Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

それでも夜は明ける

それでも夜は明ける


まだまだ本格的な冬が到来していないイギリス、ロンドンより葦沢リオです。みなさん、お元気ですか?楽しいお正月を過ごしましたか?僕はひっさびさのオフを満喫し、まったりしながらむさぼるように本を読んでました。

イギリスに来てしばらく経つけど、ずーっと、恋しく、そしてまだ実現できてないのが古本屋めぐりです。

いや、もちろんね、やろうと思えばできるんだよ。古本屋さんがある場所は知ってるし、目もつけてるし。
Waterloo近郊のSouth Bankという川沿い、Waterloo Bridgeの麓で週末に開かれる古本市、ブルブルってなります。

でも、問題は僕の見る目が育ってないんです、審美眼って言うのかな。

日本の本だと、表紙の雰囲気だったり、作家名だったり、タイトルだったり、古本屋の雰囲気だったり、パラパラと内容を読んでみたりで外れることはほぼありません。

その勘が英語の本だとまったくない。致命的なのは作家や有名人名がおさまってる僕の抽斗の中、空っぽなんだもの。乏しいこと、とぼしいこと。さらに、本を読むスピード。

僕が読書を本当に楽しめるようになったのは、20歳になるかならないか、だったと思う。小学校の6年間、夏休みの読書感想文は、一度読んだ「十五少年漂流記」を思い出して、書いてたくらいだから。
それでもなんだかんだで、今はようやく読むスピードと思考スピードがついてきた。


僕にとって本は暇つぶしの道具ではないので、読む時にはコミットメントが必要だと思っている。
だから、一冊の本を1週間、1ヶ月かけてゆっくり読むのは好きではなく、数日で必ず読み終える。
そして、そういうことが実現可能なちょうどいいくらいのスピードで読める、日本語の本だと。


これが英語だと、おそらくは読書を始めた頃のスピードでしか読めない。だから、数日で読み終わることはできない(いや、できるけど、他のことなーんにもできないよね。そのコミットメントはちょっときつい。)

で、そんなことしてると英語の本を読むスピードが上がらないので、英語の本をできるだけたくさん読んできたんだけど、この年末年始、そーいう枷をとっぱらい、11月の帰国時に買った本を読みあさってました。


いーんやー、楽しい。


言葉が自分の周りを囲むようにポンポン跳ね出す、こういうリズムと感覚を英語の本ではまだまだ感じ得ないので、久しぶりに新鮮な感覚だった。


先日、友達連中とご飯を食べている時に、Metroに載っていた(平日の朝、駅においてある無料配布新聞)「読んでおきたい本10選」というコラムについての話をした。当たり前(?)と思うかもしれないけど、この本すべて映画になっている。


時々、映画と原作本を比べて話をする人がいる。これは違う。



「仕事と私どっちが大事なの?」

「そんなの比べられないよ。」




「ライスとライスプディングどっちが好きなんだよ?」

「そんなの比べらんないよ。」



そう、比べられない。ライスは飯だし、ライスプディングはデザート。
同じ食事ではあるけれど、
ライスを元に作られたライスプディングなんだけど、
できあがったものは別ものだ。


仕事はとても大切だし、大切な人はとても大切だ。

ここでいう仕事ってのは会社という意味ではない。ジョブという意味での仕事だ。
ファイナルファンタジーではジョブチェンジすることはとても大変だし、ドラゴンクエストではダーマ神殿で洗礼を受けないと職業を変更することができない。


「職業とは愛の行為なのだ、便宜上としての結婚ではなく」という一節を思い出す。


残念ながら現代は生存競争がそのまま社会のシステムに組み込まれ、学校から競争し合い、より良い生存構造を勝ち取ることを目的とし教育を受ける。
それは人間だけの食物連鎖の頂点に立つ、ごく一握りの富裕層を未来永劫生かす為のシステムだ。獣類と変わらない。だけど、獣類は少なくとも生命体として、自動的にストップをかける調整装置がついている。肉食動物はお腹がいっぱいになったら目の前に格好の獲物がいたとしても見向きもしない。


「とりあえず、つかまえておいて明日食べよう。念のために。」

という発想はない。


残念ながらこの自動調整装置は人間の脳には備わっていない。その分、側頭葉に経験をつみ、情報をたくわえ前頭葉でそれを行使する。理性というやつで、自分自身を調整する必要がある。

でも、この調整装置は遺伝的気質や資質以上に環境によって育つものである。
その環境が一つ狂えば簡単にまかり通ってしまうことが世の中にはあった時代がある。

僕は、ジブリ作品「蛍の墓」がもう観れない。観れなくなってしばらく経つ。ある時からまったく観れなくなった。あまりにもパーソナルだからだ。
しかし、素晴らしい映画には違いない。そして、「それでも夜は明ける」これもまた、いつか、そのような作品の一つになるのかもれない。


映画草子、徒然と・・・。

【12 years a slave (それでも夜は明ける)】
監督:スティーヴ・マックイーン
出演者:キウェテル・イジョフォー/マイケル・ファスベンダー/ベネディクト・カンバーバッチ/ブラッド・ピット
音楽:ハンス・ジマー



奴隷解放運動が進み、たくさんの黒人が自由を得て、それが環境として一般に定着する地域が存在した。と、同時に黒人奴隷を当たり前のように召使えるプランテーションも沢山存在し、奴隷売買は大金をもたらすため、自由な黒人の誘拐、奴隷売買が行われていた。





今から150年前にロンドンでは地下鉄が走っていたことに心底驚いた事があったが、時を同じく人が人を人でなく扱う事を当たり前としていた時代が150年前、いや、ごく最近まで続いていたことに驚く。


社会の風潮が、人類平等を説き人の権利をしっかりと守り、人が人を大切にする環境が整ってきてはいる。
でも、逆説的にそれがないと人は、こうも簡単に自分の殻の中だけで生き、自分の中に広がる宇宙ですら目を向けることができなくなるものなのだ。


紀元前3世紀には、儒教のベースとなる孟子の性善説と荀子の性悪説が解かれた。人は生まれながらにして、善なのか悪なのかと、勘違いされがちだが、これは簡単に言うと、両説とも人には人道的な教育が必要だということを示唆している。

2000年以上も前から人は根本的にはあまり変わっていないのだ。

今の人間の社会は獣類時代であると言われることがある。人類時代がくることではじめて人は人として生きることができるという。

獣類とは違い、我々の脳に自動調整装置はない。
だからこそ、我々は人間であり、人間としての責任があるんだろう。

各人それぞれが。


人間の中核は、愛と信頼と向上する意志。

僕らの生活にはちゃんとそれがあるだろうか。



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