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Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

地球は回っている ②

①のつづき

2018年の年末年始に日本に帰っていた僕には珍しく、9月にも日本に帰った。
おそらく十数年前に渡英してから、一年に二度帰る事は初めてだと思う。

親族一同で母方の祖母の米寿を祝い、亡くなった祖父の十三回忌の法要に参加することをしばらく前から予定していたからだ。


祖母の出身地は愛媛の松山で、祖父のお墓も松山の近くにある。松山といえば道後温泉だ!とテンションがあがるかもしれないが、こういう理由で道後温泉には何度も訪れたことがあるし、ロンドンに住んでいる分、町並みのユニークさと和の美しさ、さらに瀬戸内海の海の幸に心を奪われるだけだ。なんら特別じゃない。(じゅうぶんじゃん!)


何はともあれ、子供も合わせれば総勢20人を超える祖父と祖母から派生した一族は、叔父さん叔母さん従兄弟も含め幼い頃から距離が近く、よく「へー、従兄弟とそんなに仲いいんだ?」とよく言われる。奴らはいうなれば飲み友達だ。
僕ら兄弟もそんな関係なのだが、その親戚が一堂に会することはまぁ、めったいにない。

年始に帰国した理由は従兄妹の結婚式だったし、親戚一同集まったが、結婚式は色んな人たちが関わるし親族だけで宴会というわけにはいかない。

今回は親戚が集まる上に、二泊という旅行になる。付け加えて僕らの一族はとんでもない酒豪の集まりだ。楽しみで仕方が無かった。



9月松山にて。



関西国際空港に大ダメージを与えた台風21号が、大阪に帰ろうとする僕の心臓にも大旋風を巻き起こしそうになったが、何とか紙一重で羽田経由、伊丹空港着に旅程を変更することが出来て、無事帰国することが出来た。


ところで僕は、飛行機ではすぐに寝てしまう。
人によっては羨ましいと思うだろう(えっへん!)。長旅になるとわざわざ睡眠薬まで飲んで寝ようとする人だっているんだから。

でも飛行機に乗っていると僕は、どれだけ起きていたくても、抗えない眠気に襲われてしまう。
(ちなみに、おそらく乗り物全般だ。車やバイクも同じだ。たとえ運転している時でも、どれだけきちんと睡眠をとっていても長時間続くと眠たくなる。実は、妹もそうらしい。血は争えない。)


起きている時はほとんど食べている時だけだ。なので、たいてい時間を潰す手段として一番ポピュラーな映画鑑賞という行為を試みることはあまり無い。

まだ公開されていない作品やDVD・ブルーレイになっていない作品も飛行機では鑑賞できる場合があるので、人によっては飛行機での映画は楽しみの一つかもしれない。

せっかくなので、今回はちょっと趣向を変え、僕も今回はできるだけ飛行機の移動を楽しもうと思ったので、映画をたくさん観ることに決めた。


よしじゃぁまず、頭を空っぽにしても鑑賞できる映画から始めようじゃないか。時間はいっぱいある。11時間だ。

僕はあえて両手のひらをこすり合わせて気分を盛り上げた。今時の飛行機の画面はタッチパネルだ。
フリックして作品を吟味する。【アベンジャーズ】を発見した。


評価も非常に高く、劇場公開されていた時に観ようと思っていたのだが、忙しさに追われ観にいく時間もなく劇場公開が終わってしまった映画の一つだ。


「ちょうどいいんじゃないですか」と自分だけに聞こえる音量で囁いて、ヘッドホンをつけた。

その直後僕は、肩を(優しく)叩かれのけぞりそうになった。

フライトアテンダントのお姉さんが、笑顔で僕を見下ろしている。
何かに驚いた後だと、例え笑顔であっても見下ろされるのは、いい気分がしない。僕はヘッドホンを外した。


「何か飲まれますか?」


「えーっと、ビールお願いします。」


「はい、どうぞ。」
わざわざ缶のフタを空けてくれてから、コップと一緒に渡してくれる。


「ご丁寧にどうもありがとうございます。(そりゃー映画を観るんだ。ビールはいるだろ。なんていいタイミングなんだ、お姉さん、感謝します。)」と心の中で追加のお礼を言った。


ビールを一口飲んだ後、ヘッドホンをつけなおし、音量を調整した後で、画面の角度を調整して、にんまりしながらもう一度両手をこすり、ビールを片手に映画の再生ボタンを押す。


ディズニーのお城が見えて、一瞬「あれっ?」と思うが、その後にマーベルのタイトルロゴが出て安心する。
張り手式の脚本(古い言い方だなぁ、もう)で、始まってしばらくして、「ヒドルストーン!」ってなる。

