FC2ブログ

Leo Ashizawaの「元気でやってるよ。」「元気でやってけよ。」

自分がやりたいことを少しでも伝えるには、自分自身の中でそれなりに土台が必要です。僕の土台はこのメッセージ。これまでお世話になった人へ。これからお世話になるであろう人へ。ロンドンで活動する役者、Leo Ashizawaからの便り。

地球は回っている 完

②のつづき

9月の中旬から数日に渡って、親戚と十分過ぎるほど濃密な時間を過ごした僕は、それ以降の時間を友達と過ごした。

Facebookをご覧頂いている皆さんならわかるかもしれないけれど、ひたすら飲み歩いていた。


昼に会った人たちとランチをしながら飲む(最近は日本も昼から飲めるところが増えてきた!)。
そして夕方からまた別の人たちとディーナーを食べながら飲む。
さらに天辺くらいから別の人たちとバーでしっぽり飲む。
そして、朝日が昇る前に床に着くという日々を続けていた。

久しぶりに会ってくれる友達がいるのは嬉しい限りだが、彼らは一晩の深酒で翌日少し苦しんだ後に、日常に戻る。

僕の場合は、それが毎日続く。そしてそんなことを連日続けると、僕の身体の関節の隙間から「ヴー、ヴー」と風が通り抜けるような音が聞こえてくる。


なんて言ったものの、そういう友達と一緒に居る空間は非常に心地良く。


連日そういう飲みが続くとパターンがあることに気がつく。
最初は、酒がないと話せないようなことをいわゆる「語り合う」ことからはじまる。


昔はこういう話をするには、サッカーボールでも蹴りながらでないと話せなかった。
今はサッカーボールの代わりに酒を口に運びながら語る。


そんな話も長く続くわけは無く、誰とはなく自然と言葉を何気なく空中に放り投げ、ヒラヒラ降りてくる言葉達を
誰かが打ち返したり、丁寧に拾ったり、そのまま黙ってみんなで地面に着地するのをみたりする。そんな時間が続く。


そんな時間が交互に訪れ、一晩が過ぎていく。


これがパターンだ。パターン化された出来事は、深層心理にまで届き、落ち着きに変換され、無意識上の羅針盤に追加される。おそらく僕がそういうパターンを求めているのかもしれない。


ところで、そんな素敵な友達の中でわざわざ福岡から会いに来てくれたDさんがいた。
Dさんはバイト時代の友達だ。
月曜日が祝日だったから、日曜日に到着し、みんなで飲んだ後、翌日帰るという福岡から1泊2日で飲みに来る強硬な予定を組んでくれた。


「わざわざありがとうね。」
「ええんよ、ええんよ。他のみんなにも会えたしね。」
「そういえば、Dさんは明日何してるん?」
「いや、起きてゆっくりして帰るだけよ」
「そうなんや、ほんなら観光一緒にせーへん?」


思ったことが口にでる僕だ。別に深い意味もなく誘ってみた。


イギリスに住んでいると日本に住んでいた頃には気づかなかった日本の美しさに目を奪われる。

だから僕は、日本に帰ったら行きたい場所をリストアップしていて、帰国した際には一つくらいは訪れるようにしている。
そのリストの中に談山神社があった。


さらにリストとは別にお気に入りの場所だってある。
帰国したらほぼ必ず訪れる加茂川の源流を祭っている京都にある寺院だ。

『時代の風』という素晴らしい対談集でチラッと名前が挙げられる寺院で、興味をもって訪れてから、帰国の際には毎回訪れるようにしている。

日本に住んでいる頃は、奈良の石舞台も息抜きがてらに日帰りでよく行った。


Mと二人乗りの自転車で(ごめんなさい!)石舞台に行き、咲き誇る彼岸花に囲まれながら能舞台を見たのもこの時期だったことを思い出したし、Mが驚くほど蚊にかまれて、人は蚊にかまれると腫れが引くのにそんなに時間がかかるのかと驚いたのも人生で初めてだったことも思い出したし、(僕は蚊にかまれても1,2時間もかからず腫れがなくなる。)

