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Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

エピファニーのかけら

『悲しい別れでも、嫌な別れでも、そんなことはどうだっていいんだ。どこかを去っていくときは、今自分は去っていくんだってことをはっきり意識して去りたいんだな。そうでなけりゃ、ますます嫌な感じがするんだよ。』

ライ麦畑でつかまえての一節だけど、いつだって何かが始まり、何かが終わる。それは本当に確かだ。


大きく言えば、毎日世界中で、宇宙中で命が始まり、命が終わっている。
小さく言えば、「いただきます」と言って朝食を始めて、「ごちそうさまでした」と言って朝食を終える。


人の人生が始まり、人生が終わる中にたくさんの始まりと終わりがある。


大きな始まりと終わりはとても意識しやすい。それに意識したほうが良いような始まりと終わりは、きちんと社会が煌びやかに準備してくれている。入学式や卒業式がいい例だし、慣習だと忘年会や新年会だったり。

色んなところに始まりと終わりは顔をだす。始まることは終わりであり、終わることは始まりであるからだ。
一方はポジティブな耳障りと印象があって、他方はネガティブだ、一般的には。


だけど、この二つはまったく同じもので、それをどちら側から見るかで変わる単なる主観的表現だ。


何かを始めようと扉を開ける。きちんと扉を閉めて、中に入る。そして別の扉から外に出る。きちんと扉を締める。その外は結局のところ何かの中だ。その中で、またきちんと扉を締める。それを繰り返して僕らは、人生を推移している。


現実的な話として、自分のマンションのドアを開けて、廊下に出る。それからきちんとドアを締め鍵をかける。これは一つの始まりと終わりだ。もちろんそんな風には考えられないと思うけど。それは、何百回、何万回と日々繰り返す行為だからそこに特別さを感じることができない。始まりと終わりはとても感情的である。

だから、「あ、しまった。鍵ちゃんとかけたっけ」となってしまうような、始まりと終わりとは程遠い一つの作業だ。そこには感情に刺激された意識はない。

もしこれが引越しの日で、ドアを開けて外に出て、ドアを閉じて鍵をかけるという行為だったとすると、突然始まりと終わりが顔を出す。

こんな風に、始まりと終わりは感情や意識の関わりがなければ、存在を明確にすることができない。

そして、主観として自分が繋がりを持つものとの関係が、肉体的距離または精神的距離として終わりを迎える時には、別れという言葉を用いる。



さぁ




先週の土曜日、僕はホテルからチェックアウトしようとしていた。




寝不足の目をこすりながら、3時間ほどの睡眠で起きて、眠気まなこでシャワーを浴び、乾燥しきった身体中の皮膚を水で潤わせる。水没した犬が全身の毛から水気を吹き飛ばすように、長髪を振り乱し、タオルで頭と全身をふく、長髪を振り乱した時に頭が痛くないので、二日酔いになっていないことを確認する。そして、ふと「あー、俺は二日酔いにならないんだ」と思い、なるほど、寝不足がひどいことを確認する。

パンツをはき、肌着を身につけ、ズボンをはく。左足から靴下をはき、右足の靴下を通した後、鏡の前に立つ。

左肩が少し上がっている。なるほど、体が少しいつもより硬い。メガネをかけていないから、ちゃんと見えないので、三歩ほど鏡に近づく。目の下に彫刻刀で掘ったように綺麗な三本の刻印、シワがみえる。なるほど、寝不足の影響はきちんと出ている。

セーターを着て、鏡の横のテーブルにおいてある左手中指第一関節用の指輪をつける。

それから左手人差し指用の指輪と右手の人差し指用の指輪を同時に左手でとり、右手のひらに載せる。左手の人差し指の指輪を右手のひらで横たわっている指輪に通し、そのまま左手の人差し指と親指で、右手の人差し指用の指輪を丁寧につかみ、右手の人差し指を指輪の穴に通す。

