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Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

ギリシア人はよく喋る。

ギリシアにて



またまた、長い間ご無沙汰してしまいました。どうも、Leo Ashizawaです。

長い間と言っても、実際この2ヶ月はあっという間に過ぎていった気もしますが、みなさんお元気ですか?


ものの本によると、個人の時間経過を感じる相対性のピークは、20歳前後だそうです。つまり、自分が思う一日の長さと実際一日が過ぎ去る早さは、20歳を過ぎるとギャップが生まれてくるということでしょう。そして歳を経ることにそれは加速されていく。

小学生の頃なんて、一日が長かったもんね、一週間がものっすごい長かったもんね。

学校が終わってから、家に帰るまで寄り道したところで、30分くらいしかかからないのに、永遠に終わらない道のりみたいに、ものすごく長い時間がかかったように僕の感覚は覚えています。

何してたって・・・・無駄に溝に降りて歩いてみたり、ツツジの花の蜜を吸ったり、虫を捕まえてみたり、秘密基地に拾ったものを置きに行ったり・・・。

ところが、20歳を過ぎると脳的に一日が少しずつ体感よりも早くなっていく。それが年数を経るごとに、そして、色んな経験を経て、真新しいことが失われるごとにどんどん早くなり、


一日が「あっ」という間に驚くように過ぎ、
一週間が「いっ」という間に二度見するかのような驚きと共に過ぎ、
一ヶ月が「うっ」という間にダメージを伴って過ぎ、
一年が「えっ」という間に、自分を置きざって過ぎ、
一生が「おっ」という間に、終わっていくんでしょうね。


最後の「おっ」は、満足の「おぉ」であるよう生きたいもんです。

でも、この感覚は相対的にかなり調整が効くもんです。

例えば、僕がイギリスに来たのは20代後半だった。最初の数年は本当に長く感じた。特に最初の2、3年は、何もかもが新しく、「あれもしたいし、これもしたい、それも見たいし、これも見たい。」で、色んなことに慣れようと、まるで小学校の頃のように毎日長い時間が流れていた。

ここ最近の2、3年とはエライ違いだ。

もちろん、こういう大きな環境の変化が身体と脳に与える影響は大きいから、納得はいく。

でも、ふと最近思い返してみたのが、今からちょうど3年前に、初めてビーチホリデーというか、日本以外の海外で初めて3泊以上の海外旅行だった。(実際は4泊した)
カナリア諸島にあるランザローテという島へ行った。

それまでに、2泊だったり、3泊だったりの観光旅行をしたことはあったが、4泊、それにビーチホリデーっていうのは初めてだった。

その年以降、海外旅行に行くときは4泊はすることにしているが、どの4泊の海外旅行もこの時のランザローテほど、長く感じることはなかった。
初めて車を借りて、初めて右側通行で道路を運転したし、カーナビも借りなかったので、紙の地図を頼りに移動。ビーチで寝転がる日々と少し観光をする日々の4泊5日の旅は、まるで一週間くらいあったのではないかというくらい、相対的に長く感じた。

だけど、それ以降、初めて訪れる国で車を借りて右側通行で運転をきばってみても、一週間くらいの旅をしてみても、やっぱり時間の流れの相対度はまったくかなわない。

今までに経験したことのある出来事を元に、目の前に現れた事象をどれだけ理解し、消化することが出来るかというスピードが、自分が感じる時間をコントロールしているように思う。



ここで便宜上、自分が感じる時間を、僕が感じる時間と身体が感じる時間に分けたい。



ここで一考




僕は、すっぱいものがあんまり好きじゃない。だけど、「すっぱいものを食べると身体がアルカリ性になるから、とてもいいんだよ。」という話を聞いて、アップルサイダービネガーとレモン生絞り、重層を入れたドリンクを毎朝飲んでいた。

