Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

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夏の終わりと秋の始まり

みなさん、こんにちは。葦沢リオです。

お元気ですか。

いつもここに帰ってくるときは、何を書くかを考えてから、パソコンに向かうんだけど、今日は特に何も考えないまま、つらつらと自分の書く文字を眺めています。

イギリスは、夏が終わり秋になった。季節ってのは、もちろん天気予報士の人が言う「爽やかな秋晴れ」だったり、客観的に地球上の人が、場所にもよるけど、享受するものだけど、僕にとってはとてもパーソナルなものだ。世界が秋になろうが、僕にとって秋になっていなければ、まだ秋だとは口にしたくない。

ここ10日ほど前までは、「夏が終わった。」と言っていたけれど、夏が終わったからといって秋になるわけじゃない。まぁ、一般論としてはそうなんだけど、季節が変わることは、僕が、ある種変わることにとても近しい。

だから、「秋になった。」と口にできることは、実際自分の中で何かが変わったんだろうと思う。

たいてい、その変わった何かをちゃんと自分の中で理解する頃には、次の季節がやってきている、一般論として。

それがわかると僕はさらに次の季節に進むことができる。つまり、ここでいうと冬のことだ。
「秋が終わった。」という言葉を口にしてから、「冬になった。」という間に、僕は夏から秋にかけて変化した何かをつかむことができたということになる。

ようやく、「秋になった。」ということを口にすることができようになったこの10日間ほどの間に、だからといって何かドラマチックなことがあったり、季節の変わり目の裂け目から何か天からの教訓や示唆があったわけでもない。

でも、春から夏にかけての変化はなんとなく僕にとって明確なものになった。

それを受けておそらく僕は、この秋を生きるんだと思う。小学生の頃、毎日通う学校への道が真新しいものに見えて、そこに生きているだけで新しい冒険が幕を開けるような感覚は、もうない。あの頃の僕が、今の僕に首を傾げながら、「そんな感じで日々面白いの?」とイノセントに聞いてきても、おかしくはない。

ただ、大人になるということは、外の世界と自分の中の世界がうまく混ざり合い、浸透圧のようなものがあまりなくなった状態だと僕は思う。だから、あの頃の僕にはこう返すことができる。


「そうだね、でも僕の世界はあの頃のように、日々ちゃんと変わってるよ。冒険は続いているよ。」って。


「夏が終わった。」という言葉すら、まだ口に出せない、ほぼ一般論として夏が終わりそうだった頃に、彼はこの質問を投げかけてきた。そして、僕はその言葉にあっけにとられ、自分を失った。

みなさんはどうだろうか。みなさんにとって、1日は何時間なんだろうか。もちろん、一般論としては24時間だし(一般論じゃなくてもか。)、日が上り沈むと1日が終わる。何かが始まり、何かが終わるってことは、すごくメリハリのあることだし、始まる瞬間から終わるその瞬間までにたくさんのことが含まれている。

終わらないと始まらないし、始まらないと終わらない。もちろん、朝起きたら、1日が始まって、夜寝るときに1日が終わる。でも、僕は長らくそんな生き方をしていないから、始まったものが終わらない限り、疲労がとれることはない。仕事柄、作品が始まると、その作品が終わるまで終わらない。夜に寝て朝に起きることは休息なだけだ。

例えば、土曜日に劇団の公演があるけれど、稽古期間に入った2週間ほど前から、僕は始まり、土曜日の公演が終わるまで僕の1日は終わらない。夜寝て、朝起きることは休息でしかない。勘違いしないんでほしいんだけど、だからって別に日々、今を生きていないわけじゃない。単純に、なんというか、ケジメを大事にしたいから、スイッチをオンにしてからオフにするまでは、煌々とついている電気のようなのだ。それを僕は良いとも悪いとも思わない。