最後に三つの指輪をきちんと所定の位置まで押し込み、大きく息をはく。その拍子に深めの空咳が出る。


やはり、寝不足のようだ。


そしてもう一度、鏡の前に立つ。目をつぶり左手の中指第一関節用の指輪に意識を集中する。目をあけて鏡を見ると、左肩が下がっている。そして、寝不足の影響が少しマシになったことに安心し、靴に手を伸ばす。

ベッドに腰をおろし、左足から革靴をはく。左足の靴紐を結んだ後にもう片方の革靴をはく。それからベッドを降り、右足膝を立てしゃがみながら、右足の靴紐を結ぶ。立ち上がり、両足のかかとをつけ、目をつぶり全身のバランスを感じ、きちんと立てているか確認する。


大丈夫だ。


ようやくベッドの上に転がっている携帯電話を左手でとり、左のポケットに入れ、ホテルルームの入り口にささっているカードキーを左手でとり、左のポケットに入れる。だけど、携帯電話を取り出した時にふいにカードを落としてしまうかもしれない不安に襲われ、左手でポケットからカードキーを取り出し、右手にもちかえ、そのまま右のポケットに入れる。それから部屋を出ようとするが、メガネを忘れたことに気がつき、テーブルまで早歩きで取りに行く。メガネをかけ、三歩下がり、全身を鏡でみる。左の肩はあがっていない。そのまま部屋をでて、朝食へ向かった。


朝食後にチェックアウトする準備ができた僕はドアの横のカードキーを左手でとり、すかさず右手に持ち替えて右のポケットにしまった。部屋のドアをあけ、廊下に出て、きちんとドアを締める。ドアには金色の艶かしいツヤと膨らみをもった数字で814と書いてある。

数字に少しふれ、そのまますべての荷物を持ち、エレベーターへ向かった。814号室からエレベーターまでは、15歩ほどしかない。

下に行くボタンを押し、エレベーターが来るのを待つ。きちんとしたホテルの割には大きな音を立てるベルトシステムだ。到着したエレベーターに乗り込むと奥面が大きな鏡になっていて自分の姿が鏡に映りこむ。ありがたいことに僕一人だ。


ふと、フラッシュバックのように自分がこのエレベーターに乗っている姿を思い出した。


それはこの作品の初日、カーディフ行きの電車が3時間半遅れ、チェックインする前に、スタジオで衣装合わせをした後、ホテルに入りエレベーターに乗った時だった。


その時とまったく同じスカーフ、靴、コートを着ていたわけではない。
ただ、このエレベーターが僕にとって始まりだったということを思い出した。
電車ではなく、顔合わせや衣装合わせでもなく、このエレベーターだった。


そして、このエレベーターに乗って僕は一つの旅を終えるのだろうということもわかった。


僕は、前日金曜日に予定されていたこの作品の打ち上げパーティーに出席することをためらっていた。

金曜日はロンドンで仕事があったし、ウェールズのカーディフに着く頃にはパーティーもほとんど終わっている時間だったからだ。それに、色んな問題が・・・ある、電車とか。

それに僕が必要とされるシーンの撮影は12月中に終了していし、僕はたかだか2ヶ月ほど関わっただけだったら、怒涛の勢いで日本に帰った時にもう終わったと思っていた。

だけど、最終的には打ち上げパーティーに参加することにした。少しだけでも。


だからエレベーターに乗ることができた。「乗ることができた」なんていうたいそうなエレベーターではないんだけれど。


そうやって、僕は一つの旅を終えた。


僕にとっての終わりは、お膳立てされた「打ち上げ」パーティーという会場ではなく、はからずともエレベーターの中だった。そうやって僕にとって、ふと「終わり」はやってきた。


ベルトシステムが「ゴウゴウ」と唸りながら、超重量の箱の中に乗る僕をゆっくり8階から1階へと連れて行く。「チン」という音と共に、エレベーターのドアが開く。開いた正面にはこれ見よがしに、ロンドン、ニューヨーク、東京、ロサンゼルスの時差を表示した掛け時計が並んでいる。