その後から徐々に記憶が曖昧になる。そして気がつけば、一瞬巨大な岩エイリアンの背中と夕日らしきものが映って、どどんとエンドクレジットが流れ出した。

「へ?」となる。

3時間もある映画だったのに、気がつけば一瞬で終わったじゃないか。


あぁ、そうか、やってしまった。本当に一瞬何が起こったのかわからなかったけど、ただ寝てしまっていただけだ。

僕は、どれだけ寝不足であっても、映画館でも自宅でも映画を見ている間に寝てしまう事はない。よっぽど面白くないから意図的に寝ようとすることを除いては。それが、飛行機だと何故だか意識を失う。まぁ、寝るというよりも意識を失うの方が正確な気がする。


それに変な格好で寝ていたのか首が少し痛い。ポキポキと首を鳴らして、落ち着いた後大きなため息をついた。不思議とビールは空になっていた。誰が飲んだんだ?一応、自分を納得させるために周りを見渡す。


もう一度首をポキポキ鳴らして、ヘッドフォンの音量を調整しなおした。あえて音量を少し大きめにする。
覚えているシーンまで戻すと、まだ始まって30分ほどのところだった。僕は、大きなため息を着いて、再生を押した。

しばらくしてまた記憶を失った。気がつけばまたエンドロールが流れていた。


何が起きたかは、すぐにわかったが、一応、周りをキョロキョロ見渡してからいったんヘッドフォンを外した。

立ち上がってトイレに行き、もう一本ビールをもらってから席についた。やはり大きなため息をつきそうになったが、ビールでそれを飲み込んだ。ため息と共に幸せは去っていくんだよと、音にはせず囁いた。


ヘッドホンを被り、覚えているシーンまで戻すとまだ1時間半程度進んでいただけだった。


言うまでもないと思うが結局、また気がつけばエンドロールが流れていてビールも空になっていた。
(誰が飲んだんだ。)


結局何度そんなことを繰り返したのかわからないが、おそらく9時間~10時間ほどかかってようやく【アベンジャーズ】を観終わった。


繰り返しになるがロンドン・東京間の飛行時間は早ければ11時間程度だ。
結局、僕が飛行機の移動中に観れた映画はその一本だけだった。




2018年9月伊丹空港到着




伊丹空港までは幼馴染が迎えに来てくれた。晩夏に日本に帰ってくるのは初めてで、湿度と暑さに気が遠くなった。
「あんちゃん、こんなんで文句言うてたらあかんで」と誇らしげに幼馴染は言った。


僕は、トイレに入り半袖の服に着替え(イギリスを出た時は、半袖にカーディガンを羽織り、その上からジャケットを着ていた。)、幼馴染の車まで、滝のように流れる汗を拭いながら歩いた。


車に乗り込んで僕らはその足で、朝の開店と同時に吉野家へ行き、牛丼を食べた。もちろん僕のリクエストだ。

帰国したときの食べたいものリストの一つに吉野家の牛丼は必ず入ってくる。

生卵に入れる醤油の量、紅しょうがを載せる量、七味をかける量、考える必要も無く、失われた時間がなかったかのように僕の手は自動的に無駄なシークエンス無く、牛とご飯を口に入れるまでの動作をこなす。

すべてあの頃のままだ。食事は記憶を刺激する。


それから、僕らは箕面にある温泉に向かった。トランジットも合わせて14時間ほどの移動の直後に温泉に入れるなんて幸せだ。それも平日の朝だし、三連休前の金曜日なので、あまり入浴者もいない。
<老若男女の夢、温泉での平泳ぎ>をしたかったのだが、さすがにそこまでガラガラではなかった。


肩までしっかり湯につかると、温泉のすべての成分が乾燥した皮膚の中に染みこんでくるようだった。

温泉で汗を流した後のグラスまでキンキンに凍ったビールを飲むと、全身で「あぁ、日本に帰ってきたんだ」という気がした。

風呂に入り、汗を流し、すっきりした後はもちろん腹が減る。
僕は、幼馴染にお願いして、日本にいた頃いきつけだったカレーうどん屋さんに連れて行ってもらった。

道中、台風21号の爪跡がいたるところに残っていた。実家の近くに大きな公園があるのだが、まるでアベンジャーズが敵と戦った跡地のようだった。

そのカレーうどんが有名なうどん屋さんは、僕の実家から自転車では遠く、公共交通機関だと電車とバスを乗り継がないといけないので、ここ最近は帰国したときにいけていなかった。最後に行ったのはたぶん5,6年前だったと思う。目立つ宣伝はしていない20席くらいの昔ながらの町のうどん屋さんだ。

