Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

沈黙と灯り②

沈黙と灯り
『沈黙と灯り①』の続き

カンヌ映画祭は、おそらく三大映画祭(ヴェネツィア、ベルリン、カンヌ)の中でも日本人にとっては一番有名な映画祭だろう。

あまり、映画を見ない人だったり、映画産業に詳しくない人でも「カンヌ映画祭」は聞いたことがあるはずだ。
日本にいるときに僕の周りでカンヌ映画祭を知らなかった知り合いは皆無だったと思う。


でもこちらでの僕の周りではそうでなかった。

もちろん、役者仲間や業界の知り合いはカンヌに行くと言えば、「あの作品がカンヌに選考されたの?」とか「招待?」とか今の僕ではまだまだ想像のつかない質問が返ってくることがあったが、そうでない知り合いからは、「え?ビーチ?」とか「南仏でまったりとかいいなー」とか「なんでニースじゃないの?」という質問が返ってくる。



これには少し驚いた。ロンドンに住んで長らく経つけれど、実は奥底で燻っている<自分にとっての当たり前>でまだ、驚くことがあるんだということに驚いた。完全に鎮火しているものだと思い込んでいたから。



気温8度のロンドンの早朝を後にし、気温25度のニースに正午あたりに到着する。
カンヌまではニースからバスで30分ほどだ。



完全に間違えた服装をトイレで着替え、バスを待つ。そして、バスが到着した瞬間に一番乗りで見晴らしのよい最前列の席に座った。南仏なのだ。いわゆる人が語る南仏は地中海沿いなのだ。バスから見る景色はそれは美しいんじゃないかと僕はワクワクした。



そして僕の後に乗り込んできたサングラスをかけた妙齢の女性が「ここいいですか?」といきなり僕の横に座ってきた。



僕は喉の奥から声にならない音を少し出し「いいですよ。」と言った。



このバスは両サイドに二人掛のシートがある一般的なバスだ。僕の布陣する1席を残し、すべての席が空いている。景色を楽しみたいとしても、逆側のシートはもう二席空いている。日本のバスのようにクーラーがガンガンに聞いているわけではないから、驚き相まって汗がほんのり滲んでくる。

これは一体全体どういことだ。

妙齢の女性は、暑そうに手を団扇のようにして仰いでいる。

おいおい、じゃぁなんで、がっつり僕の隣に座るんだ。



「暑いわね。」



・・・思えばこれが始まりだったと思う。この出来事が、僕にきっかけをくれた。カンヌを見極めるきっかけを。



彼女は、マドリッド在住スペイン人の役者でプロデューサーで、監督でもあり、とても忙しい人物だそうだ。
確かに非常に忙しそうだった。僕と話をしている途中にも何度も電話が鳴った。



「うん、そうなの。そうよ。ちゃんと鍵をもらわないと困るんだから。」と英語とフランス語とスペイン語を混ぜて話していた。



僕がいったい誰と話しているんだとサングラスの奥に潜む何かを興味本位で眺めていると「フラットを借りるのよ。でもね・・」と何か話そうとする度に電話の相手に注意を奪われていた。

結局、会話が始まろうとする度に電話がかかり、電話が終わって話をしようとすると、電話がまたかかってきた。
とにかく忙しそうな人だ。いや、忙しい人なんだと思う。


バスが、カンヌに到着する時もバス停に停まるためにバスが旋回し始めると「え?なにこれ、どこに行くの?ねぇ、運転手さん、一体全体どうなってるの?」と言葉を散らかしまくっていた。

バスの運転手はこういうのに慣れっこなのか完全に無視だ。


結局彼女は、そのまま降りて「電話番号を交換したから、また連絡するわね。カンヌは楽しいわよ、楽しんで。」という言葉を散らかして去って言った。

後ろ姿を眺めながら僕は、ペンフィールドのホムンクルスを思い出した。

カンヌの駅前に到着してから弟に連絡を取り、約3年ぶりの再会を果たした。

本当は、2015年末2016年始に日本に帰りたかったのだが、南アフリカでの撮影の日程がギリギリまで決まらなかったから(ハリウッドだってこんなもんだ)、結局タイミングを逃したから、この時期に弟に会えたのは良かった。

