Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

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僕とボク

ギリギリセーフで、8月中にブログを書く時間をとれました。

8月は日本人にとって特別な月ですよね。ふと去年の8月に書いたブログを読んでみました。「8月が一年で一番、日本らしい


あれから一年。僕の考え方も少し変わってきているようです。色々自分なりに勉強しました。

なんというか、自分の考えをもつということにもう少し責任をもってみようと思ったからです。

まだまだ形にはならないけれど、ようやく長い間暖めていた劇団の前身となるようなものを今、進めているところです。時期がくればちゃんと報告しますけど。

結局うまーく実になるんだなって思いました。


それは、さておき、良い映画をみたので続きを書くなんていっておきながら、結局一ヶ月以上経ってしまいました。とりあえず、今日は映画草子を中心に。

いつも手帳に見た映画と、まだブログに書いていない映画を書き残してるんだけど、今見たら、あら、おそらく5月に観た映画から全然書けてない気がします(映画館で見た映画だけね)。

【ノア約束の舟】【トランセンデンス】【ゴジラ】【100 years old man who climbed out the window and disappeared】【猿の惑星:新世紀】【6才のボクが、大人になるまで。】【ムード・インディゴ:うたかたの日々】【Hector and the search for happiness】

面白い映画も面白くない映画もありました。上手な映画も下手な映画もありました。
でも、ここに取り上げても良い、良くも悪くも語りたいと思う映画だけ話します。

「えー、あれはどーだったの」って思ったら個人的に連絡くださいまーし。

てなかんじで、映画草子、徒然と・・・。


【Boyhood(邦題:6才のボクが、大人になるまで)】

いやー、邦題いいなぁ。英語ではBoyhoodって言います。直訳すると少年時代または少年期。
少年期といえば、【ドラえもんのび太と宇宙戦争】の主題歌を思い出す。

この歌はもうそりゃー初めてドラえもんの映画を観た時からずーっと大好きで、今でも空で歌える。しかも時々歌います。それも雨の日に。そして、夜に。さらに街灯に向かって。

すると、ちょっとだけ少年の頃のボクがヴィヴィッドに戻ってくる。感情も感傷もいっしょになって。


「あー、ボクはどうして大人になるんだろう。」

「あー、ボクはいつごろ大人になるんだろう。」


話を【6才のボクが、大人になるまで】に戻そう。
監督リチャード・リンクレーターは、この映画を12年かけて撮影した。
主人公の男の6歳〜18歳を描いた作品。

Beforeシリーズ【恋人までの距離(Before sunrise)】【ビフォア・サンセット】【ビフォア・ミッドナイト】は、同様にイーサンホーク、ジュリーデルピー、二人の男女が出会い、関係を育む計18年を描いた作品でこれも実際に18年間に渡り撮影されたもの。(それぞれの作品に9年の間隔)

また【スキャナーダークリー】だったり、【ウェイキングライフ】だったり、アニメーションを使った作品を撮るかとおもいきや、【スクールオブロック】のような作品を撮ったりもする。

縦横無尽に業界を渡り歩き、自分のスタイルで作品を撮っている監督。また、ほとんどの作品にいえることですが、とても思慮深い台詞選びと問題定義を提示する。特に【Beforeシリーズ】は物語とは会話劇なのだということ、そして、映画ってのはこれでいいんだよってことをいつみても再認識させてくれる。

この作品は文化や世代の違いによって、異なった受け取られ方をするし、年を経て、自分を取り巻く環境が変わる事でも異なった印象を受けるようにできている。

定期的に繰り返し見てもその都度、何かそれまでとは違ったものが自分の中に芽生えるかもしれない。










【ムード・インディゴ うたかたの日々】

久方ぶりのミシェル・ゴンドリー監督の新作。彼の【エターナル・サンシャイン】は僕の好みの映画のかなり上位に食い込んでくる作品です。今でこそ、ミュージックビデオは、監督を志望する人たちの登竜門的な位置づけとなり、履歴書にも堂々と明記できるカテゴリーの一つになっている。

その昔(そんな昔すぎないけど)ミュージックビデオというものに、まだそれほど価値が見いだされていなかった頃、新星のように現れた三人の監督達、クリス・カニンガム、スパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリー。彼らは、このミュージックビデオというものを音楽を映像で紹介するだけのものではなく、一つの映像的に価値のある作品として昇華させた。

みなさんもみたことあるかもね。例えば、

ビョークの「All is full of love」のロボットの愛、マドンナの「Frozen」はクリス・カニンガム

クリストファー・ウォーケンがホテルで華麗に踊るファットボーイ・スリムの「Weapon of choices」は、スパイク・ジョーンズ

ケミカルブラザーズの「Star Guitar」やカイリーミノーグがいっぱい出てくる「Come into the world」はミシェル・ゴンドリー。

そんなミシェル・ゴンドリーの彼の得意技と独特の世界観が遺憾なく発揮されている映像映画作品で、ただそれだけじゃなく、いわゆる普段知覚が当たり前に認識していることを違った手段で表現することで、この当たり前になっている感覚を取り除き、そこにそもそもある感覚を体験させる異化効果をとても上手く使用している。

そもそも異化効果というのは、演劇の巨匠、ブレヒトが舞台演出として確立したものだけど、それは舞台のみならず、今では映像作品にも使用されている。ただし、この異化効果、舞台の場合、演じ手と観手が同じく空間と時間を共有することで、上手く作用が起こる。それがこと映画となると、同じような作用を期待するのは難しいし、なおさら、どのような状態で観客が映画を見るかにも関わる。