外から見る店の外見は一緒だ。茶色に白い文字で店の名前が刻まれている暖簾が風にふわっとなびく。

いつものように左手で暖簾を払いくぐり、店の引き戸を開け、<ガラガラ>という音を耳にする。

「いらっしゃい。」というドぎつくない声が響く。

店内はまったくもって変わっていない。5,6年の失われた時間がまったく存在しなかったかのように。

僕は、いつも僕を名前で呼んでくれるオーナーのおばあちゃんを探すも見当たらなかった。


キッチンとホールを担当しているおばちゃんも、僕のことを覚えていてくれたらしく、暖かい声で丁寧にオーナーのおばあちゃんは数年前に亡くなったということを教えてくれた。


いつもと同じように、ビールとおにぎりと肉カレーうどんを注文する。ビールを飲んで、おにぎりとカレーうどんを待つ。
幼馴染との会話の間には、燃え上がったロウソクの火が落ち着きを取り戻したように、自然に沈黙が流れる。


ビールが半分くらいなくなった頃に、カレーうどんとおにぎりが運ばれてきた。まず、スープを少し飲んで、お肉を食べる、それからうどんに手をつける前に少しが沈黙ある。


そうだ。本来であれば、この沈黙はおばあちゃんとの会話で埋められていたはずだ。
僕はいつもその後に、うどんに手をつけていた。


おばあちゃんがいなくても、引き続き僕の手は自動的に無駄なシークエンスなく、肉に手をつけ、スープを口に含み、おにぎりを食べる。それからもう一度スープを飲んで、うどんを口に入れるという一連の動作をこなす。肉カレーうどんは変わらず美味しかったが、失われていた時間が、ここには顔を出した。


幼馴染は、その店を気に入り、カレーうどん好きな娘を連れてまた来ると言ってくれた。時間はそうやって紡がれる。

僕はその後、実家に戻り睡眠をとった後、他の幼馴染や友達が僕の実家に来てくれ、夜遅くまで酒盛りが続いた。明日は、松山だ。




2018年9月飛行機にて





僕の妹の姪っ子の一番下は、3歳だ。
もう会うのも数回目になるにも関わらず、第一声は、「怖い」で泣きながら逃げていく。

今回は、帽子と眼鏡を外し、髪の毛をくくれば問題なかった。とはいえ、どうせ次にあった時には、またリセットされていて、「怖い」から始まるのだ。


ちなみに僕には姪が五人いる。弟に二人、妹に三人だ。


この一番下の姪っ子は、飛行機に乗るのをとても楽しみにしていた。




「はしめてー」と喜んでいた。




妹に「飛行機のったことないん?」と聞いてみると「一度あるけど、小さくて覚えてないんちゃう」という返事が返ってきた。


伊丹空港から松山空港までの飛行時間は40分ほどしかないのだが、空港のゲートで搭乗を待っている間、窓から見える飛行機を見るたびに、

「ありぇかなぁ」「こりぇかなぁ」と騒いでいた。
とにかく賑やかだ。

妹の姪っ子で真ん中のお姉ちゃんは、「飛行が沈没したらどうする?ねーねー、どうする?」と落ちるよりも難しい言葉を、さらに微妙に間違えながら使っていた。


僕の母が「沈没は船やで。」と突っ込んでいた。
大阪では祖母であっても、8歳児に容赦ない。


僕は、「飛行機が海に墜落したら、沈没するかもしれないね。」と言いそうになったが、寸前でやめた。

今でこそ、飛行機にはよく乗る僕だが、20歳になるまでは、飛行機は怖くて乗れなかった。原因は小さい頃に全日空の墜落事故のテレビ放送を見てトラウマになったから。だから姪っ子の心配はよくわかる。


一番上のお姉ちゃんは、バレーボールの練習があるため、明日到着予定だからここにはいない。


飛行機への搭乗がしばらく遅れ、落ち着かずに待合の椅子に座り足をパタパタさせていたが、ようやく搭乗のアナウンスが流れた。

待ちに待った飛行機へ真ん中のお姉ちゃんに手を引いてもらい、搭乗した。
そのままお姉ちゃんに手を引いてもらい、自分の席へ座らせてもらい、足をパタパタさせながら、引き続き興奮の灯火を燃やしていた。

