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Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

地球は回っている ①

大変ご無沙汰しております。みなさん、お元気でしょうか?Leoです。



前回のブログからこんなに時間があいてしまったのは初めてではないでしょうか。
ご、ゴ、誤、五ヶ月・・・!取り乱しました。大変失礼しました。


しかし、この五ヶ月間に色んなことが世界では起きました。

サッカーワールドカップがありました。
イギリスではEU離脱があっちでもない、こっちでもない、どっちでもないと迷走を極めているし、日本を含め世界中が異常な夏を経験し、さらに天変地異が地球上のあらゆる場所で起こっています。
世界広しといえども、先進国の中で日本ほど自然が豊かな国はないし、その分、自然の猛威を受ける国もないと思います。


昔、海だった場所は、きっかけを見つけて海に戻ろうとするし、昔、川があった場所は、たくさん雨が降れば川に戻ろうとする。そんなことをコロンビア人の友達が、陽気に流すようにサラッと言っていたのを思い出しました。



最近、近年20年をまとめた地球温暖化に関するレポートが提出され話題になりました。



そして僕は、そういう出来事が大々的にニュースで取り上げられる事実の片鱗を【タクシードライバー】で有名なポール・シュレーダーの監督作品【ファースト・リフォームド】という素晴らしい作品で見たことを思い出しました。機会があれば是非見てください。

レポートによると、温暖化は、僕たちの予想を裏切るように急速に進んでいます。

今この時点から「どのように生きていくのか」、生きて行くべきなのか」を突きつけられたような気になりました。

さて、そんな動乱に揺れる5ヶ月間、僕が何をしていたかと言うと、いやはや、何とも矮小です・・・。



2018年7月ロンダの町より




アテネの後、5月には、なんだか恒例になってしまいそうな弟とのカンヌ映画祭での会合があった。


去年のカンヌはこの時期、ちょっと早い夏の到来よろしくの気候だったので、ルンルン夏気分でニース空港に着いたところ
豪雨と肌寒い天気に歓迎された。大雨を落としそうな積乱雲を両側から引っ張って薄く引き伸ばしたような清々しさのない雲が空を覆っていたし、マシンガンのように話しつくす妙齢の女性もバスには乗っていなかった。



映画祭自体も昨年は派手にやりすぎたようで予算を縮小したという噂も聞いたし、今年の映画祭委員長はレッドカーペットでのセルフィーを禁止したようで、レッドカーペットに憧れて、ここ一番の自分をネットの世界に披露しようとした人たちの出鼻をポッキリ折ったに違いない。


そんな、アイロンをかけそこねクタビれたシャツのような、なんともしない雰囲気がカンヌを覆い
去年ほど浮き足立ったカンヌという現象はあまり見られなかった。


弟は、カンヌ映画祭にどっぷりつかった2年目ということもあって、地理に明るくなり、浮ついていない人の集まる場所を見つけていた。

そして僕らは、カンヌと言う土台のない液状の上を、風雲たけし城の国境の沼よろしく、発泡スチロールの岩ではなく、本物の岩の上を飛び歩きながら、正しい人たちに出会っていった。カンヌの数ヶ月前に日本で公開された弟がプロデュースした映画【ニワトリ★スター】についても余すところ無く語り合った。


僕らのお気に入りの老舗ワイン屋さんは、カンヌの雰囲気に影響されず、時の流れから取り残されたようにそこにあり、僕らの避難所となっていた。

昨年と同じワイナリーだが一年の年を経たワインを飲んで、僕らも一年歳をとったことを確認した。



カンヌ 2018年5月



今年に入って増えだしたNetflixの声の仕事も順調に進み、6月には初めて主演の声をさせて頂く機会があった。

「ジャスティンウィルマンの人生はマジック」という番組だ。ボイスダブ(口を合わせる)ではなく、ボイスオーバー(英語の上に日本語を被せる)なので、なかなか按配が難しい。


しかし、この時期になると、7月のMの誕生日旅行の段取りで忙しくなり始める。

「忙しくなる」というと大げさだし、恩着せがましさが滲んでしまうようだが、予定を立てることが苦手な僕の頭の横に僕にしか見えない吹き出しマークが飛び出す。

たいていは、僕からみて左斜め上に、吹き出しがピョコッと飛び出す。噴出しの内容はほとんどの場合は、直接関連性があるかどうか判断しがたい映像であったり画像である。マンガの噴出しのように言葉が出てくれば実感と危機感も沸くんだけれど、そうもいかない。

