Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

目が合う

ご無沙汰しております、葦沢リオです。みなさんお元気でしょうか?

残念ながら4月中にブログを更新することができませんでした。最近は、ポロっと1月抜けてしまうことが多々有ります。すみません、確かブログを始めた頃は、1日1ブログを目標としていました、それから数年して、1週間1ブログになり、さらにそれから数年して、1ヶ月1ブログになり、今はその1ヶ月1ブログもままならなくなってきました。

今年に入ってからは確かに、例年より忙しいのは事実ですが(実りのないものがおおいけど)、それよりも時間の使い方があまりうまくなくなってきているような気がします。なんていうかスマートフォンのせいで(自分のせいなんだけど)。

みなさんも心当たりがあると思いますが、いやー、気になるんですよ、こいつは。

テーブルの横にちょこんといるだけ、テーブルにペタってパーフェクトフィットしているだけ、実際には音もしないから、実際に「ぶーん」と動いてなかったとしても動いたと思って、一息ついたら、チラッと横目でみてしまう。

中学生時代に、好きな女の子を横目でチラチラみていたあの頃を彷彿させるくらい、ほどよい時間の感覚でチラッとみてしまう。それに僕のスマートフォンでは大好きな恐竜を飼っているから、こいつらが元気でやっているかが気になってしょうがない。

なかったらそれで良いものが、あるとどうしても必要に感じてしまう。

感触が自動的に、何かに繋がっているというまったくもってメイクセンスでない無意識な思考にがんじがらめにされてしまってます。タバコのニコチンしかり、お酒のアルコールしかり、スマートフォンのスティミュレーションしかり。

この最後のアディクションがまぁ、一番たち悪いですね。タバコは「百害あって一理なし」といわれ健康を害しますが、お酒は「百薬の長」ともいわれ微量ならよし、スマートフォンももしかすると、「百害あって一理はあり」と言われるのかもしれないけれど、僕にとっては「一害あって、百理なし」とでもいいましょうか、一害ってのは精神です。これほど、精神的に不健康な結末をもたらすことはないだろうと思います。細かくはここではいわないけど。とはいえ、僕も手放せません、あぁ、アディクション。


それはさておき、そんな中でもこうやって「そろそろ書きたい」という気持ちがちゃんと形になって、パチパチキーボードを打っています(今のところスマートフォン触ってないよ)。


4月は、また朗読会(プレイ・リーディング)に参加していました。上旬頃に1日だけですが、Tricycle Theatreという劇場で【Neko】という作品に関わっていました。前回の朗読会で【Belonging】の作家であるFrancis Turnly氏に、直接オファーをいただき、面白いキャラクターを演じさせてもらいました。

後から聞いた話ですが、実はこのキャラクターは前回の朗読会で初めて会って、芝居を見てもらってからというもの僕をイメージして当て書きしていただいたキャラクターだったそうです。「あぁ、当て書き、役者の極み。」です。感謝します。

Tricycle Theatreという劇場は、オフ・ウェストエンドの中でもしっかりとしたお芝居をみせるFringe Theatreとして有名です。ここで上演された作品が良い評価を得て、その後ウェストエンドで上映されるなんてことも多々有ります(ウェストエンドは、まぁブロードウェイのようなものと思ってください、厳密にいうと違うけど)。

最近では、エイドリアン・レスターという役者が初めてシェイクスピア劇を演じた黒人(実話)を演じた作品、【Red Velvet】もここで上演されました。良い劇場です。

朗読会というのはそもそも、劇場やプロデューサーや関係者に作品の内容や雰囲気を見せるために行うプロモーションも兼ねています。ここ数ヶ月間に参加した朗読会から、実際の舞台作品が生まれてくれれば、僕も作品の一端を担うことができた気がして嬉しいなぁと思います。




さてそれから、ちょうどいいタイミングで「ホッホッホホリデー、ほっほ、ホリデー(ドンキ⚪ーテ風)」に行ってきた。


ここ、ロンドンにいると太陽の恵みも少ないし頭を空っぽにするのが難しいから、国外にでるととてもすっきりする。日本みたいに春夏秋冬、
晴雨曇がしっかりしている国で育つとそういう自然の移り変わりがいかに体と精神に影響を及ぼしているかがわかる。