しかし、残念ながら飛行機が離陸する前には、か弱い灯火は完全に沈黙してしまったようだ。
横で緊張するお姉ちゃんを尻目に着陸する瞬間ですら起きなかったようだ。


松山空港についた後、僕は姪っ子に尋ねた。




「飛行機、どうだった?」




姪っ子は言った。




「しこーき、たのちかった」




「寝てたやんけ。」と妹は普通に突っ込んだ。
大阪では母親であっても、3歳児に容赦ない。



「たのちかった」



姪っ子は繰り返した。

それを聞いて、みんなの心が温かくなったのが、見ただけでわかる。

僕は、みんなにわからないように上下にぶんぶん首を動かし、「うん、わかるよ、その気持ち、うん。」と心の中で何度も繰り返し叫んだ。


松山には、すでにカンヌで会った僕の弟を含め、叔母さん夫婦や従兄弟達が到着していた。
少し遅れて最近上京した僕の一番下の弟が、参上したときには父と母は少し感慨深い表情をしていた。



2018年9月松山にて




僕は、たくさんの人の中にいると、時々ふとした一瞬に、飛び交う言葉にフィルターがかかり、言葉が言葉として聞こえず、ただの音として耳に入ってくることがある。そのふとした一瞬はまるで、自分が水の中に深くもぐっているように視界が曇り、音がにごる。ただそんな時に別の感覚が敏感になる。そしてその場の雰囲気がまるで色が付いているようによくわかる。そしてその瞬間はいつも突然前触れもなくやってくる。


ちょうど弟が遅れて到着し(今日到着予定の)全員が揃ったので、改めて乾杯をした直後にその瞬間が訪れた。客観的には一瞬の時間だが、主観的にはその瞬間は、やはりゆっくり始まり、ゆっくり終っていく。徐々に目の前に白く薄い膜が広がっていき、視界がぼやけだす。そして、周りの声も少しずつ、ぼやけだし、ただの雑音になる。そしてぼやけだした視界がある色にそまっていく。


そして、僕はその場の雰囲気だけを敏感に感じる。
とても暖かい。目をつぶるとまるで、温かい浅い海の海面に浮かんでいて、時々海草が背中を撫でるようだ。目をつぶっていても空は青くて、太陽は煌々と照らしているのがわかるが、それが気持ちよい、そんな感覚だ。


僕は、よく冷えたジョッキグラスを手に取り、ビールを口に含んだ後、ジョッキをテーブルに置いた。
雑音が徐々に言葉を取り戻しだす。
箸を手に取り、じゃやこ天を一切れつまみ上げ、ワサビと醤油を少しつけ、口に運んだ。
視界から色が消え、焦点がしっかり戻ってくるのを僕は楽しむ。
噛む事で口に広がる香りと味を楽しんだ後、ビールですっきり喉の奥に流し込んだ。ビールの通りがとても良い。そして、笑みがこぼれる。


翌日、法要の後に訪れた老舗の日本料理店でも同じことが起きた。
このお店は、おばあちゃんが小さい頃から通っていた店で、僕らも何度か食事をしたことがある歴史のあるお店だ。


お店の一階は、石畳のようなフロアになっていて、カウンターで寿司を握ってもらえる非常に良い雰囲気になっているが、僕らは宴会席と言うことで3階へ通された。子供も含め、20人以上もいると、何グループかに別れウダウダ歩くことになる。


靴を脱ぎ、座敷の部屋へあがる。襖を開けると、少し低めの椅子とテーブルが置いてある。
「何で座敷にテーブルと椅子やねん。」という声が飛ぶ。


しばらくしてウダウダやってきた2グループ目が同じように襖を開ける。
「座敷に何で椅子やねん。」という声が同じように飛ぶ。


大阪人はよその土地であっても、70年以上続く老舗に容赦ない。



僕も大阪人の端くれとして何か言ってみた。
「あぁ、これは日本の便座の高さの椅子やな。日本の便座ひっくいねん。」




「もうええって、外国人かぶれ。」
「座ってるの椅子やんけ、便座ちゃうわ。」
「今からメシ食うねん。」
「いや、デコ広いって。」
という声が同時に飛ぶ(関係ないことまで)。

聖徳太子でも全部を聞き取れないだろう。身内に対しても容赦ない。




その日本料理屋でも同じように、そのふとした一瞬は訪れた。このふとした瞬間は、結局のところ、僕の感情と深くリンクしている。僕の心のある場所をその場にいる人たち、会話、空気、温度、湿度、考えればキリがない要素が絶妙のバランスで混ざり合い、心のある場所を下から撫で上げられるように触れる。その場所は、下から撫で上げられることで、元ある場所より一瞬の間浮く。そしてまた重力には抗えず元の場所に戻ってくる。この一連の浮遊運動の中で起こる時間が、このふとした瞬間なのだと思う。まるで、自分が止まっている時間の中をゆっくり歩いているような錯覚に陥りそうになる。