家で横になりながら、片手間に見たのでは、一瞬でディスコネクトしてしまうだろうし、いったい何の事やらさっぱりになるかもしれない。

そういった意味でも、これは映画館でみてこその映画だろう。にも関わらず単館での短期間公開というのは、とても残念だ。







大先輩の伊川東吾さんも出演していらっしゃる【Hector and the search for happiness】は、面白いんだけど、やっぱり最終的には幸せの定義として作品が着地した場所が僕としてはあまり好ましくないので、ここでは細かい話はしない。







先週末は、バンクホリデーマンデーでした(祝日)。これで今年はもうクリスマスまで祝日はありません。ほとんど毎月1日は祝日のある日本と大違い。でも、自由に有給を使えない日本のスタイルより祝日が少ない方が良いってこっちの人たちは言いますが、まぁ、どうなんだろうね。

休みを利用して、ストラットフォード・アポン・エイヴォンに行ってきました。シェイクスピアの生誕地です。ロイヤルシェイクスピア劇団の本拠地、劇場がある町です。彼の生家とその他の家も巡りました。劇場の裏をみるツアーにも参加しました。町と劇場と劇団がひとつのコミュニティーとして、うまく融合している素敵な町です。

町のいたるところで、当時の衣装に身を包んだ役者達が即興劇を演じていました。素敵です。

町全体が何ともいえない不思議な空気に包まれています。

劇場の推移をまとめた本をせっかくなので購入しました。1ページ目にある役者からのコメントがあります、役者Richard Corderyが新しく改築、増設された劇場に関して、コメントしていました。

「ん?リチャード・コーデリー・・・?」

聞いた事のある名前だと思いきや、この前の「Breaking the bank」の撮影でランチを一緒に食べながら、芝居の話に盛り上がった役者がそういえば、ロイヤルシェイクスピア劇団の色んな話をしてくれていたなぁとふと思い出した、彼がリチャードだった気がする・・・


ええ、正解でした。


なるほど、それだけ裏事情を知ってるわけです、彼は。あたりまえだ。John Bartonの話だったり、新しく劇団に導入されたルールだったり、ここでは話せないけど 笑


この機会のおかげで演劇をもう一度、ちゃんと見直すきっかけになりました。

演劇ってのは、いったいなんのなか。

作品ってのは、いったいなんなのか。


そんな中で役者ってのは、いったいなんなのか。


役者というのは、よくもわるくも時代を反映します。(もちろん、役者だけでなく、職業ってものは時代を反映するだけど、役者以外僕はあんまり良く知らないから。)

当時と今では役割が大きく違うために、役者の姿勢も変わってきます。気もつかず、考えもせず、僕は役者という職業を理解した気でいて、また評価していた気がします。


気持ちが引き締まる想いがしました。



先日、名優ロビン・ウィリアムズさんがこの世を去りました。

「オーキャプテン、マイキャプテン」で有名な【今を生きる】は、小学校の授業の一環で映画を観て以来、しばらくクラスで流行った台詞でした。【フィッシャーキング】のロビン・ウィリアムズの役は今でも僕のベスト○○に入ってくるキャラクターです。

彼の素晴らしい演技にのおかげで、素晴らしい作品が残りました。

ただ僕らは職業柄いろんなことに悩まされます。ここで取り上げてもきりがないので省きますが、僕らは身一貫、裸一貫で仕事をします。精神も肉体もまぁ、色々ささげます、一つの作品をつくりあげることに。

他人から見ると、「仕事じゃん、そこまでする意味がどこにあるの?結果、自殺してしまうくらい自分を捧げる価値があるの?」と思う人もいると思います。

今書くことを頭の中で考えているときに、ふと杉さん(前回のブログみてね)の言葉を思い浮かべました。

「サッカー選手の寿命は約10年、それまでサッカー以外のことをしてこなかった人間が、30代前半になって、社会に放り出される恐怖感は半端ない。」

そのとおりだと思います。彼らアスリートが10年間におけるコミットメントは想像を絶するものであるし、僕らはそれによってどれだけエンターテインされているか。
彼らの10年間は時間では、たかが10年なのかもしれないけれど、会社員が40年で過ごす制約を凝縮したものなのかもしれないし、それに値する報酬を受けるべきだとも思います。

すごいんだから、僕らが想像できないくらい。彼らはあたり前にやってるけど。

おーきくはいわないけど、僕らもちょーーーーっとだけ似てます。



(そういうと、なんか、誇り高くなってきた!)



どんな職業でもそうだけど、自分でちゃんと自信をもつことが大事だと思います。その自信というのは、自分の責任を果たすという意味での自信ではなく、社会の中での位置づけとしての自信です。


環境の責で、それを忘れてしまう人がいたとしても、

例外無く、人は生まれながらにして、究極的に自分以外の人間の役に立ちたいんだから。



幼い頃から、役者になりたかった僕は、色んな感情と知識、そして手段をつかって、自分が役者である事がどれだけ大切かを自分に伝えてきました。時にはそれが僕を生かす唯一の理由である時もありました。それがある時から、自分がそうせずとも、それを自分自身が疑ったとしても、逆に僕を説得しようとする、ボクがいます。


ボクは、僕であり、でも、僕はボクである。
こまかくいうと、僕は女性と少年とおばさんで構成されていて、その御三方が細い紐である場所に繋がっているわけで。


「あー、ボクはどうして大人になるんだろう。」

「あー、ボクはいつごろ大人になるんだろう。」


でも、僕はあの頃におもったこの疑問に対して、まだボクに回答できるほど、しっかり生きれていない気がする。


なーんて、センチになったけど、僕は


元気でやってるよ。


みんな元気でやってけよ。



シェークスピアの生家



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