飲み始めた頃は、なんだか花粉症もましになった気がして、うれしかった。それに、こんなことでもしない限り、クエン酸をたくさん取らないし、儀式的な僕は、毎朝起きて、決まったことをするという新しいルーティンが作り上げられたことに喜びを感じていた。

朝起きて瞼をこする。僕は子供の頃から、おきたら瞼をこすってしまうクセがある。だから、目の下の皺が深い(いや~ん)。ベッドから出て、リビングに行き、テーブルの上においてある常温の水を半カップほど飲み干す。

10分くらい時間をあけて、200ccくらい水を入れたコップにレモンを絞り、アップルサイダービネガーを大さじ一杯入れて最後に重層を少しだけ入れ泡立たせ、泡が落ち着いたら、ストローで飲む。


頬っぺたが内側から吸い込まれるように、しぼんでいく。
それから顔の中心に引力の中心がうつり引っ張られる。
つまり、すっぱい。僕はこの感覚が嫌いだ。


二週間ほどすると朝起きてから飲み終わるまでの一連の流れが、無駄な動き無くスムーズにできるようになる。
三週間ほどすると鼻水が出たら無造作にティッシュをとって鼻をかむくらいの無駄のない動きに昇化される。


ところが、1ヶ月ほど、続けたある日、シャワーを浴びている時に脇の下からわき腹にかけて、ブツブツの発疹ができているのに気がついた。

ん?なんだこれはと思いつつ、汗疹かな(子供か!)とか、飲みすぎかなとか色々考えたけれど、思い当たることが何もなかった。


思い当たる変化があるとすれば例のドリンクだ。


「もしかするとデトックスしてるんじゃない。身体が悪いものを出しているとか。」とMが言う。

「でもさ、酒も飲むし、寝不足もしているし、何も生活を変えていない上で例のドリンク飲んだって、デトックスじゃなくね?」と僕が言う。

とりあえず様子を見るために、しばらく例のドリンクを飲むのを辞めてみることにした。
すると、2週間もすると綺麗さっぱり発疹は消えてしまった。



そして現実に戻ってもらって




なんだか非常に脱線した気がするけど、他の例だと、身体の時間と僕の時間を分けることが出来ないから。

例えば、おなかが減ったとかだと、身体の時間が僕の時間を刺激して(逆かもしれないけど)、自分の時間を僕に認識させてくれるということになっちゃうから。

身体時間としては、一ヶ月で身体に効果が出始めて、二週間で効果が消失した。
僕時間としては、二週間もすれば行為自体にかかる時間を意識しなくなった。

身体時間の何かを得る時間は、僕時間の二倍ほどの時間がかかる。
身体時間の得たものを失う時間と僕時間がだいたい同じ時間になるということだ。


この両方の時間を同時に感じる”時間”が自分時間と言うことになる。


僕の時間は、得るときには身体時間に追いつこうとして加速する。
ただし実質的な時間を加速することはできない分、僕時間の回転速度を上げる。
つまり、思考や情報処理の回路スピードがあがることになる。その分、自分の時間を長く感じることが出来る。

得たものを失うときの僕時間と身体時間は一致しているので、得るときに高速で回転していた回路スピードの余韻が影響し、同じ時間の中で不必要に僕時間の回転速度が上がってしまっている分、身体時間とのギャップが生まれ、自分の時間を少し短く感じてしまう。


話をだいぶ戻すと、右側通行で車を運転することに始まり、何かを「得る」行為のおかげで、時間をながく感じたわけだ。
子供の頃は、何もかもが新しく、「得る」という行為が日々の大半を占めるため、やはり時間を長く感じる。

色んな事を経験するたびに、「得る」という行為は少しずつ失われていく、残念だけど。
失われていくことを楽しむプロセスが、老いを受け入れる一番の近道だし、失われるということは、言葉の響きや文字の見た目より、はるかに素晴らしい事象だ。(でも今日はこの話はしない。)