弟は、プロデュース作品『ニワトリスター』のプロモーションでカンヌに来ていた。

ニワトリスター製作に関わるたくさんの人たちに会うことができ、弟の今を体感することができて、兄としては嬉しかった。その中に作品にも出演されているシャックさんという方がいる。


弟と関係者たち(久しぶりに日本の業界人)との会話は、日本の「ネチネチ」度を思い出した。これは、こちらの業界にはないものだ。意図的にこのネチネチ感が生まれないようなシステムになっている。

ネチネチ感という人と人をつなぐトリモチのような引力は、自動的に「貸借り」「恩」を媒体とし、二次的段階として「情」を生む。そして三次的・最終段階で個を埋没させる。

その発生手段と到達目標が、いわゆる西洋的価値観とまったく相反する。そのため、こちらの業界では、引力が生まれる隙すら与えない。

ネチる隙がないのだ。

シャックさんと合流したのは、カンヌ駅から5分ほど離れたところに借りているアパートだった。
(さっきから、「かんぬ」を変換しようとして間違えて「かんう」とタイプして、何回も「関羽」が出てくる。少しうっとおしい。美髯公は少し黙っててほしい。)


張飛のように(本当か?)小柄な体にすごく大きなスーツケースを抱えて少し疲れた顔で、初めましての挨拶をした。
僕はイギリスからなので、数時間で楽な旅だったが、シャックさんは乗り継ぎを含めて数十時間の旅だったらしく、疲労が顔に出ていた。

くたびれているはずなのに、声は大きい。やっぱり役者だ。

早速、弟にその日の予定を確認する。僕はただ、弟に会いに来ただけだが、弟は『ニワトリスター』のプロモーションでカンヌに来ているのだ。

キーポイントは、プロモーションだ。

カンヌ映画祭のメインスクリーンでは、選ばれた映画が映画祭期間中公開されている。チケットが当選するかどうかはほぼ運のようだが、夜の決められた時間の上映会のみ、正礼装をする必要がある。男性はタキシード、女性はイブニングドレスだ。そして、レッドカーペットを歩く。チケットを持っている人は、順に並びそのレッドカーペットを歩きながら、劇場に入っていくのだ。


客は、色んな灯りに照らされて、そのレッドカーペットを歩く。


「シャックさん、用意は万全ですか。」

「おう、もちろん、ちゃんと持ってきたよ。」

そう言ってシャックさんは大きなスーツケースから服を取り出した。すると、スーツケースの中身が一気に空っぽになった。折りたたみ式のスーツケースの片方は着物だったのだ。それは、『ニワトリスター』でシャックさんが演じているバーのオカマオーナーの衣装だった。


「これで、レッドカーペット歩くんだよ。」


メインスナーでいうところの蛇だな、僕のキャラクターは。そうシャックさんは言っていた。


シャックさんのレッドカーペットは夜の11時だったので、僕らはそのあたりをブラブラして、ワインバーを見つけて入った。そこで、Le Clos 2014という白ワインを飲んだ。「ローカルワインで作っている量も少ないので、レアなワインですよ」と店員さんが言ってくれた。一年に2900本しか作っていないらしい。

一般的なワイナリーの生産量を考えると驚異的に少ない。イギリス時間(サービスにかかる時間は日本の3倍くらい遅いと思ってくれればいい。)よりも少し遅い今だけのカンヌ時間で店員さんは対応してくれた。

フレンチオークの香りと汗を一気に抑えてくれるような清々しく爽やかな舌触りで、喉を通るときにもう一度、飲み始めるときの香りがする。非常に美味しいワインだった。結局その後、僕らはほぼ毎日このバーにきて、このワインを注文した。最終的に二日間で僕らは、2900分の4本を飲み干した。


