Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

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もうウォッカは飲みたくない。

せっかく10周年を祝って誓った毎月の更新が、例年で一番最低な頻度に陥ってしまってます。

みなさん、お元気ですか?Leoです。

僕は物書きではないから書くことから離れてしまうと、実際に何を書いたらいいかすぐわかんなくなっちゃいます。今も、ブログを書こうと思ってふと何を書くか考えても思い浮かばなかったり、またどーせ独りよがりの下らない説教くさい話を書いてしてしまうって考えると、気が重くなって「他にやらないといけないことあるし」と、そちらを始めようとしたんだけど、結局そっちもしばらく手を離してしまっていたから、どこから始めたらいいかわからなくて、それにそっちはたぶん一回、脱線した電車を線路に "グンっ" って戻したら、そのまましばらく走ってしまわないといけなくなるから、まずはやっぱりブログからと思い、書く内容はまったく考えず、とにかくこうやって書いてます。


「うわぁ、読みにくいな(↑)ごめんなさい。」


さて、どこから始めたらいいのか正直なところわかないけれど、前回のブログ以降の自分を回想しながら、いつもみたく物語っぽくせずに、思うままに徒然と書いていきます。あぁ、「映画草子、徒然と。」って昔書いてたのが懐かしいな。


カンヌ映画祭から帰ってきた後、すでにロンドンには少し早い夏がやってきていた。近頃は30度を超えるような夏日が数回はあるくらい、昔のロンドンに比べ夏が夏らしい。あくまで僕にとって夏らしいというだけで、イギリスにとってはイギリスらしい夏ではないのかもしれないが。

6月は、毎年恒例Mの誕生日旅行の準備以外他にはあんまり思い出せない。
Mの誕生日は7月上旬だからその時期に10日ほど旅行に出る。一昨年、去年とロードトリップにどハマりしてしまった僕らは、今年もロードトリップを選んだ。

場所はイストラ半島だ。

日本からするとあまり馴染みはないかもしれないが、クロアチア北部、ヨーロッパで一番美しい街と言われるロヴィニもイストラ半島の突端に位置している。スロベニアの国境を下ったところからそのままアドリア海に向かって進み、ちょうどアドリア海をはさんでヴェネツィアの反対側に位置するのがロヴィニだ。


ロヴィニ


僕がロードトリップをするにあたって絶対に欠かせない要素は、ワイナリー巡りだ。
これだけは尋常じゃない距離を運転するご褒美として入れ込みたい。あまり知られていないけれど、クロアチアワインは非常に美味しい。
TeranやPostupと呼ばれるブドウなんて個性的で、思い出すだけでヨダレが出るくらい。
ただ、スモールプロダクションなので、海外に出ることがあまりない。

そこで、ロヴィニを最終目標地点とし、ワイナリーを入れ込んだロードトリップを考えた。

結果、ロンドンからクロアチアの首都ザグレブに飛び、そこからスロベニアの首都リュブリャナへ行く。その後もう一度国境を下り、イストラ半島へ向かうという旅を考えた。

僕は、だいたいある程度場所が決まるとその地域をグーグルマップで調べて、いい感じの町がないか探す。
そこでリストアップされた町が、天空の町モトブン(いや、マジで山の頂上にあるんだから)、芸術家の町グロジュニャン、海の砦ポレッチ、世界一小さな村ハム、コロシアム遺跡プーラ、港町リエカだった。


モトブン



グロジュニャン



そしてこの旅の最終にして真の目的はMが夢見て止まなかったプリトヴィッツ湖畔国立公園に行くことだった。これも首都ザグレブから数時間の距離だ。

場所が決まると、どうやって回るのが一番良いか、宿を決めたりとプラクティカルなことを考えなきゃならない。正直なところ、元来僕は予定を組むのが苦手だし、好きじゃない。キッチリビッタビタで遊び心がないのは、面白くない。予定は未定が一番いい。
ただ、このご時世は「事前に」何かをすると何もかも基本的に安いのだ。それに限られた時間の中でできるだけたくさんのものを見て、たくさんの酒を飲んで、たくさんの美味い飯を食うには前もって予定を組むことは必須だ。

心の中では・・・1ヶ月ほど完全に休みをとる。休み初日の朝、起きる。そして空港に行く、空港で適当に片道のチケットを買い、着いた先で車を借りる、どこでも車を放置できる契約を結び、とりあえず近くの町に行く。毎朝起きてからその町に残るか移動するかを決める。そんな、なんていうか行き当たりばったりな、昔一人旅をした時のような旅に憧れるが、財布と時間がそれを許してくれない・・・今のところ。