何かを「新しい」と思って行った行動も、今までの経験の延長線上に位置してしまい、それは「得る」よりも「失う」スピードを遅らせるだけの効果しかもたなくなる。
これは、同じリズムの生活が続けば、失われる時間を遅らせる要因がなくなり、時間はどんどん加速する。そして、いわゆる「あっ」という間に時間が過ぎてしまうことになる。



綺麗な景色をみたかった




僕は、景色が見たかった。5時間近くも電車に乗るのだ。
ただ単に、座って、ビールを飲んで本を読んだり、音楽を聴いたりするだけではたいくつだ。

アテネに旅行に来ていた僕らは、かなり足を伸ばして、世界遺産に登録されている修道院のあるメテオラへ向かっていた。


「Leoが一等車に座りたいっていうから、窓側の席がどれなかったよ。」
Mが別に不平をもらしているようには聞こえなかったが、文脈からは確実にそうとれた。

「でもさ、二等車せまいじゃん、5時間も狭い所しんどいよ、それに値段もそんなにかわんないんだし」
チケットをとってくれた恩も忘れて文句を言うのはたいてい僕の役目だ。

僕は、映画【グランブダペストホテル】や【オリエンタル急行】のような木作りの豪華絢爛な部屋のような席を期待していた。前もってネットで情報はみない。その方がワクワクする。

しかし、結局のところは、プラスチックでできたなんだかくたびれた小さな部屋に3席ずつ向かい合って座るなんとも普通な席だった。


しかも僕らの席は窓から一番遠く、出入り口に近い。進行方向に向かって座った僕の左側に窓があるのだが、剥げ頭で背の高いぬらりひょんのようなおじさんと、元刑事なんじゃないかっていう鋭い眼のおじさんを視界に入れずに外の景色をみることはできない。

仕事で、ロンドンとカーディフを何度も往復していた時も窓から景色を眺めていたけれど、楽しみといえば草原、綺麗な空と雲、時々羊、馬や牛。

それに比べると、この電車の景色は山あり、谷あり綺麗な空と雲、そして時々動物。それからもちろん、元刑事と剥げ頭、そんなに悪くはない。(そうか?!)


Mは僕の正面に座り、音楽を聞きながら目をつぶっている。
眠りが浅く旅行中は基本的に寝不足なMの常套手段だ。


ボーっと、ぬらりひょんと元刑事と共に窓の外に見える山と雲を眺めていると、おばさんが入ってきた。大柄な割りに顔が小さい。でも大柄だから一気に部屋の人口密度があがる。そして、身体に見合った大きなスーツケースを無理やり入れ込もうとする。

Mはチラッと女性を見るとまた目をつぶった。(おいおい、彼女の席はMの隣っぽいぞ!)

すると僕のとなりに座っていたぬらりひょんが「この部屋にそんなデカイスーツケースは入らないよ。」とでも言ったのだろう、彼女は、少しホッペを膨らまして、どこかへ行ってしまった。
女性がいなくなった瞬間、元刑事とぬらりひょんが何か話し合っている。少し真剣な顔だ。元刑事の目が光る。

しばらくすると、女性が手ぶらでもどってきた。

部屋に入るやいなや、ぬらりひょんは彼女に何か言い、彼女も何か言い返し、Mの横に座った。Mは目を開けもしない。

二人とも表情が変わらなかったので何を言い合ったのか、うまく想像できなかったが、別にもめているわけではなさそうだった。


女性、元刑事、ぬらりひょん、Mそして僕の5人が、6人席の部屋でそれぞれの時間をそれぞれに過ごしていた。


しばらくすると元刑事が鋭い目で、女性に何か話しかけた。


そこにぬらりひょんも便乗する。三人が三人とも、絶妙なタイミングで天井をみる。その一連の流れに僕の注目も必然的に天井へと誘われる。

どうやら(おそらく)部屋の天井の蛍光灯ライトのケースがきちんとはまりこんでいないことを話し合っているようだ。
いつの間にか、リーダー格に昇格したぬらりひょんこと巨人のおじさんは、覇気満々で立ち上がり、一生懸命ケースを押し込もうとする。が、きちんと入り込まない。