両目をこれでもかというくらい左斜め上に向けてそこにあるイメージを読み取ろうとするが、なかなか入ってこない。そして入ってこないからしばらく放っておく。そして時間がどんどん経っていく。ウィルスに感染したパソコンで警告が表示される頻度で、吹き出しが飛び出すようになる。

最終的には、イメージではなく、音が聞こえてくる。高校野球の甲子園のサイレンのような。それから僕の背中に、少し暑くなりだした気温に合わせて一筋の汗が流れる。「夏がやってくる、7月だ。」と言い聞かせ、汗が流れたことを6月におき去ろうとする。


物事を先送りにした結果、ギリギリになって焦ることに対するみんなのプロセスは知らないが、僕のはまぁ、こんな感じだ。

そして何とか6月を乗り切り、7月を迎えた僕らはスペイン、アンダルシア地方のセビリアに向かった。



セビリア2018年7月



7月はちょうど一年の半分を過ぎた頃にあたる。Mの誕生日旅行とは名ばかりで(そんなことはない!)、この頃になるとどうしても旅に出たくなる。旅に出るという行為は、身体の垢を落とす行為に似ている、あくまでも僕にとっては。

旅に出るという非日常が連なる瞬間が、目を通して今までに見たことが無いもの(多少なりとも)を、耳を通して聞きなれない言語を、舌を通して違った味を、肌を通してその場の空気を、一気に送り込んでくれる。好奇心と言うアンテナが僕の羅針盤となって。
その非日常と現実の中での集合体を取り込むことで、僕の中で宿便のようになった日常を身体から追い出してくれる。仕事をしている時も非日常の中にいるがそこはあくまでも仮想現実だからこういった効果はない、残念ながら。それがあれば別に旅になんて出なくてもいいのにと時々思う。


7月はちょうどそんな時期にあたる。理想でいうと4ヶ月に一度は短くてもいいから、この行為があれば僕は、健全に存在できる。贅沢だ・・・うん、いや贅沢だ。でもね、でもね、言い訳を言わせてもらうと、基本僕は休まないから・・・。まぁ、とにかくだ。


セビリアの夏は暑い。7月上旬とはいえ、日中の暑い時期には40度近くまで気温が高くなる。アツイはある一定のレベルを超えるとイタイに変わることを初めて体感することになった。
アンダルシア地方は、地理的にスペインでももう少し南まで行けばジブラルタル海峡で、そこを超えるとアフリカ大陸だ。

ジブラルタルを越える障害は、つり橋を走る間に飛んでくるボールに落とされるわけではない。ビート、いやヒート、熱だ。

ただそこに情けという人間の感情が入ると、ヨーロッパ大陸で踏ん張ることが出来る。情熱のアンダルシア、フラメンコ発祥の地セビリアだ。

情熱は心意気だけでなく、そこにある気候と、そこに住む人からほとばしる汗だ。


すべてのコンポーネントが揃ってこそ、情熱になるのだ。


セルビアで楽しみにしていた一つは、もちろんこのフラメンコなんだけど、フラメンコは、女性が色とりどり、装飾とりどりの十二単も真っ青な(ちょっと大げさ)衣装を着て大地を踏みしめながら踊る。

タブラオは決して大きな劇場ではない。イギリスで言うところのフリンジシアター、日本でいうところの小劇場くらいの大きさだ。正面の舞台でダンサーが踊る。

演奏家は声、歌、ギター、手拍子そこに情熱を混ぜで音楽をコンポーズする。

ダンサーは、衣装、踵、四肢、指先、首、顔、表情、そこに情熱を混ぜて踊る。

観客は、沈黙、聴覚、ビームが出るほどの眼力、舞台から心臓に伝わる振動に情熱を混ぜ、そこに時折「オレ」という言葉を混ぜて観る。


ダンサーの迸る汗の中に僕の恍惚の表情が写りこみ、情熱はタブラオ中に散乱する。
(さんらんを漢字変換したらまず産卵が出てきた。まさに、新しい情熱の種をまく産卵だ)

フラメンコを鑑賞するために比較的早い時間に夕食を食べていた僕らは、鑑賞後の深夜頃にまた空腹を感じ出した。
さてと、近くで食事が出来る場所がないかと携帯電話の地図を確認した。
(ヨーロッパで携帯を契約していると、他のヨーロッパ国内でもローミングコストなしで携帯を使用できるんだぜぃ!)