老舗の日本料理店は寿司が有名だが、瀬戸内でとれた魚を振舞ってくれるお店だ。そしてお店の名前で、お店の料理に合った日本酒を造ってもらっている。まろやかで舌の上で転がせるような重みがある日本酒だが、食事に非常に合うし(当たり前だ)、美味しかった。

法要の後、16時頃にはお店に行き、宴会が始まった。祖母へのサプライズプレゼントや母と叔母さんのお涙頂戴スピーチなど、盛り上がった。


祖母は、親戚全員一人一人に向けて書いたメッセージカードを配りながら、目に涙をためているのをみて、僕もしばらくの間眼をつぶっていなければいけなかった。


それを隠すように僕は、一人でタバコを吸いに宴会場を出た。


物思いにふけりながらタバコをふかしていると、僕の前を女将さんが通ったので、ついでに追加で日本酒を注文した。
女将さんは丁寧に振り返り、少し呆れたような顔をしながら、「もう無くなりました。」と言った。


お店の名前を冠した日本酒がなくなることがあるのかと尋ねると、


「近頃のお客さんはあまり飲まなくなりましたが、それでもこんなに飲んだ団体さんは初めてです。」と言われ、返す言葉がなかった。


宴会場からは、そんな女将さんの声を掻き消すような轟音のような笑い声が聞こえてきた。



怒涛の9月は、こんな風に中旬を迎えた。

その後、親戚の中で残ることが出来る半数ぐらいで、奥道後温泉でもう一泊した。他にもここで書きたいような面白い話があるんだけど、残念ながらこのブログがスパム扱いされてしまいそうな言葉を使用しないといけないので、悔しいが割愛することにする。




2018年9月料理屋にて





ところで、家族や親戚とは不思議なものだ。十人十色の意味がある。

血のつながりとは、「血」と「つながり」という言葉でなんとなくわかった気でいてしまったり、流してしまったりするが、いったい何なんだろう?


家族とは一般的に、血肉を母から得て父母から遺伝子を受け取り存在する自分がいて、それぞれの環境で家族の構成人数は変わるし、血が繋がっているかの有無もあるけど、自分が生まれ育った環境を共有した人間たちである。
そして親戚とはそこから派生する家族の誰かと血の繋がった人間たちである。


血がつながっているということは、自分を構成している一部が自分を中心点とした時に、周りに存在する他者の中に存在している状態だ。そして、他者の中での自分の一部の大きさと濃さは自分との距離が遠くなればなるほど小さく薄くなっていくが、ある一定の濃度に達したところで引かれた線(法律があるのかは知らないけれど)の内側が親戚ということになる。


親戚は親戚内の誰を中心にするかでその濃度のところで引かれた線、つまり親戚線は推移する。親戚線は感情的、形式的に引かれるものでもあるが、親戚線の中心人物が発する引力の影響力の強さによっても親戚線の直径は変わってくる。


繋がりには必ず広がりがある。そうやってコミュニティーが大きくなり、社会になり、国になり、世界になり、地球になる。




【ガタカ】というSF映画の名作の最後に、主人公のヴィンセントが言う台詞がある。


「この世界にそもそも決して存在するべきじゃなかったと思っている誰かへ。

僕は打ち明けなければならない。突然、僕はこの世界を去りづらくなった。

もちろん、僕らの身体の原子は一つ残らず、かつては星の一部だったと言われている。
もしかして僕は去るのではなく、(宇宙へ)帰っていくだけなのかもしれない。」





親戚線の内側にいようがいまいが、僕達は宇宙のビッグバンで生まれたチリから形成された集合体である。それは人だけに限らない。この地球上に存在する全てに例外はない。

今、僕がこうやってタイプしてるキーボードだって、タイプしている瞬間に僕の指がキーボード触れあい繋がっている以上に、もっと根源的に僕とキーボードは繋がっている。文字通り、原子レベルで。


そういう無限に広がる繋がりを、感情的にも、肉体的にも感じさせてくれる最小単位が、親戚なんだろう。


僕達はそこで自分達を鍛えたらいい。引力をきちんとみつめ、感情と肉体の力を借りて、噴射の力を身につけなきゃいけない。そして少なくとも精神を、無限に広がる繋がりの中へ飛ばす努力をし続けなきゃいけない。



「たのちかった」

という声を未来でもっとたくさん聞けるように。



つづく

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