握りこぶしを鈍器のように使い、ケースを殴りながら押し込もうとする。殴るたびに何か言葉を発しているが、もちろん僕にはわからない。

ぬらりひょんという言葉の優しさとはエライ違いだ。

巨人のぬらりひょんとはいえ、天井はだいぶと高い。両手を伸ばしきり天井のケースを押し、両足で背伸びをして、地面で身体を支える姿は、なんだかグリコ森永のロゴを思い出させた。


しばらく鈍器を使い続けて疲れたぬらりひょんは、ため息をついて肩をすぼめた。

このジェスチャーなら僕もわかる。

「にっちもさっちもいかない」だ。

さらにそこから続くジェスチャーから予想するに、ネジのようなものがなくなってしまったらしい。すると無言で元刑事が立ち上がって、部屋を出ていった。

しばらくすると、ドンファンのような(髭もじゃのイケメンね)人を連れてきた。手にはドライバーを持っている。元刑事は、現場を放棄したわけではなく、増援を呼んだようだ。

このドンファン、非常に陽気で僕とMをチラッとみてギリシア語がわからないと判断した後、女性、ぬらりひょん、元刑事にしきりに色んな質問をし始めた。

三人は両手をなまめかしく動かしたり、立ち上がったりしながらそれぞれの思いを説明した。結局は蛍光灯に関してだ。そして、服装から推測するにこのドンファンは車掌だ。

話をひとしきり聞いた後、ヒロミ・ゴウさんも真っ青な億1000万の笑顔を一瞬でつくり、ドンファンは飛び上がり両足を椅子の上に乗せた(飛ぶ必要なんてないのに・・・)。そして、おもむろにドライバーをケースに突き刺しネジをきちんとめようとする。丁寧という言葉はここにはまったくない。

たこ焼きを回すくらいの軽いノリで、何度もドライバーをケースに突き刺すが、なかなかうまくいかない。
しばらくその作業を続けた後、ため息をついて肩をすぼめた。


うん、このジェスチャーは知ってる。


「にっちもさっちもいかない」だ。


それからドンファンは、大きな窓の横についている小さな飲み物置きのフリップ式のテーブルを出し、そこに腰掛け、元刑事と何やら話し出した。諦めた後の軽快なトークだ。

それまで鋭かった元刑事の目は緩み、笑顔が生まれた。そして、笑顔から大爆笑が始まる。そんな大爆笑をほっておくわけはなく、ぬらりひょんも女性も会話に参加だ。

社交辞令の会話が盛り上がった程度の話し込みっぷりではない。昔からの知り合いが、久しぶりに会い話し込んでいるような雰囲気だ。あれだけ気にしていた蛍光灯とケースをまったく忘れてしまったかのように。

僕が時計を見ると、まだ電車に乗り込んでから30分ほどしか経っていなかった。まだまだ道のりは長い、そう思いながら僕はため息を着いた。肩はすぼめなかったけど。


メテオラは美しかった

(メテオラは素晴らしかった、道中は大変だったけど。)


しかし、その日は運悪く線路で工事をしていたため、電車からバスに乗り換え、バスから電車に乗り換えると何とも面倒くさい手段でしかメテオラの最寄り駅につけなかったため、折角の一等車旅行は台無しになってしまった。帰りの電車なんて、通路を挟んで両側に2席ずつある車両で5時間を過ごすことになった。