やっぱりレストランではなく、立ち飲み屋(バル)でいっぱい引っ掛けながらご飯を食べるのがよかったので、Google mapで近くに空いているバルはないか調べた。数件見つけるがウェブサイトの情報だとすでに店は閉まっている。
腹が減ると戦どころか歩くこともできなくなる僕は、途方にくれながら、鼻で嗅ぐ良い匂いだけをたよりに閉まっているバル近辺に歩いていく。


すでに閉店しているはずの店は、煌々と店の周りを照らし、外にまで人だかりができていてすごく繁盛している。閉まっているはずのバルが。店に入り、陽気に飲んで笑っているアンダルシアン達を平泳ぎでかきわけ、バーカウンターに辿り着きまだ注文はできるかと聞くと「もちろん」という返事が返ってくる。


なるほど、情熱は時間を超越するのか。


お酒を飲みながら立ち飲みでご飯を食べるのがバルだ。おばんざいからステーキまで小皿で出てくるタパス料理屋の店員はその都度注文をバーカウンターにチョークで書き付ける。計算は暗算だ。

「電卓は使わないのか」と聞くと、「そんなものは必要ない」と言葉ではなく、人差し指を額につけるジェスチャーで答えてくれた。満面の笑みで。

さらに僕が質問を続けようとすると、「待って」とは言わず、広げた手を突き出し、満面の笑みを収束させながら、チョークとバーカウンターに集中した。

首をかしげながら、チョークで書いた数字を何度も消して、正しい数字を書き直している。


・・・そう、情熱が記憶を助けてくれる・・のだ。


アンダルシアだけでなくバスク地方やカタルーニャ地方もそうだったが、スペインのバルの店員さんは、ほぼ間違いなく男だ。初めてスペインのバルに行った時に確認したことがあったがバルは男の戦場だそうだ。タキシード、または黒いスーツで着飾った男が料理し、男が提供する。


夜中でも30度程の気温で、人でごった返したセビリアのバルで、額に汗をかきながら懸命に働いているバーテンのおじさんは、脂ぎった濃い顔をしている人が、とても爽やかな表情だ。


そう、情熱は濃度を希釈するのだ。


Mの誕生日当日は、ロンドンと比較すると非常に物価が安いセビリアだからこそ、ひゅん、ぴゅん、・・・ゆん・・ひゅんぱつ、しゅんぱ・・・奮発して、みぃしぇらんのお星様がついているレストランに食事をとりにいった。(食事をするんじゃなくて、食事をとるんだ。品だ、品!)

お料理ごとにお土地のおワインをつけてくれるおマッチングというお方式で、お皿の上に時には煌びやかに時にはシンプルに、時には豪快に、時には極小にお料理が提供される。どうやったらあのグロテスクな牡蠣がおエレガントになるんだと感心したものだ。

誕生日のおケーキと共にデザートワインが出てきた頃にはもう深夜になろうかというまったりとした時間が流れていた。4時間近く食事をしていたことになる。


「時間はいいんですか」と訪ねると、お洒落に着飾った定員のお姉さんの両方の口角が少しだけ、クッと上がった。
赤い口紅は微笑みのためにあるのだと、僕は思った。

大満足の僕らはホテルにもどり、翌日に備え寝床に着いた。

夜中に洗面所から漏れてくる明かりで目が覚めるとMはすべてをトイレに吐き出していた。(恒例をもって)情熱と共に。

情熱でもない限り、あんな轟音が口から出てくるわけが無い。発声練習直後の洗練された僕の声でもあんな轟音を奏でることはできない。


翌日、Mはベッドで快復に専念、僕はホテルのプールでアツイとツメタイを繰り返しながら、村上春樹の「アフターダーク」を読んだ。確実にもってくる本を間違えたと思った。



ロンダ2018年7月




旅の醍醐味といえばロードトリップだ。ロードトリップといえば車だ。ということで、日帰りでセビリアからさらにジブラルタルへ近づくロンダという崖の上の町を目指した。「●●の上の町」は僕らのロードトリップの代名詞になりつつある。

そして、アンダルシアといえば、そうひまわりだ。日に向かって咲くあおい(葵)科の植物、向日葵だ。
本来であれば、6月中には満開の時期を迎えているはずのこの植物は、僕らを全開で迎えてくれた。


