

FILTH


おそらく僕が今まで見た中で一番ジェームズ・マカヴォイが良い映画だと思います。
彼演じる何としてでも昇進したいアルコール・ドラッグ中毒な汚職警官。トレインスポッティングの原作者のクライムコメディー。
こういう作品を見ると、コメディーは本当にリアルなドラマにこそ存在する事がよくわかります。
僕は映画という作品の中と観ている観客のボーダーラインを曖昧にせまってくる映画は個人的に好きです。







究極の善意と凶暴な悪意はどこかで同じモチベーションから生じるのかもしれない。Same rules apply!



【風立ちぬ】




宮崎さんからは(勝手に)色んなものを頂いています。僕をちゃんと導いてもらってるつもりでいる(勝手に)。その彼の最後の作品。
映画とは映画館でみるものです。家で、一人でみるもんじゃない。観るんでなく、経験するもの。だからこそ、僕はどうしても映画館で観たかった。ヴェネツィアに行った時、ちょうど映画祭をやっていたので、観ようと試みるも実現しなかった9月。やはり、イギリスで公開されるのを来年か再来年まで待つべきなのか(しかも吹き替え…)と思っていた矢先、今回の日本の公演が決まったので、小さい劇場でしたが、映画館で観る事が出来ました。あー、嬉しかった。悲しかった。そして辛かった。僕にとても複雑な気持ちをくれた映画でした。

僕は家では常に音楽をつけているんですが、仕事をする時は映画のサントララジオチャンネルをつけています。仕事が一番捗る。そのチャンネルでもジブリの音楽はよく流れます。

ありがとう、宮崎駿さん。これからはもう少し我がままに生きて下さい。



【DOM HEMINGHWAY】

Dom hemingway



ヨーロッパで最も影響力のあるマフィアのボスの罪を被り12年間服役していたドム・ヘミングウェイ(ジュード・ロー)がついに出所する。

ジュード・ローがとても面白い役をしています。また次回話しますが、先日彼の出演するシェイクスピア劇「ヘンリー5世」を観てきました。そこでも思った事の一つに、タイミングとリズム。

ゴールデントライアングルという顔にまつわる話を聞いた事がありますか?顔面のある3点を結んだ時に導き出される数字があり、この数字をもつ顔はどの角度から観ても、美しいそうです。いわゆるハリウッドスターやモデルさん達はこれをもっているそう。

同様に、このタイミングとリズムにもおそらくこの「ゴールデン」があるんでしょう。彼や他の役者さんたちで同じ波長を感じる事があるはず。





番長は番長。学校の番長の為に罪を被ったとしても、クラスの番長であることにかわりなく、ちゃんとクラスを締める。でも、もう大人なんだ。伝説の番長は。



【GRAVITY(ゼロ・グラビティ)】

gravity


この映画、ご覧になった皆さんも多いかもしれません。今まで僕は3D映画を一度も良いと思ったことがありません。例の映画も含めて。奥行きだけに重点をおいた新しい3Dの形は映画業界の苦肉の策としか思えなかった。この映画を見るまでは。

3Dで観て良かった。いや、この映画は3Dで観るべき映画です。アルフォンソキュアロン監督は、少し変わった映像美をもった方で、たとえば【大いなる遺産】はすべて緑を基調に映画が作られている。また【ハリーポッターとアズカバンの囚人】は紫色を基調に映画が作られている。そして、この作品は生命という色を基調に作られています。

興味のある方は、映画館で3Dで絶対に観てください。2Dで自宅でみると、この体験はできません。また、この作品の評価を述べる資格すらないでしょう。





カット数と役者の数を減らし、宇宙空間に彷徨い、必死に生きようと正にしがみつく人間の背後で荘厳に美しくそこにただ「ある」地球。この美しさとむごたらしさが自然と生命関係なんだと思います。





【THE COUNSELOR(悪の法則)】

悪の法則

有能な弁護士であり、カウンセラーと呼ばれる男が、麻薬密輸に手を出したことによって築き上げて来たすべてものが少しずつ、少しずつ、最後は急速に音を立てて崩れ去って行く。

人生、生命、欲、死、リドリースコット監督のこれまた秀逸な作品。正直なところ、こういう風に起承転結が見えにくく淡々と物語が進む映画は観客が置いてけぼりになることも多く好まれない映画かもしれません。ただ、映画の王道、布石の拾い方、それぞれの役者の演技、悔しいほど映画のお手本になる素晴らしい作品です。





印象的な台詞があります。
「結局のところ、自分が生きる現実・世界は自分がつくりあげたものだ。それを受け入れず、逃げようとすると、そこに生きている人を巻き込みながら現実と世界は存在することをやめようとする。」




これはすべての人の人生にあてはまることではないだろうか?




僕はときどき、ふと気がつかないうちに歩むことをやめているときがある。両足はしっかりと地を踏みしめ、前に進んでいるつもりなのに、その場でただ有機的に腿の上げ下げをしているだけになる。

一日の生活の中に自分の夢と生活をぎゅうぎゅうにつめこんでいるから起こってしまう歪みだ。


今回日本から帰ってきた僕にまた、そんな期間があった。

そうなると、地上からは見えもしない海底火山が噴火しているように海面は穏やかに、しかし、燃え盛るマグマがとめどなく、暴れ狂うように、火山から流れ出す。あまりの高温で冷たい海水すら蒸発させながら。


ただ、いつも、色んな人の助けや、心の持ちようで、海面までマグマがたどりつくまえに、沈下され穏やかで満ち足りた生命の海にもどることができる。

今回もそうだ。


些細な一言が僕をたすけてくれる。

「感謝して、一生懸命やらないとね。」

クリスマスショッピングで疲れきった僕がフォーをすすりながら耳にした言葉だ。

何気ない時の、何気ない一言。


そうして、僕は思う。


朝、目を覚ますと僕は、自分がパズルのピースのようにバラバラになっていることに気づく。

思考や身体や気分が自分ではとりとめもない。バラバラになったパズルのピースに乗って徐々に透明に、徐々に形を失い、消えてしまう。そして、僕は世界に吸収される。

一日は時計が時を刻むように普遍的に流れて行くが、僕の奥底で座り込んでいる僕が

世界のどこかのある瞬間に姿を現すパズルのピースを一生懸命必死につかみとる。時には死に物狂いで、自分しか知らない自分に必要なピースを。

そして、徐々に徐々に僕はまた僕の形を取り戻す。そして、形を取り戻した僕は夜、眠りにつき、夢をみる。

あくる朝、目を覚ますとまた僕は世界に吸収される。そして、夢をみるために、僕は一日かけて僕の形を取り戻す。


だけど、取り戻した僕の形はもう昨日の僕の形ではない。世界に吸収され、失われた僕の形は、新しい僕の形になって僕のもとに戻ってくる。

「夢」に生きるということはそういうことだと思っている。


ありがとう。


僕は元気でやってるよ。

皆も元気でやってけよ。



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