この1862というワインバーは、日中に賑やかなカンヌの街から不器用な手で一生懸命にハサミで切り取り、少し静かな部屋の隅にそっと隠しておくような、僕らにとって沈黙のオアシスとなった。
大きな通りから一本離れたところにあるが、決して静かな通りではない。しかし、店の入り口のすぐ横、路地の窪んだところに少し高めの小さな丸テーブルとストールは、ネチネチとした引力を吸い込み、柔らかさだけを残し、相殺してくれる空気を持っていた。


必然的に僕らの会話も、引力のない爽やかで透明なものになる。


そこでは、『ニワトリスター』の感想から始まり、自分たちが今、どこにいて、これからどこに行きたいのか。そしてどこに行くべきなのかを心ゆくまで話した。2泊3日で滞在したカンヌで、どの日にどの会話をして、どの時間にそこのバーにいたのかを厳密に思い出すことはできないが、どんな会話をしたのかはしっかり覚えているし、ワインの味も、周りにいた人もあたりのレストランから香るトマトソースの匂いも覚えている。ただし、時間の概念ははっきりしない。そういう場所というのは実際に存在するし、そういうところには、灯りにたかる虫のように人も集まる。


弟とは、そのあとプロモーションに関わるパーティーに出るために別れた。そして、シャックさんと夜ご飯の食事に出た。

赤ワインを一本頼んだが、シャックさんはレッドカーペットでのパフォーマンス(個人的な)があるので、「やめとくわぁ」と、また少し大きな声で言っていた。僕らが日本語で会話するたびに、周りにいる人たちが少しこちらを見ていた。
声の大きな聞き馴れない言語は耳につく。

スリーコースにしてはかなりボリュームの多い夕食をすませた後、僕らはアパートに戻った。

アパートに戻る通り道に小さなお店があり、そこで僕は白ワインを買って帰ろうと思った。最初に目に付いた非常にリーゾナブルな値段の2014年のシャルドネを購入した。
アパートについた後、僕らは少し休もうということで、横になった。



おそらく即睡眠の闇に覆われていたのだろう、気がつけば外は暗くなっていたし、何よりも、「あーら、お兄ちゃん、目が覚めたの?」と芯の太い声で、話しかけられたことで、一気に目が覚めた。


シャックさんがレッドカーペットの準備を着々と行っていた。


まず最初に声が代わり、それから動きがなまめかしくなり、カツラをかぶり、メイクをし、着物を来た。

ちょうど弟から、連絡がはいる。「こっちもパーティーが終わったから、会場で会おう」と。

気がつけばもうすぐ10時半になろうとしている。シャックさんはキャラクターのまま少し焦りながら、背中のボタンをとめてくれといった。

携帯だったり、財布だったりシャックとしての荷物を黒のリュックの中に入れ、ママとして黒の煌びやかなクラッチバッグを肩から下げる。中には何も入っていないが、ママとしての過去の思い入れや未来に対する希望を詰め込んでいるんだと思う。役者はそういうことをする。

二人で会場に向かって歩いている間、何人の人に写真をとられたかはわからないし、何人の人に話しかけられたかわからない。

ママシャック2


フランスのどっかだか雑誌だったり、カメラマンだったりに声をかけられたりした、その都度、シャックさん、いや、バーのママは、上機嫌で対応していた。お酒がはいって少し良い気分になっていた僕も、ママに対し、きちんとママとして対応した。

「おにいちゃぁーん、このあたしのリュックもっててくれるぅ?」

そうやって、少しずつシャックを脱ぎ去り、どんどんママへと脱皮していく。確かに、メインスナー的に言うと蛇というのはあたっている。立派な、脱皮だ。



ママシャック1



弟たちと合流し、上機嫌のまま、ママさんはレッドカーペットへ続く人だかりの方へ歩いて行った。僕らは、外からママを追いかける。綺麗に着飾った老若男女の波を扇子で仰ぎながらママが優雅に泳いでいく。時折、「私、綺麗?」と日本語で話かけている。声が大きくて僕らも十分に聞き取れる。さすがはシャックさんだ。いや、ママ・・・さん。

そのまま、人の波にのり、レッドカーペットの階段を上がり始めるママ。僕は知らないけど、有名そうな男性だったり、スタイル抜群で綺麗な女性だったりを抜き続けるカメラが、ママをとらえる。