寝ることもすごく大切だと思っている。その日に起きたことをちゃんと脳が処理してくれて、次の日に自分のものになっている。大変な作業だ。僕は寝ているのに。


ちょうど、春が夏になる頃僕は立て続けに同じ夢を見た。それを同じ夢だと表現するには、少し抵抗がある。「一連の夢をみた。」という方が正しいのだと思う。


僕は、その世界では(夢の中ね)警官だった。

ちょうどその世界は、僕が警官から刑事になる研修を終え、刑事への就任式から始まった。実際に刑事に就任式があるのかはわからないけど、ダークナイトに出てくるゴードン・コミッショナーのような人が、何語かわからない言語で、僕らが刑事になったことを祝福してくれた。

式典の最中に僕らに緊急出動の要請がかかる。僕が最初に担当した事件は、5人家族の姉による一家惨殺だった。事件の内容はあまりにもグロテスクなので、ここでは書かないが、僕はよくそういった映画にあるように、現場をみて嘔吐した。

二階建ての洋館、赤絨毯が引いてある幅が2メートルもあろうかという大きな階段を一歩一歩ゆっくりと登っていく。式典用に一張羅のスーツに、自分の顔が映ってもおかしくないほど、しっかりと磨いた黒い革靴を今でも覚えている。事件現場だから銃をもたせてもらえていなかったことに不満を覚えていたことまで。

そんな事件に始まり僕は、5つの事件を連日解決する刑事として、活躍していた。最後の事件は、自分の相棒が犯人だったというテロ事件だった。

そんな5日間は、現実の世界ほどに夢の世界が鮮明で、実際に自分がどちらの世界に生きているのか、わからなくなったほどだ。目がさめると驚く。しかも、ちゃんと刑事としての記憶をもって起きるから、余計に目を開けた時に見る天井に驚きを覚えた。

学生の頃、好きだった芸能人とデートをした夢をみて、起きても電話番号を覚えていたから、その電話番号に電話して「おかけになった電話番号は現在使われおりません」と言われた時よりも、混乱した。

今考えると、刑事としての僕は、過去の記憶を思い出すという人の日常生活が欠落していた。もしかしたらもう覚えていないだけかもしれないけれど、時間が経つにつれてあれは夢だったんだと、しっかりとした実感がわいてくる。


夢に関しては、いろんな人がいろんな事をいっている。夢診断だのいろんなものがあるけれど、あんまりそんなことに興味はないけれど、一つだけ言えることがある。あの夢を見ていた頃の僕は、1日の終わりの睡眠がちゃんと1日の終わりだったんだと思う。そして朝、1日が始まったんだと思う。

あの感覚を思い出すと、僕が日々1日の終わりの睡眠を休息としてとらえている僕とはまったく違う僕がいたんだと、思う。

これも別にまた、良いとか悪いとかそういう問題ではない。

でも、何かが始まって何かが終わるスパンが短ければ短いほど、なんというかエクサイティングな気はしたのは事実だ。職業柄、そんな風に一つのスパンが短く終わることはない。でも逆にいうと、何かが始まって、何かが終わらないそんな悶々とした時期が職業柄とても長い。

僕の脳が僕と、子供の頃の僕と、それを見守ってくれている女性を危惧して、計ってくれたエンターテイメントだったのかもしれない。実際のところはわからない。

でも、逆に僕ら3人が、僕の脳に計ったエンターテイメントとして一つの終わりがこの土曜日にやってくる。

ちょうど、1年ほど勤しんできたUndone Collectiveという僕らの劇団の旗揚げ公演が、今週の土曜日にあります。僕は、役者として出演します。20分ほどのスクラッチと呼ばれる、ワークインプログレスの状態の作品をお客さんに見せ、フィードバックを元に作品を発展させていく演劇祭です。

日本ではあまりないスタイルかもしれないけれど、自分たちのアイデアが実際に機能しているのか、していないのかをお客さんに問いかける良い機会です。

ロンドンにいらっしゃる方で興味のある方は是非いらしてください。そして、感想を聞かせてください。

More Storm Festival
'Napoleon's Messenger' by Undone Collective


http://www.morestormfestival.uk/

More Storm Festival


僕は元気でやってるよ。

みんな元気でやってけよ。



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