とにかく、この10日間という風呂敷に入れるにはちょっと大変な数の町をどう周るかを考える。

それから、イストラ半島にはたくさんの有名なワイナリーがあるので、そこをどう周るかも考える。

さらにイストラ半島は海の幸も山の幸もきのこも、キノコも、なんてったってキノコが有名だからそれをどう平らげるかを考える。ちょうど黒トリュフの時期だ。

最後に、夏なんだからビーチを楽しむことを、閉じた風呂敷の隙間に無理やり詰め込む。

町の歴史や文化に関してはあんまり、前もって調べない。
僕らは基本的に町ではウォーキングツアーに参加し、足と目で、体で町を感じるようにしているからだ。

というわけで、これだけを細かく決めて、段取りを組んでという作業は思ったより時間と頭を使う。出来上がった「旅行のしおり」をみて僕はいつもため息を先につく。それから全身に実感と喜びが湧き上がってくるのを正面から受け止める。


頭から出る湯気



さらに10年来の友達が結婚するためStag doという飲み会を企画する必要もあった。スタグ・ドゥというのは、新郎が婚前に男のみで催す最後の男祭りだ。それが7月末に予定されていたからその人数集めだったり、場所とホテルをとったりしなきゃいけなかった。場所は結局、オランダのアムステルダムになった。

他の候補地も出たけど、すんなりとアムステルダムに決まった。

友達Aと出会った10年も前に、「お前のスタグ・ドゥには絶対アムステルダムに行こうな!」と約束していたので、僕は何度もそれまでアムステルダムへ行く誘いを断っていた。それもあって、やっぱり僕に企画を任せた以上、場所はアムステルダムで皆、異存はなかった。

アムステルダムに行くのは、Aのスタグ・ドゥだと・・・で、それが現実になった。


思いを育み、かすかに見える狼煙に向かって行動に起こせば、物事は音もなく目の前に現れるのだ。


6月は、普段使っていない脳みそをふんだんに使い、頭から出る湯気が冷めないうちに終わっていった。

そして、7月。7月の上旬にはMの誕生日旅行・ロードトリップに出かけ、スロベニアのワインと食事に感動し、大雨で視界ゼロを運転し、国境越えを3度も失敗し、魚介類が美味しすぎて、食べ過ぎて体調を崩し、マルコ・ブラジョコビッチという芸術家と仲良くなった。Mの作品を見て気に入ってもらい、絵画を譲ってもらった。プリトビッツ湖畔国立公園を(肩に妖精を乗せながら)丸一日かけて歩いた。透き通った水とたくさんの滝と生い茂った緑に頭がクラクラし、ぐったりするほど汗をかいたが、身体中の血液が入れ替わったような気がした。

今までのロードトリップとはまた一風変わったものになった。(詳細はまた別の機会に。)

プリトビッツの一番有名な風景ベタだけどこれで。



7月中旬は、ロードトリップの浮世離れ間から現実に足をしっかり戻し、下旬には男10人(平均年齢35歳くらい。しかもこの中で結婚しているのは新郎を合わせて二人だけ!)でアムステルダムに向かった。

僕の腕時計を盗もうとした下手くそなスリに説教をしたり、スプリンクラーのように嘔吐を撒き散らす奴がいたり、ずっとそばにはビールがあった。他の酒を飲もうなんて話にもならず、誰が何をいうわけでもなくビールを飲んでいたし、最年長のスコットは何か喋ろうとすると、「Shut up Scott(黙れスコット)!」と弄られ、みんなケタケタ笑っていた。


それに念願だったゴッホ美術館にも行くことができた。


僕は今までにゴッホの生誕地、オランダ、ズンデルトにも行ったことがあるし、ゴッホと弟テオの墓があるフランス、オーヴェル・シュル・オワーズにも訪れた。そしてようやくアムステルダムのゴッホ美術館で20年ぶりに、ゴッホにハマったキッカケになった『花咲く桃の木』を見ることもできた。


僕のゴッホを巡る一つの旅が20年の歳月を経て終わりを迎えた。


男祭り



7月末になり、クリストファー・ノーラン監督の【ダンカーク】という映画を見て、イギリス人の国民性を再確認したような気分になったし、地海空から異なった時間軸で一つの物語を語る手法に、自身を常に高めようとする監督の姿勢に感化された。それからイギリスに留学していた知り合いと食事に行き、最後に普段は言わないような少し厳しい言葉を丁寧に彼の両肩に乗せた。

そうしているうちに7月はあっという間にすぎ、僕は7月末に間に合うようになんとか前回のブログ、5月のカンヌ映画祭での出来事を書いた。

8月は中旬まで声の仕事で忙しくしていたが、Aの結婚式のため、リトアニアの第二都市カウナスへ行く準備をしていた。また、カンヌで会った方とは別の弟が1ヶ月ほど遊びに来ることに胸を躍らせていた。同じくもう3年会っていない。