場所はクロアチアのドゥブロブニック、イギリス人には「ゲーム・オブ・スローン」、日本人にはおそらく「魔女の宅急便」のモデルになった街としてよく知られていると思う。僕は、ポルトガルのポルトを合わせておそらく「魔女の宅急便」ロケーションハンティングは、コンプリートだ。


僕はいつも旅行先で一番最初にウォーキングツアーに参加する。まず、一番最初に。ビールを飲むか、ウォーキングツアーかどちらが先かというくらい大切な「儀式」だ。


ドゥブロブニックはその昔造船業で栄えた街で、富にあふれていた。そのため、街を守るために街を囲んで城壁がある。城壁の中に街がある。お城があったわけではない(本当は「街の外壁」が正しい表現だとは思うけど、城壁と言った方がイメージしやすいと思うので)。街と富を守るための城壁だ。城壁で囲まれた街の中は、プラッツァ通りと呼ばれる大きな通りがあり、そこから京都のように碁盤目状に道が伸びている(もっと細かいけれど)。観光客くらいしかゴミを道端に捨てない(ほんとだめだよ、観光客)のか、街の中は本当に綺麗で清潔だ。歴史的にもペストも蔓延しなった。というのも、船でしか基本的にアクセスできなかった市内に(街のすぐ裏は山なので、アクセスは不自由だ)病原菌を蔓延させないために、港の外に隔離所があり、そこで新参客を数ヶ月滞在させ、問題がないことがわかってしか、街に足を踏み入れさせなかった。

清潔感をを印象づけるのは街の通路に敷き詰められている石、はじめは大理石かと思うほど光を眩く反射するんだけど、実は人の往来が摩擦となり、表面がツルツルになった石灰石らしい。


ドゥブロブニック3


ドゥブロブニック2



ドゥブロブニック4


城壁は中国「万里の長城」(秦朝のか明朝のはかわかんないけど)、モンテネグロ「コトルの城壁」(ここも行った!)が1位、2位。で、コトルが⒋5kmで2位だから約2kmのドゥブロブニックもかなり上位につけているはず。この城壁は登って歩けるんだけど、ゆっくり楽しみながら歩くと1時間半くらいはかかるから、相当長い。

そんな美しい街のもう一つの顔は90年代に起こったユーゴスラビアに関わる戦争な爪痕だ。今でも、弾痕が街のいたるところに残っている。ドゥブロブニックが裕福な街であることに変わりはないので、迅速にその爪痕は片付けられたそうだが、他のクロアチアの街や、旧ユーゴスラビアの諸国にはまだまだ痛々しい爪痕が残っているそうだ。


僕らのツアーを担当していたクロアチア人の女性が、その時だけ少し俯き加減で話していた。

それまでは、「日本のアニメが大好きで、ナルトもブリーチも全部みたから、少しだけ日本語が話せるんだ」と、ウキウキ話していたのに。


5月なのに海に入ることもできた。瀬戸内海、日本海、太平洋、大西洋に続いて、アドリア海水浴デビュー。水もとても綺麗だったが口に入った海水はとてもしょっぱかった。それに、海の上でプカプカ浮くことができた。M氏の腰を入れると体は浮きやすいというアドバイスのあったからだけど。

いつも上半身は浮くんだけど、下半身は足からどんどん沈んでいってしまう。これは人生初の体験だった。まるで川に浮いて流されていく流木のように(なんでわざわざ海で川を例えばあげるのかわからないけど)、波に合わせて僕の体は波の上でスムーズに踊る。なんというか、太陽が眩しく、波の音が静かだった。風がつよく、鼻先に水しぶきがあたり、遠くで若い男女の盛り上がっている声も聞こえた。アメリカ人だ。

石浜(砂浜ではない)に上がった僕は偉そうにM氏に言った。

「いやー、アドリア海はしょっぱいよ、塩分が濃いんじゃないかな。だからプチ死海みたいな感じで、俺でも体が浮いたよ。信じられない。すごいな、体が浮くって感覚。」


M氏が言った。


「ね?腰入れたら浮いたでしょ。ていうか、今まで浮こうとして腰入れたことある?腰いれないと絶対に足は浮かないよ?」


「え?まじで?」


・・・だそうだ。知らなかった。


腰を入れることからなんだって始まるんだ。
姿勢矯正だって、柔軟運動だって、発声練習だって、それに海で浮くことだって。


「今度プールで試してみることにする。」と僕は声には出さず誓った。



ドゥブロブニックはシーフードでも有名だ。「やっぱり」塩分が少し強いようで、シーフードが美味しいのものそのためだそうだ。山盛りのムール貝にデッカイ海老。

甲殻類を食べ過ぎると、僕は体の芯が「ブーン」と振動してブルブル震えてくるんだけど(「もー、だめ尿酸値が高くなりすぎー!」っていう声だと思う。)、そのギリギリまでシーフードを楽しんだ。

