Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

沈黙と灯り

『沈黙』


紙一重で間に合いました。どうも、葦沢リオです。みなさん、お元気ですか?

5月。サツキ。皐月。ごがつだね。

5月は正直なところ、これといって仕事してません。心弾み血肉湧き踊るようなそんな感じになってません。オーディションを受けることも、もちろん仕事ですがやっぱり違います。オーディションだったり、ルーティンワークだったり、そんなこと言い出したら、毎日休みなく仕事してることになっちゃうから。まぁ、実質そうなのかもしれないけれど、まぁプロジェクトがあるか無いかということで言うと無しでした。

そんで、ようやくロンドンにも春が訪れました。5月中旬までは、とっても寒かったんだから。

中旬頃にカンヌ映画祭に行った時なんて、朝8度のロンドンで出て、カンヌに着いたら25度。で、帰りは20度のカンヌを夕方に出て、ロンドンに帰ってきたら夜15度で(あれ?)、数泊留守にしていた間にロンドンに春がやってきていたから、驚いた(わぁお!)。


そして、何気なく近頃の人たちが地下鉄に乗って考えることがなかったら、無意識にする行動を僕も取った。考えるまでもなく、指先が勝手にそして滑らかにスクリーンの上を滑る。ニュースをみて、マンチェスターの事件に驚いた。

ヒースロー空港からの帰り道、そんなに遅くはなかったけれど、僕の他に車両には誰もいなかった。

イヤホンからの音楽がまったく耳にはいらず、駅区間の長い地下鉄の揺れに身をまかせ、しばらく一体何が起こっているのかを一生懸命、理解しようとした。

それでも『沈黙』がまるで命を得たように、僕と電車を覆い尽くし、そのうち、あたりから何も聞こえなくなり、見えなくなった。イヤホンから音楽は流れていたし、車両内にも煌々と灯りはついていた。



バチカンとは


5月の上旬に今年初のホリデー(完全オフ)でローマに出かけた。

ローマは、相方のMさんが言い出しっぺだった。僕は、どこでもいいからとりあえず、イギリスから離れたかった。美味しい地元のお酒が飲めて、郷土料理が食べれればどこだって良かった。

出発が近づいて、実際ローマを少し調べてみると、その過程で僕が、実は昔どれだけローマに行きたかったかを思い出した。いや厳密に言うと思い出したのではなく、痛烈に『行きたい』という気持ちを持ったことが今までにあったはずだという過去から僕からの問いかけに耳を澄ますことになった、必然的に。

でも、ローマの観光ガイドを見てみても、コロッセオだったり、なんちゃらの丘だったり、ほんちゃらの坂だったり、あんな泉だったり、だったり、いろんな名所を見てみても、何もピンとくるものが無かった。

あの時のローマに対する衝動がなんだったのか。大学で考古学を専攻していたけれど、僕の専門はストーンヘンジだったし、特にそういう意味ではローマに思い入れはなかった。

それからも僕はもう少し時間を費やして、ローマを調べてみた。



なんのことはない、バチカンだった。



Mさんが、「ローマはどう?」そして僕が「うん、いいよ。」と言った時に僕の頭の中にバチカンはまったく浮かばなかった。ただ、何かチクっと僕の体のどこかに何か、棘のようなものが刺さっただけだった。


その後のプロセスで、僕は丁寧にその棘を引っこ抜いて、それを寄り目になるくらい僕の鼻先にしっかりと近づけて眺めてみた。



なんのことはない、ピエタ像だった。



僕は色んな手帳をもっているんだけど、もう15年近く使っている「インディージョーンズよろしく」の手帳には(内容と用途はまた別の機会にでも。)、数枚の厳選された写真が挟んである。家族、友人だったり、大切な時間の静止画だったりするうちの一つがピエタ像の写真だった。

大学の卒業論文が書けずに、学業にさらに人生に対して非常に辛い時期を過ごした時に、僕の卒論を担当していてくれた先生から頂いた写真だ。

先生は「僕は実物をみたから、いいんだ。」と言って、自分の手帳に挟んでいたピエタ像の写真を僕に譲ってくれた。

飲みに連れて行ってくれた時に先生が、酔っ払いながら「アダムとイブはリンゴの話で有名だろ、だけど、あの『葉』は、イチジクの葉なんだ。面白いだろ!」と言っていたのを今でも鮮明に思い出すことができる。
僕が当時、趣味で書いていた詩を読んで、『ひらがなと漢字にはそれぞれの呼吸がある』ことをアドバイスしてくれた。それは、たぶんこのブログにもちゃんと息づいていると・・・思う。今でも大切な恩師だ。