時計の時間を確認することなく僕は左足から一歩踏み出して、エレベーターを後にした。


photo2.jpeg



「始まり」や「終わり」を意識することは大切なことだけれど、時には意識しなくても、意識を刺激する何かのきっかけが始まりと終わりを意識させてくれる。



『人がコップを持つという動作をする時、が「コップを持とう」と考えてからコップを持つのではなく、まずコップを持つという動作の為の準備が脳で始まってから「コップを持とう」という意識が生じる。が動作させているのではなく、動作によってが生ずる。(前野隆司氏)』

と言われるように、自分を取り巻くすべてのものが、精神、身体、魂という自分を総合的に刺激し、自分を確認させてくれる。


その三つの一部を特化して刺激するものを僕たちは同じ旅でも、旅行とよんだりするが、すべてにおいて始まりと終わりがあるもののその間のプロセスを僕は、旅と呼んでいる。

そして旅には終わりがあり、終わりには別れがつきものだ。

この場合、一緒に仕事をした人と場所だ。もちろんまた他の機会で、その人と場所に戻ることはあるが、毎日歩く道がそれぞれの日で本当は違う道であるように、僕だって昨日と今日で同じ僕ではないように、別の機会で同じ人と同じ場所で仕事をしたとしても、それはまた別の旅だ。


つまり「自分は去っていくということをきちんと意識すること」で、僕はその時の僕に別れを告げることができる。



どちらからみるのか。



僕は、もう次の部屋に移る準備ができた。

両開きの扉に左手と右手をしっかりと合わせ、大きく開ききる。そして、左足から一歩踏み出す。その一歩はいつもより重い、まるで誰かに後ろから引っ張られているように。

右足も前に踏み出し、両足を揃える。扉は開いたままで、僕は次の部屋にいる。次は右足からもう一歩踏み出し、完全に次の部屋に入る。そして、扉から手を離し、振り返る。

前の部屋には扉の近くに僕が立っている。前の部屋にいる僕と、今この部屋にいる僕の目があう。後悔、怒り、不安、喜び、満足、怠惰、恋慕、焦燥、複雑な感情が絡まった目で僕をまっすぐ見る。僕の意識はすでに、今この部屋にいる僕にある。

両手を大きく伸ばし、開ききった扉の縁に手をかけ、目一杯のちからで扉を閉じる。

扉が音をたてて閉じていく間中、前の部屋にいる僕は僕をまっすぐ見ている、何か話をしたそうに。

そして、どんどん扉が閉じることによって、その姿は両端から見えなくなっていく。最後の最後に、扉がもう閉まろうとする瞬間の細い隙間から、僕は前の部屋にいる僕に話しかける。おそらく話しかけられるのを待っていたんだろう。堰を切ったように僕は、色んなことを僕に語りかけてくる。


今まで何度この「始まり」と「終わり」を繰り返してきただろうか。


いつも話す内容は違う。だけど、いつまでも前の部屋の僕は話をやめようとせず、僕が遮るように最後にはいつも同じ言葉を言う。すると前の部屋の僕は、突然黙る。



「ゆっくり休んでくれ。」



そして、きっちりと扉を締める。隙間から光すらこぼれないように。すると、僕の背よりも大きかったその扉はみるみるうちにどんどん小さくなり、綺麗さっぱりと消えてしまう。僕は、無くなった扉に背を向け、左足を一歩踏み出す。もうその一歩は重くない。いつもと同じ軽さだ。


そして、何歩か歩いたあと、立ち止まり目を閉じる。そして、さっきの部屋がきちんと僕の中にあることを確認する。


それから、目をゆっくりと開け、浅めの深呼吸をし、歩き出す。もちろん、まだ次の扉は見えない。


まだ見えなくていい。



歩く




「僕は元気でやってるよ。」

「みんな元気でやってけよ。



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