大画面にママが映り込み僕も弟もその快挙に、声をあげる。


「ママ~!」「シャックさーん!」


その人の波に乗りながら優雅に踊り続ける。ママの扇子は体の一部になり、体の周りを優雅に舞う。「ママ、綺麗だよ。」とおそらくカメラマンは心の中で言っていたに違いない。


ママは皆の注目を浴びながら、そのまま会場の中に消えていった。



ママシャック3




キーポイントはプロモーションだ。


僕らは、ママからもらった恍惚感で体を覆い尽くし、そのまま適当なバーに入り、ビールを頼んで大いに盛り上がった。シャックさんはここにはいなかったが、確かに彼は僕らの会話の隙間と隙間にいた。ビールの後に頼んだ赤ワインとチーズも隙間にも。そこで口に入れるものは何もかも非常に美味しかった。


環境や出来事、過ごす人たちによって、味覚は大いに変わる。


シャックは映画が終わったら電話してくるだろう。その時に話をするのが楽しみだとみんな鼻息を荒くしていた。作品によっては3時間ほどある映画もある。シャックさんがどの映画を見ているのか僕らは知らなかったが、とりあえず1時くらいまでは出てこないだろうということで、僕らはそのあたりで飲んでいた。



結局1時を過ぎても、シャックさんから連絡はなかった。いや、ママというのが正しいか。僕らは、それから小腹が減った胃を落ち着かせ、さらにビールとワインで余韻に乾杯したが、待てど暮らせど、連絡がないシャックさんのことを少しずつ忘れていった。関係者が会場に様子を見に行ったが、誰もまだいなかったそうだ。まだ映画が終わっていないのだろう。


僕らはそのまま飲み続けた。もう3時頃になったくらいだろうか、店を出る時に、「レオさん、カバン忘れてますよ。」と弟の知り合いが言ってくれた。


「あ、すみません、完全に忘れてました。」

危ういところでカバンを忘れるところだった。

「そんなに酔ってるんですかぁ。」

もうみんな上機嫌だ。

「いやいや、このカバン僕のじゃないんですよ。」

僕はあまりカバンは持たない。

「あー、それリュックだ。じゃぁ、誰のなんですか?」

そう、これはリュックだ。

「えーっと、シャックさんので・・・」

「あ!」

ママは、シャックのすべてをこのカバンに置いて行ったのだった



失礼ながら開けてみると、リュックの中には携帯電話や財布を含むシャックを形成する何もかもがある。


朝の3時になろうかという時間、それからカンヌという場所が僕らの心に緊急性を現実化することができない。緊張感のなさがアパートに帰っているだろうという結論を容易に導き出す。


ママは、鍵を閉めたはずだからだ。クラッチバッグの中には夢と希望以外にも、アパートの鍵が入っているはずだ。


そうして、僕らはゆっくりとアパートに帰った。

誰もいないアパートで僕と弟は、シャックさんを心配しながらも、前もって買っておいたシャルドネを飲み始めた。爽やかな口触りが、開け放たれた窓から入り込んでくる涼しい風と相まって、疲れを癒してくれる。


連日の疲れからか弟はすぐにベッドに沈み込んだ。

僕は一人リビングで、シャルドネを味わいながら、窓から入り込んでくる風に音に耳をすませていた。



4時にもなろうかというのに、まだ外からは車のクラクションが聞こえてきたり、人の笑い声や、咳払いが聞こえる。少し強い風が吹くと窓の桟が震えて、カンヌが海沿いであることを思い出させてくれる。

ブルブル、ガタガタという音に紛れて、微かではあるが、かぼそく人の声が聞こえる。

僕は、あまり気にせずシャルドネを舌の上で転がしてみたり、なんとか英語でうまくこの感覚を表現できないかを考えていた。それから、携帯電話をさわり今日撮った写真を眺めていた。