あまり飲まない白ワインもたくさん楽しんだ。それ以上に、大好きな赤ワインがとんでもなく美味しいことに驚いた。タクシーの運転手さんがこういっていた。


「あんまり作ってないから輸出はしないんだ。でも、俺たちのワインは世界一だ。あれだぜ、ドゥブロブニックで有名だったワイン作りの人がアメリカのカリフォルニアに渡って良いワインを作ったんだ。そのワインが一度、フランスもイタリアも凌駕して、世界で1位のワインになったんだぜ、クロアチアのワインはうまいんだ。」


確かに非常に美味しい。こんなに美味しい赤ワインを飲んだのは本当に久し振りだというくらい美味しい。初めてバルセロナに行った時に最初に飲んだワインが「Muga」というワインでこのワインが非常に美味しかったのを除いては、フランスやイタリアに行った時もこんな風に思わなかった。でもMugaはスペインでも安いワインではない。ドゥブロブニックでは、ハウスワインですら、僕の好きなさらっとした甘さと仄かなバニラのような香りのするワインだった。(国に関わらず僕の好きなワインはこの香りがする。でも何て表現したら良いかわからないし、共通点をまだ発見できていない。)


唯一、ネガティブな点をあげるとすると、非常に物価が高いことだ。おそらく、今まで訪れた場所(国というと語弊がある)の中で一番高かった。ビールも食事の値段もほぼロンドン(イギリスじゃなくて)と同じだった。もちろん、この値段でロンドンで同じクオリティーの食事をしようと思うと、とんでもない値段を出さないといけないけれど、例えば一回の外食にかかる値段などは(何度もしつこいけど、クオリティーを抜きにしてね)、ほぼ変わらない。

ビール500mlがロンドンと同じ約5ポンドくらいした。ビールを頼む僕の声は少し小さくなった。



僕は、おそるおそるキャッシュマシーンに近づき、背後をキョロキョロしながら何度かお金を引き出した。ドゥブロブニックはかなり治安が良い街だそうだ。しかし、そんなことは関係ない。海外でお金を引き出す時は、舞台上での段取りを初めて実演する時くらいドキドキすることに変わりはない。


朝昼晩、一食もできるだけ無駄にすることなく、名産物や特産品を飲食した。
マグロステーキなんて、今まで食べてたものがいったい何だったんだって思った。

とはいえ、ドゥブロブニックはそんなに大きい街ではない。1日半もすれば、基本的には十分観光を楽しめる。そこで僕らは、モンテネグロのコトルという街と、ブドヴァという街へ日帰りツアーに出かけた。(このツアーはドゥブロブニックの日帰りツアーとしては王道だ。)

コトルは、さっき説明したように中国万里の長城の次に長い、城壁がある。もちろんこれもお城があるからではない。街を保護する目的だ。この城壁は、山をも利用している。城壁の一部は海抜1500メートルくらいの山の頂上にある(漢字変換が頂上と長城で混乱してる)。


このコトルへは、車で向かう。人生初の車での国境越えだ。パリに昔行った時に、バスで国境越えをしたことはあるが、車というもう少し小さい空間とむき出し感がある。それにクロアチアとモンテネグロはユーゴスラビアをめぐる内乱で大きく歪みあった国である。ピリピリしていても仕方がない。少し生唾を飲み込む空間だ。

しかし、クロアチア側はまったくそんなことはなかった気さくなおじさんが「ヤポーネ」的なことを笑顔で言っていた。ツアーガイドのお兄さんも、さらっと通過し、

「ここからモンテネグロの国境までの数十メートルはノーマンズランド(どこにも属さない場所)です!」

なんてテンションをあげていた。

でも、帰りのモンテネグロ側からクロアチアへの国境はとてもピリピリしていた。しばらく国境兵士がパスポートを持ったままどこかに消えてしまった。たぶん、生唾を飲んだと・・・思う。