弟はリトアニアへ発つ前日の夜にロンドンへ到着した。

僕も弟もMも数時間寝ただけでまた空港に向かった(別の)。弟は睡眠は若さでカバーすると言っていたわりには、会った瞬間に「あれ、こいつってこんな顔してたっけ」と思うほど、疲れていた。

そして、やはり疲れていたんだなということは、カウナスでしっかり睡眠をとった寝起きの顔をみてよくわかった。

初のヨーロッパ旅行でリトアニアの結婚式に参加し、田舎をみることなんてそうそうできないだろう。

Aは、数年前に紹介した彼女と結婚することになった。父親は例のハンターだ。もう10年来にもなる莫逆の友がこうやって幸せな結婚式を迎えることができて本当に嬉しかった。

結婚式の当日は、目頭が熱くなったほどだ。やっぱりスコットはみんなから黙れと言われていたけど。

リトアニアの結婚式には、二つの大きな柱がある。この柱はびくともしない。

一つは二日間続くこと、もう一つはウォッカを飲み続けることだ。

金色のフォイルに包まれた高級感のあるウォッカ。

カウナスのタウンホール(市役所)で入籍届に署名し、すぐそばの大聖堂で結婚式をあげ、それから100kmほど離れた田舎のホテルで披露宴をあげる。
高砂に新郎新婦と仲人(Aは姉、新婦は兄)が座り、知り合い同士が丸テーブルを囲み食事と余興がある。火力が半端ない花火もあがる、もちろん屋外で。それが終わると、披露宴会場は日が昇るまでクラブと化す。好きな時間まで酒を飲み、好きな時間まで踊り、疲れた者からホテルの部屋に戻っていく。

新婦のおばあちゃんはもう90歳近いにも関わらず、3時頃まで踊っていた。

ホテルの周りには一切光はなく、少し歩いて丘を越え、ホテルの光が届かないところまで来ると空に隙間がないほど埋め尽くされた星が見える。目をこすって、もう一度見ても、星の数は減らない。天の川を日本の田舎でも見たことはあるが、緯度の高く、空気の澄んだ、人工的な光のないこの場所では、星の絨毯が当たり前のように毎晩人々を照らしているのだ。

星々は、今にも降り注ぎそうなほど、眩く光り輝いていた。


翌朝、部屋を出てみんなの様子を見るためホテルを出た瞬間、ウォッカが僕を待っていた。

酔っ払ったらどうしようもないピーターは朝からウォッカを飲んで、すでに酔っ払っている。厳密に言うと酔いが冷めていないだけだ。

そして、「池で泳ごう」と言った。


僕は、眠気とまだ少し残っている酒のせいで、彼が言っていることがあまり理解できなかったが、そのまま彼について行った。彼の言っている池は、僕が昨日釣りをしていた池だ。ホテルに移動した際に、時間が少しあったので、見つけた池で釣りをした。結婚式用の綺麗なスーツを着て釣りをすることになるなんて、まさか夢にも思わなかった。で、釣れなかった。汚い小さな池だ。綺麗に整備された芝に、取り残された少し見放されたゴルフ場にあるような小さな池。

池を見た瞬間ピーターは飛び込んだ。

そして、結局のところ、僕も、弟も、トムも、みんな飛び込んだ。トム(T)は前回リトアニアに来たときには、足を捻挫していたから、池にも飛び込んでいない。ついにリベンジだ。


池からあがってまたウォッカだ。シャワーを浴びて朝食を食べにレストランに向かうと綺麗に着飾った新婦のおばあちゃんは赤ワインを飲みながら、朝食を食べていた。・・・さすがはハンターの母親だ。



そのあと、もう少し少なくなった人数でカントリーハウスへ移り、宴は続いた。


このジャグジーに川の水をポンプで組んで入れる



新婦の父、ザ・ハンターが僕と弟とMを狩りに連れて行ってくれた。銃はもっていない。

気配を消し、歩いて野生の鹿をハントする。僕たち三人は足音がとてもやかましいのに、ザ・ハンターは190cmもある図体で地面から2cmくらいは浮いているような足取りで静かに足音もさせず歩いていく。
僕と弟は、「絶が足りなかったな」と互いに行って慰めあった。