「あー、シャックさん面白かったなぁ。」


という声が出たところで、まだシャックさんが戻ってきていないことに気がついた。


遠くから「おにいちゃーん」というか細い声が聞こえる。


空耳だと思い、僕はまたワインを飲み続けた。


やはり窓の方から、「おにーちゃーん」という声が聞こえる。


飲みすぎたワインで少しふらつきながらも、僕は窓に近づき、外を眺めてみた。


ママがいる。ヒールを脱ぎ、カツラも斜めになり、疲労困憊で声も太くなってしまっているママ、いやシャックさんがそこにいた。


僕は急いで階段をかけおり、ドアをあけシャックさんを迎え入れた。


初めて会った時の数十時間のフライトで疲労困憊な表情だったシャックさんの表情がそこにはあった。

話を聞くと、どうやら映画がかなり早く終わり、僕らが会場近辺にいないこと、それから、自分の荷物がまったくないことから、パニックになり、僕らを探し回ったそうだ。アパートにも戻ってきたが僕らはいなかったし、そのまま会場近くの公園で、半分ママ、半分シャックさんで、ぼーっとしていたらしい。

本人曰く、魂が抜け切った状態だったそうだ。

いやらしい目つきをした男の人が何人か自分をチラチラ見ていたから、生命と尊厳の危機を感じ、最後の賭けでもう一度、アパートに戻ってきたら、窓から灯りが見えて、涙が出るほど嬉しかったそうだ。

僕は、丁寧に謝り、そして、前もって許しをえて、腹を抱えるほど笑わせてもらった。さすがは役者さんだ。

役者というのは物語を生きる人間だ、そして一度物語を生きると、その物語を見た、または感じた人間が、どのように反応したところで、構わないのだ。役者は生き様だ。


「笑ってもらえて嬉しいわ。」

シャックさんはそういった。


弟も翌朝、話を聞いて腹を抱えて笑った。


シャックさんはもう一度、「笑えてもらって嬉しいわ。」と言った。




カンヌという場所は、この時期、フランスという国からも、それから地理的にも数センチメートル浮き上がっている。そこにいる人も、起こる出来事も、数センチメートル浮き上がった上で、起こっている。

その数センチメートルの隙間は、沈黙が支配している。

きちんと目を凝らし、足の裏でまさぐるように存在を探さない限り、沈黙の存在に気づくことはない。そしてその存在に気がつかずにいると、カンヌを見誤ることになる。そして、そのしっぺ返しをうけることになる。


カンヌと呼ばれるこの場所は、この時期にはカンヌという事象となる。


それは、カンヌという地域の本質が、人によって出来事によって歪められ、捻られることで、カンヌという事象が産声をあげる。しかし、この時期にそこに訪れる人々は、もちろんそこをカンヌという場所だと思っている。そのカンヌという場所とカンヌという事象の隙間数センチメートルに、しっかりと息を殺して沈黙は潜んでいる。

その沈黙に灯りをもって、望むことができるかどうかで、世界を見る目は変わってくる。




ロンドンに戻ってきた時、夜にも関わらず気温は15度まで上がっていた。5月の夜で15度も気温があるのは、ロンドンにしては上出来だ。

ヒースロー空港からの帰り道、携帯電話から飛び込んできたニュースは、イヤホンから音楽を聴いていた僕の聴覚を奪い、危うく視覚すら奪おうとした。

『沈黙』は、僕を覆い尽くそうとしていた。世界には、一つの種類の沈黙しかない。地域と事象の隙間数センチメートルに存在していた沈黙の存在に気がついていた僕は、僕を覆い尽くそうとしていた『沈黙』に対し、灯りを灯した。


一度、席を立ち上がり、イヤホンを耳から外し、荷物を自分の横の座席に置き、目を閉じた。

両手を地下鉄の天井につきそうなくらい高く伸ばし、くすんだ空気を鼻から思いっきり吸い込んだ。

それから、自分の心臓の鼓動を感じ、皮膚をつたう空気の振動に耳を凝らし、一気に目を開けた。


眩しい光が僕の目を刺し、そして、沈黙はいつの間にかいなくなっていた。




人は灯りを生み出すことができる。その灯りで自分の周りを照らしながら歩いていく以外、自分の人生を生きる路はないのだ。



僕は元気でやってるよ。元気でやってけよ。



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