コトルは、ドラゴンクエストのダーマ神殿を彷彿させた、なんでかわからないけれど。

数十の教会、それもセルビア正教会だったり、オーソドックスだったり、ロシア正教会だったり、カトリックだったりと宗派が混ざっていた。

ドゥブロブニックと違って、いろんなタイプの老若男女がいた。


「トイレ使いたいなら、お金おいてきな。50セントだよ。」


公共のトイレだ。支払ってトイレを使用する。豪快で嗄れた声のおばちゃんは、タバコを吸っては捨て、捨てては吸いながらウロウロする。そして、少し距離を置いて誰かがトイレに入ろうとすると走ってくる。


「トイレ使いたいなら、金おいてきな。」


さっき、街の入り口でM氏に「お金をちょーだい」と言ってきた可愛らしい女の子がもう一度、ピンポイントにM氏に向かって、「お金ちょーだい」という。


そうして僕らは、顔を見合わす。


見合わした顔の目線の先には、数百年前から立っている建物の細い路地や朽ちているけれど長い生活を讃える看板が見える。その先には、そそり立つ山と蛇のようにその上を這う城壁が見える。目線の距離感を戻すと、さっきの女の子は残念そうな顔をして、母親に連れられるように去って行った。行く前に数度振り返りながら。

僕らはそのまま、城壁を登った。時間がなかったので、3分の1地点にある教会までだ。(約15分ほど。頂上までは45分はかかる。)時間があれば、頂上まで登りたかったなと思うほどの美しい景色だった。コトルは、リアス式海岸の入江としても有名で、海の水が湖の水のように静かで濃く深い。それが山々に囲まれ余計に強調されていた。

城壁を登っている間は、あのタバコを吸っているようなおばさんや何度も振り向いた少女のような人たちには出会わなかった。彼らにとって、生活と隣り合わせで存在するこの城壁と美しい景色は、別の意味を持つのだろう。僕らには推し量れない、何か。


コトル1


コトル2


コトル3


城壁を後にして、移動の時間までカフェで時間を潰した。M氏が頼んだオレンジスカッシュと僕の頼んだ500mlのビールの値段が同じだった。そして、ようやくホッとした。ビールを注文する僕の声はこの旅行の中で一番大きかったろう。


コトルを後にした僕らは、ブドヴァに向かった。ブドヴァは海沿いの街でこれまた小さな城壁に覆われている、もちろんお城はないけれど。ブドヴァでの自由時間は短く、迷路のような小道をブラブラした後、おすすめのモンテネグロワイン、ヴラナッツを買って街を後にした。


この旅行の最終日前日は、(最終日は朝から空港に向かうだけだ)夕日を眺めることができるドゥブロブニックを見下ろす山へケーブルカーで登った。これも王道の観光名所だ。ただ唯一違うことは、僕らは頂上の見えない霧の中にケーブルカーで突入した。


「大丈夫、山が霧で覆われていても景色は綺麗もんだ。ドゥブロブニックの天気はまったく予想がつかないんだ。だってな、あの山見てみろ。向こう側がみえないだろ、そのせいで例え雨雲が来ていても街からはわからないんだよ。」


と地元の人が言っていた。うん、霧でも景色は綺麗はずだ。


実際のところ紙一重だった。僕らが登った頃はギリギリ景色は綺麗に見えた。夕日は残念ながらぼやけてしまって、桃色がかすかに白い雲に、手をかけている程度だった。みるみるうちに凍てつくような風が僕らを襲い始め、強い風が吹き出した。そして、一目散に僕らは山をかけおりた。もちろん、ケーブルカーで。


翌朝はタクシーで空港まで向った。

ワインの話をしてくれたのはこの初老のタクシーの運転手だ。上手とは言わないまでも丁寧にゆっくりと英語を話してくれる。タクシーの運転手やツアーガイドの運転手で人がしゃべる英語を聞いて、ここまで独学で話せるようになったそうだ。僕よりもよっぽどきちんとした英語を、一言一言、体ではなく口から発していた。僕も見習わないと。