ザ・ハンターが鹿を見つけた時に僕らに見せた笑顔は忘れられない。



川の水を汲んでジャグジーに入り、みんなでウォッカを飲んだ。


キャンプファイアーにあたり、みんなでウォッカを飲んだ。


悪酔いしたピーターの罵詈雑言にキレながらも、みんなでウォッカを飲んだ。


ジャグジーから落ちて頭をきった奴(アムステルダムでスプリンクラーのように嘔吐したのも彼だ)が救急車で運ばれ、ウォッカを飲んだ。


救急車がぬかるみにはまり、動けなくなったのをピーターが後ろから押し、そのまま2回転くらいしながらこけたのを見ながら、みんなでウォッカを飲んだ。


スコットがザ・ハンターにつかまり、いっぱいウォッカを飲まされていたのをみて、みんなでウォッカを飲んだ。


そのままザ・ハンターが、5度くらいしかない一晩の間中、地面でうすい毛布をかぶり寝ているのをみて、ウォッカを飲んだ。


翌朝、起きたらすぐに少しはの抜けたおじさんがウォッカを持ってきた。

しかたなく、僕らはまたウォッカを飲んだ。


ぬるいビールかウォッカなら、ウォッカを選ぶしかなかった。


翌日の朝、近くの川で釣りをしたら、赤とんぼが僕の頭にずっと止まっていた。
何度離れても、最終的には僕の頭の上で休んでいた。一晩で僕は絶をマスターしたようだ。


そうやってリトアニアの8月がすぎ、9月を迎えた。


たて続けにオーディションが入り、弟とMに手伝ってもらってセルフテープをとったり、弟と一緒にいつものトレーニングをしたりした。グリニッジで子午線を手刀で切ったり、リッチモンドパークで鹿を眺めたり、中世の村ライで美味しいフィッシュアンドチップスを食べたり、ビーチヘッドで断崖絶壁の海と、境界線を失うまでどこまでも続く空に浮かぶ雲を眺めた。
グラストンベリーで両手を空にあげ、元気玉をつくって心の中にそっとしまった。
チェダーゴージュのレストランで、シャトーブリアンを食べて頬が落ちたが、当分肉は食べたくなくなった。


いつも一緒だった



弟とずっと一緒だった。僕がイギリスに来たとき、弟はまだ11歳だった。

今でも、生まれた日に高校からタクシーで病院へ向かい、男の子だけど、青い毛布を切らしていたので、ピンクの毛布に包まれて出てきたのを覚えている。

それまでの11年間は、少し東京に住んでいた頃を除いては、実家でずっと一緒にいた。

僕は、左利きだ。弟は右利きだ。だけど、弟は左手で歯磨きをする。僕が教えたからだ。


自転車のカゴに幼い弟を入れいろんなところへ行った(みんなは絶対真似しないでね!)。
車の助手席でサングラスをかけながら、「あなたに捨てられて♩私は、今日死んだの~♩」と意味もわからずに夏木マリさんの曲を歌っていた。僕の膝の上でいつも【もののけ姫】を見ていた。セリフもすべて覚えていた。


当時バイトしていた映画館に一緒に映画を見に行って、映画があまりにも子供じみていたから、トイレのついでに外へ出て、しばらくバイト仲間と話していたら、僕が帰ってこないことに不安になった弟が泣きながら外にでてきたのを力強く抱きしめて謝ったこともあるし、とても疲れて家に帰ったら、僕の机の上に綺麗にポケモン人形が並べてあり、それを「ぬんっ」と叫びなら力一杯、蹴散らしたこともある。


僕がイギリスにいく時には、目が取れそうなほど、こすっていた。
当時吸っていたラッキーストライクに手書きでメッセージをかいてプレゼントしてくれた。僕はまだ芝居の仕事が全然ない頃、一つ目標を達成するごとに一本吸っていた。おかげさまでタバコはもう吸いきってしまったがまだ、箱は残っている。
僕も一番形がユニークな20ペンスを渡した。これを持ってたらいつかイギリスにこれるからと。


そんな弟が11年の歳を経て、ロンドンへ遊びに来てくれた。


僕より背も高いし、体力もある。酒も飲むし、夢も語る。
一緒にいた1ヶ月間、空間を共有することでこの11年間を少しずつ少しずつ埋めていった。


あまり多くは語らなかったが、職業が僕らを選ぶか、僕らが職業を選ぶかはわからないけど、職業は人生をよく生きるためにある。強く生きて欲しいということを伝えた。


空港へ送るバスの中で僕は少し離れたところに立ち、ずっと目頭が熱くなるのを堪えていた。




「幸せだった。」




空港でそう言われた後、僕は涙が止まらなかった。



今このブログを書いている間中、外では久しぶりの大雨が降っている。
雨の音、聞いている音楽にまじって大きなハエがぶんぶん飛んでいる。

ハエだって雨宿りをする。雨宿りする場所だって必要だ。


9月はそうやって過ぎようとしている。2017年も残すところ、あと3ヶ月。

雨宿りしながらでも、僕も強く生きていこう。



雨宿りしながらでも前に進もう



僕は元気でやってるよ。

みんなも元気でやってけよ。







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