2席が迎え合わせになっているシートに、僕が進行方向側、Mが進行方向に背を向ける形で、少なくとも念願の窓側の席に座った。

二駅くらい停まったところで、二人の若い男性が乗り込んできた。

この二人の男性、あーだこーだずっとしゃべっている、それもコーラを飲みながら。

もう一駅したところで、若い女性が乗り込んできた。

その女性はちょこんとこの男性二人の横に座り、あーだこーだ喋っているコーラ祭りに火をともした。

Mと僕は日帰り怒涛の旅の疲れから、ほとんど5時間寝ていたが、この三人は、その間、唾液が乾く暇が無いくらいずっとしゃべっていた、それもなかなかの音量で。

時々目を覚まし、横をみる度に、いったい何をそんなに話すことがあるんだろうと不思議におもった。

にも関わらずアテネに着いたら、若い女性は彼氏と思わしき男性と夜の闇に消え、若い男性二人も別々の方角へ散っていった。


なんてこった。


三人とも知り合いじゃないんだ。

旅は道連れといったもんだが、ここまで道連れられることがあるんだと感心した。


メテオラへの道中は、元刑事、ぬらりひょん、女性、ドンファンのおかげで5時間を5時間と感じた。

つまり僕は何か「得て」いたんだろう。

そしてアテネへの帰り道は、一瞬で過ぎ去った。
5時間もあったはずなのに。

三人の他人のマシンガントークには、免疫が出来ていたんだろう。失われる時間のさしたる要因にはならなかったようだ。



世界の車窓から




「時間だけはすべての人に平等にあるものだから、時間は大切にしなさい」と待ち合わせにしょっちゅう遅れていた母から言われていたのを覚えている。(この話をするといつも本人は時間をきちんと守っていると主張する)


技術の躍進と人のメンタリティーがどんどん物事の効率化をはかり、人ができるだけ多くの時間をゆとりとして持てるようになった。

昔は大きな家に住むお金持ちくらいしか、家にクリーナーを入れることなんてなかったはずだ(ロンドンでは流行っている)。


買い物をオンラインで済ませ、買い物する時間を節約する。

食事をデリバリーで済ませ、料理する時間を節約する。

家事の多くも、機械や代理人(寺山修司さん万歳!)に依頼し、時間を節約する。

効率化の名の下に色んなことを自分でしなくなる。

そして、果たして自分たちではいったい何をするのか。

ジムに行って身体を動かす。テレビをみたり、パソコンやソーシャルネットワークで時間を潰す。


生活に密着した行動の中にはきちんとした哲学がある。その行為を行うことによって得ることがある。
学生の時に一生懸命頑張った5教科は、何かの役に立っている。
例えば、数学は論理的思考を確率する能力を鍛えたんだよ、とか。


直接足を運び買い物をすることで得る何か。

料理することで得る何か。

家事全般をすることで得る何か。


効率化によってより自由で無駄と怠惰に過ごす時間を生み出すことで、逆に「得る」行為を削り、最終的に「自分の時間」がどんどん早く過ぎていく状況を生み出している。


「時間」とは、一般的に広く受け入れらている相対的な尺度ではなく、実は非常にパーソナルなものだ。僕の母親が言ったように、人に平等に与えられたものではない。


だからこそ、今この時代に果たしていったいどのようなことに、どのように時間を費やすか。
もう一度改めて考えなおす必要に迫られていると思う。


電車に乗ってジムへ行って、ジムで走ったり、自転車をこぐエクササイズをする。


これはいったいどういうことだろう。でもここに色んなことが見え隠れしている。



またまた長い間ご無沙汰してすみません。。。



ギリシア旅行中は時間があれば、プラトン著「国家」を読んでいた。

二人の若い男性と一人の若い女性、ぬらりひょん、元刑事に、女性が哲学的なことを妥協することなく一生懸命話しているんだと僕は自分を納得させた。そうでないとあんなにずっと話をしている理由が僕にはわからなかったからだ。

でも、ソクラテスの話しっぷりを読みながら、なるほど、ギリシアが哲学の始まりだということが何となく腑に落ちた。



そして、僕はため息をつかず、肩を、そっと人にはわからない程度で、すぼめた。




僕は元気でやってるよ。

みんなも元気でやってけよ。

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