最終日は、初日と同じくらい快晴だった。もう1日こんな天気でボーッとしていたかったと思った。アドリア海で腰を入れて体を波に任せたかった。


初老のおじさんが言った。


「今日は風が強いな。ドゥブロブニックは、他の街よりも風に影響されるんだ。自然被害はあんまりないけれど、風の影響をもろに受ける。」


おじさんは風のことを「He」と言っていた。「すっげーつっえーんだ」と。


最後に「風には気をつけろ」とプルプル震えながら僕らのスーツケースをトランクから出しながら言った。僕が出すからいいっていうのに。



おじさんは正しかった。その日のドゥブロブニック着の飛行機は強風のため、着陸できずすべての飛行機がバスで4時間ほどかかるスプリットという空港に着陸した。


僕はトイレでドゥブロブニック楽しかったなと思いながら思い出とともに、色んなものと一緒に音姫を頭の中で流している時に受け取ったメールで、飛行機のキャンセルを知った。もちろん、出国は済ませてある。


流れ作業のように一瞬で入国を再度済ませ、バスの中に詰め込まれ、4時間の間オレンジジュースパック一つで耐えることを余儀なくされた。流れ作業のように出国手続きをさせられて、スプリットの空港で缶ビールで時間を潰した(出国後の空港内に生ビールがない空港は初めてだ。)。結局10時間ほど遅れて、ロンドンに到着した。流れ作業のように、入国審査を終え、電車にのって自宅に帰ってきた。


ある種の行動や行為は、流れ作業として自分の身を委ねることで非常に受け入れることがラクになる。あんまり考えすぎるとどうしようもない「たら」「れば」に陥り、なんというか無駄に孤軍奮闘してしまう、存在もしない困難に向かって。


でもこの流れ作業の一部になるということはとても疲れることなのだ、肉体的によりも精神的に。

たいてい、この疲労というのは実感が湧かない。なぜ、こんなに体が疲れるんだろう、何もしていないのに。と感じることだってある。だいたいは、流れ作業に身を任せたが故の疲労だ。

日本人はあまり精神性と肉体性を具体的に分離することに長けた民族じゃないから、特にこの「精神的」に疲労を伴う流れ作業の一部という感覚に肉体的に非常に疲れを感じる。日本人以外の人たち(一神教由来)は、もう少しこういう感覚に慣れているから、この感覚の処理に長けていると、僕は思う。


ロンドンに戻ってきた翌日そんなわけのわからない脈絡のない話を友達としていた。
少し間があって僕らは顔を見合わせた。そして、何言ってんだという顔でお互い笑った。


英語には、「I see eye to eye」というフレーズがある。これはお互いのことを理解するという意味だ。例えば、「I see eye to eye with you about something」は、「何かについてあなたと気があう、とか意見があう」という意味になる。

そう、目が合うのだ。

その目線の先には、綺麗な景色もないし(残念ながら)、城壁だってない。何度振り返ったって少女はいないし、おばちゃんもいない。それと同時に僕の中で一つのことが明確に腑に落ちた気がした。


あの流れ作業の一部になる行為ができることようになった僕は、ベルトコンベアに乗って、A地点からB地点に届けられたのだ。それは肉体的にだけではなく、精神的に。もちろん、比喩的にだけれど。もしかすると遥か昔に。

もう人生の4分の1以上をイギリスで過ごしていることで、おそらく僕は本当に、「目が合うこと」が可能になっているのだと思う。しかし、それは残念なことにもう、かなりのものが失われてしまった証拠でもある。


コトルの城壁が、そこに登っている人とそこに住んでいる人にとって別の意味を持つように、僕にとっても、ここにいることが、取り返しのつかない別の意味を持っているのだと思う。取り返しのつかないというのは否定的な意味ではない。
一人の人間の頭の中で純粋に共存できない思考や思想は存在する。そういう意味で取り返しがつかないということだ。


目をつぶって昔住んでいた僕の場所を思い出す。ゆっくりと道を歩きながら記憶の中を探りながら、顔を知らない通行人と目を合わそうとする。しかし、彼らの目は空洞だ。会話することで、言語としての心地よさが僕を辛うじて繋ぎ止めてくれる。

願わくば、空洞の目は僕がここで出会う人たちだけであってほしい。

目をつぶって顔を思い出せる人たちと、僕はいつまでも「目が合って」いたい。


「僕は、元気でやってるよ。」

「みんな、元気でやってけよ。」



目が合う




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