崖の上のロンダもとても美しい町だったが、その道中の向日葵たち、そして情熱をもって運転した僕のご褒美に訪れたワイナリーたちが日帰り旅行を彩ってくれた。
Mは一生懸命に動画を撮影しようとするが、向日葵はもちろん太陽に向かって咲くし、太陽はちょうど僕らの道路の逆側から煌々と大地を照らしていたから、「あ!」「あぁ」「ああ!」「あぁぁ」を繰り返していた。

撮影チャンスがないようだ。僕も何度も車を路肩にとめようと思うが、法定速度が110kmを示している一般道路で車を止めることができる路肩を目視できた時点で、そこにピットインすることは難しい。後続車があればなおさらだ。

ところで太陽は東から西に移動するはず。僕らは、南に向かって進んでいる。

「南に向かって進んでるから、今は太陽は東にあって向日葵はこっちを向いてくれないけど帰りは、北に上るからこっち向いてくれてるんじゃない?」

「え?そんなものなの、向日葵って?」


彼女からの返事に僕も混乱した。そして、頭の中で一面の向日葵畑のひまわりが、危険を察知して一方向を一緒にみているミーアキャットの群れと重なって気分が悪くなった。

それに道路は南に向かって一直線に伸びているわけじゃない。なんて適当な返事だと僕は後で少し反省した。


結局のところ帰りに曲がり道がたくさんあるあまりスピードが出ない道の路肩に車をとめ、あふれる向日葵とあふれるアブを堪能することができた。
僕らがその路肩にピットインしているのをみて、後続車も車をとめ、お互いに記念撮影の取り合いっこをすることができた。大きなファミリーカーから出てきた家族はブルガリアから車でここまで来たそうだ。いつか日本に言ってみたいと言っていた。

君たちの情熱なら可能だと自信満々に伝えておいた。だってブルガリアからここまでは3000kmは裕にある。



ひまわり畑2018年7月



セビリアから帰ってきた僕は、汗と熱で温められた情熱を失わず、仕事に打ち込んだ。


BBCの老舗番組でもうシリーズ22になろうかという検死官のドラマを描いた「サイレント・ウィットネス(沈黙の目撃者=死体って意味だね)」に参加した。

それから、また別のテレビ番組で爆撃隊の隊長として真珠湾を攻撃した。世界中で異常な暑さの夏に、戦艦の甲板で内側を羊の毛で覆っている保熱を目的とした飛行服を着るのは、自殺行為に等しかったが、そこも情熱で乗り切った。


情熱の7月もあっという間に過ぎ去り、8月は、ショートフィルムの撮影と共に過ぎ去った。

何度か仕事をしたことがある監督と常にチームを組む撮影監督は、アメリカ在住なのだが、仕事でロンドンに滞在するのでその合間をぬって何か実験的な作品をとらないかという話になった。

監督も撮影監督も気心しれた仲だし、僕自身も試したいことがあったから、二つ返事で引き受けた。ここで色んな話をしたいところだけれど、一応こういうことは勝手に離せないので、下唇を食いしばり、Tシャツの襟元を力いっぱい下に引っ張って口をつぐみます。

それから、昨年末から今年の頭にかけて撮影した【A discovery of witches(魔女の目覚め)】というテレビシリーズのレッドカーペットに招待されたので、久しぶりにウェールズの首都カーディフに出かけた。

今回は電車でなくバスで向かったので、道中快適な睡眠を貪っている間に遅延することもなく到着した

レッドカーペットが思ったより短かったのでセルフィーする暇もなく、通り過ぎてしまったが、シリーズのプレミアでテレビシリーズの第一話だけを見るのは、なんだか不思議な気持ちがした。



カーディフプレミア2018年9月



こういう話は退屈だし一瞬で説明を終わらせた8月がさっと過ぎ、先月、そう怒涛の9月がやってきたのだった。


ところで今年の夏は、何より雨が少なかった。

晴天が続き太陽に焼かれた黄色い芝生の絨毯がとても目立った。十年以上住んでいるロンドンでそんな公園の芝生を見るのは初めてだった。

大きな国立公園も、山火事をふせぐため、枯れ切った草原地帯は立ち入り禁止にしていた。家の近所の公園で乾燥し、力を奪い取られて芝生を見ると、僕の背中に、少し暑くなりだした気温とは関係なく、冷たい一筋の汗が流れるのを感じだ。




つづく

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