ピエタ像には西洋文化を勉強したあの頃から、惹かれていた。彫刻はサモトラケのニケのようなヘレニズム文化からモディリアーニまで、幅広く好きなんだけれど、ピエタ像は、突出して僕の興味をひいた。


僕は手帳からもらった写真を取り出し、眺めてみた。
もう15年以上も前になるから、写真もかなり色あせている。『だから、ちょうどいいのかもしれない』と、僕は、たぶんみんなが一般的にやるように、自分の行為と衝動を事前に正当化してみた。

イタリアだ、美味しいお酒と食事は無条件で期待できる、そして同時に記憶の回廊を旅できるなら、これ以上ない。




サン・ピエトロ大聖堂に、入るのは大変だ。セキリュティーもあるし、観光客も尋常じゃないくらい多い。ライフルをもってそこいらをうろうろしている軍人の間を抜け、きちんと列に並ばない陽気な観光客に呆れることなく、根気よく1時間くらいは待つことになる。
そして、こんなセキリュティーでいいのかというような簡易荷物検査で、ようやく大広場からちょっとした通路に入ることができる。そこからは、滝壺に向かって流れる川の水のように、サン・ピエトロ大聖堂の入り口に向かって、人がうねる。


『荘厳』以外、表現のしようがない、ローマ法王のお膝元サン・ピエトロ大聖堂の入り口を抜けるとその右側にピエタ像は、ある。


昔はガラスケースなんてなかったのかもしれないが、ガラスという人為的で明確な壁に隔てられた彼女と彼のピエタ像は、僕らとはまったく違う空気を吸っているように感じる。うん、だって石だって呼吸はするんだから。

僕の手に写真機はない(カメラっていうより適切な気がした)。だから僕は、慣れないコンタクトレンズを気にもせず、目が乾くほどしっかりと目をあけて、瞬きをする度に奥歯をしっかり噛み合わせ、あたかも僕に目の前の映像を脳に記憶させる。感情も、何かも一緒に。ただ、そこに汎用性はない。

そして、僕はお礼を言いつつ、あの写真を破る、あくまでも心の中で。時代が時代なら、僕は、きちんと僕が自分の目で見た、そして僕が感じた空気とその時の光を元に、しっかりと一回性の写真をとって、僕の手帳にしまい込み、そしていずれ出会う誰かにこの写真をあげる、ことを想像する。それでは残念ながら、もうどこにも行けないことを、理解しつつも。



Mさんと僕は、あまり多くを語らず、人のうねりに合わせ順番に大聖堂内にディスプレイされている彫刻や絵を見て歩く。
そして、必然的に、計算されたようにショップにたどり着く。観光客がお土産を買ったり、ピルグリムに来た人たちが、例えばロザリオを大聖堂内の特別な場所に持っていき、聖なるものにしてもらう。そこで買ったものも、もちろん加護を賜える。

人のうねりでMさんを見失った僕は、宿命的に一人でショップの品を眺めていた。
俗物根性でピエタ像のレプリカを買っちゃおうかななんて、旅行にありがちな天下の宝刀をちらつかせている。こういう時にはMさんという鞘が必要だというのに。


こういうショップは、国を問わず、観光名所としての知名度を問わず、どこにいっても本当に同じ方向性だ。いったいどうして、どこの誰がこの『テンプレート』を始めたのだと思うほど、一緒だ。こんな指輪だってどこにいったってあるんだ。そういえば、ストーンヘンジに行ったときも、ストーンサークルを模した指輪を買って、一回もつけていことを思い出し、一人で失笑しながら、僕は何の気なしに、一つ指輪をはめてみた。「20」と書いてある。スポスポだ。

「なるほど、俺の人差し指は指輪サイズ20でも大きんだ。」

声が音になっていた。となりの女性が僕をチラッと見た。

その横にある「18」をはめてみた。ぴったりだ。なるほど、僕の右手の人差し指のサイズは「18」なんだと。

装飾品が大好きな僕は、にんまりしながら指輪を外そうとした。



「ムゥオムゥ」



と、もしかすると音がしたかもしれない。僕の第二関節のシワが一箇所に集まり悲鳴をあげている。

「なんだ。キツイじゃないか。」

再度、僕の声が音になる。

隣の女性がチラッと僕を再度、見る。

もう一度、指輪を抜こうと引っ張る。



「ムゥオムゥオゥ」



シワが増えるだけだ。


「これやばいかも。」
どうしても声が音になってしまう。どうせ、日本語なんて誰もわかんないんだ。



そうやって何度も何度も指輪を引き抜こうとするが、指輪は「君は何をしているんだ。君のわき腹についた贅肉が重力に負けて落ちそうになるのを僕がしっかりと締めて持ち上げているんだよ、乗っかってくる君の方が悪いんじゃないか、ちゃんとわき腹に言っておいてくれよ。」と言うベルトのように堂々としている。僕の姿を消すような特殊能力もないくせに。


そうやって、声が音になったり、擬声語を並べながら一生懸命、僕はその指輪を外そうとしていた。横にいる女性はいつの間にかいなくなり、その代わりにゴラムがいた。いや、いない。

僕は一生懸命、でも少し涙目になりながら、Mさんが近くにいないか探す。
もうこれは一人ではどうしようもない。


「おい、M、なんでこんな大事な時にいないんだ!」

ジェームズボンドが危機に陥った時にも実際、Mがそばにいたことはない。Mなんて所詮そんなものなのだ。


・・・とにかく、一人で20分ほど、戦ってみたが、やはりどうしようもない。僕は時計からミサイルが出るような特別な機器をQからもらっていない。
・・・そして、Mの奴も現れない(相方のMね)。このままこの場所を離れるわけにはいかない。大聖堂内で窃盗なんて、宗教者でないにしても、なんか天国にいける気がしない。そんなものがあるのかは知らないけれど。


それから5分ほど、いろんな音が僕の頭上に浮かび、そして消え、僕は沈黙した。

大きく息を吸い込み、それからゆっくりと息を吐いて、一体全体この指輪はいくらするんだろうと、確認してみた。うん、5ユーロか・・・。いいじゃないか。お金の問題じゃないけれど、もう・・・

「いいじゃないか。」

これは音になっていたと思う。僕はそのまま、初動負荷で柔軟性を極限まであげたアスリートのように、肩を普段より格段に落とし、右手の人差し指に指輪をはめたまま、ショップの支払いカウンターへ向かった。


店員さんは、僕を見た瞬間に英語で話しかけてきた。なんでイタリア語じゃないんだ。


僕はおもむろに財布を取り出す。


店員さんは、金額を確認しようと僕が購入しようとしている商品を大雑把に探す。


僕はそのまま、お札を取り出す。


店員さんは、少し真面目に商品を探す。


僕は、5ユーロをカウンターに取り出した。


店員さんはきょとんとしている。


僕は、話せないイタリア語も話せる英語でも何もいわず、ただ、コミュニケーションをとりたい、ETのように、右手の人差し指を店員さんに見せた。店員さんが人差し指を出してくれなくたって構わない。


そして、沈黙が、世界を覆う。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で沈黙を感じることができれば(雑な言い方だけれど)、世界の30%は沈黙したことだ(ということでいいんじゃぁなぁいのか)。


沈黙を破るように、『サン・ピエトロ大聖堂』内で店員さんは吹き出した。唾が僕の顔にかかる。聖なる唾だ。いや、違う(すみません)。世界の30%代表として、彼は吹き出した(ということでいいんじゃぁなぁいのか)。


僕は、「はい、そうです。この指輪がとれないので、購入することにしました。」と質問されていないのに、丁寧に回答し、お金を置いてショップを出た。レシートも受け取らずに。

そして、ショップを早足で出て角を曲がった瞬間に、Mの野郎に会った。


「今までそのショップにいたのに」だそうだ。


神のご加護もありゃしない。

一連の話をしながら、そして笑いながら(Mが)僕らはサン・ピエトロ大聖堂を出て、中央広場に向かう人のうねりにまた合流した。話の落ちで僕は、「な、この指輪取れないんだよ。ホテルで石鹸で取れるかな」と言いながら、指輪を引っ張った。

「ムゥオムゥ」も「ムゥオムゥオゥ」も一切の擬声語もなく、指輪は綺麗さっぱりとれた。と同時に話のオチも永遠に失われた。そして、その場の時も少しとまった。スタープラチナ・ザ・ワールド。ここは世界の30%の中心だ。



なんのことはない、指輪は大聖堂を出れば外せるのだ。


ローマ



僕は、その件を結構雑に、久しぶりに会った弟に話した。それでも笑いはあった。オチは永遠に失われたわけではなかった。
もしかすると、カンヌという二人にとって今は特殊だったその場所が、それを許してくれたのかもしれない。


僕は、5月の中旬に弟とカンヌ映画祭で2年半ぶりの再開を祝った。


彼は、『ニワトリスター』という映画を携えて。


そして僕は、その弟に会うためにカンヌへ向かった。

その時期のカンヌという特殊な環境に少しだけ胸を躍らせながら、だけど未来から聞こえてくる『沈黙』の足音を微かに耳にしていた。


カンヌで弟との再開



つづく


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