少しずつ記憶の糸を辿ることで、季節もちょうど今頃だったのも思い出した。彼岸花が咲くんだからそうだろう。
だから、今回帰国した際には久しぶりに石舞台に行ってみようと思っていたら、実はこの談山神社が、グーグルマップによると石舞台からそう遠くないことがわかった。


これは、「呼ばれている・・・。」


だから、僕はどちらにせよこの祝日の日曜日に、石舞台経由の談山神社に行くつもりだった。


「石舞台?行ったことないわ。いいかもね。そんなんも。」


Dさんは、思考する時右手で顎をさわる。一緒にバイトをしていたころからそうだった。僕の知りうる人物の中で、目の前の出来事に対して彼ほど思慮深い人はいない。
駅が河童そのものである田主丸(気になる人は調べてみて。)という地域出身で、あだ名も河童だった。思慮深いにも関わらず悪意のないイタズラが非常に好きだった。そういうところは確かにどことなく似ていないこともない・・・河童に。


僕の話を聞いている時も微かに右手で顎を触っていた。頭頂部の皿がキランと光る。


「せっかくだから、Sも呼んでみますよ。」


Sは高校時代からの無二の親友だ。非常に頭の回転が早く、口も異常に達者だ。努めている会社で営業売り上げ日本一になったほど・・・達者だ。面白おかしく物事を話せるし、高校時代のサッカー部仲間が集まると、Sはまるで居酒屋のテーブルの上に立ち、飛び交うみんなの言葉を変幻自在、巧みに打ち返し笑いをうむ。


「おー、いいねぇ!高砂くん。」

Dさんの手が顎から離れた。良い兆候だ。


「でもなぁ、S(もう一人のS)は都合がつかないんですよね。残念だ。4人揃ったら合宿再開だったのに」


もう一人のSも高校時代からの無二の親友で、同じく役者だ。このSがサッカー部ではキャプテンで、もう一人のSが副キャプテン、僕はというと万年補欠だった(笑)D、S、Sと僕はしばらくの期間バイトで一緒に働いていたことがあり、僕がMと出会って初めての頃、「Mプロジェクト」という誕生日サプライズを手伝ってもらった頃から何かあると企画を手伝ってもらっていた。


合宿再開と言うのは、Mと僕の結婚式をMの実家の裏山(ドラえもんもビックリの)で実施するのに設営を手伝ってもらうため、DさんとSとSの三人にMの実家に数日泊り込んでもらったのだ。
相当な田舎なので、特に都会育ちのSとSと僕は、朝一番の美味しい空気を肺いっぱいに入れ込み意気揚々だった。


実際の設営はMのお父さんが、意気込みとは別にまったく役に立たない僕らに指示を出してくれていた。キャプテンの方のSと僕は、舞台装置のタタキをしたりこういうDIY的なことには慣れていたし、Dさんは、思慮深さが色んなところにも生きていたので、ブレインとしてよく機能していた。
しかし副キャプテンの方のSは、特にこういうことが得意というわけではなく、手持ち無沙汰になることも多かったので、お父さんに言われ、高砂の設営を手伝っていた。その設営の間にどんな出来事が起きたのかは定かではないが、それ以降、Mのお父さんは、Sのことを「高砂君」と呼ぶようになった。


僕らは、隠れて爆笑していた。ちなみに「S」は苗字のイニシャルだ。だから彼の苗字は、高砂からは程遠い。


「じゃぁ、聞いてみてよ。高砂君に。でも、オレがいることはあえて言わないでね。」
Dさんはニヤっと笑った。


僕は、すぐに高砂君に電話をした。そして、あえてDさんが一緒に行く事は伏せて石舞台に行かないかという話をした。
快諾を得て翌日天王寺の駅で11時頃に待ち合わせすることにした。Dさんのイタズラ癖がひょっこり顔を出した。


明日は明日の風が吹く。結局その日も深くまで酒を飲んで、美味しい塩ラーメンを食べて、帰宅の途についた。


談山神社



翌日、僕は少し送れて天王寺駅に到着したら、Dさんと高砂君はすでに合流していた。



Dさんは、待ち合わせ場所で待っている高砂君の前をあえて何度も歩いて通り過ぎたのだが、まったく気づかれなかったので、痺れをきらして話しかけたらしい。イタズラがうまく行かなかったときのDさんは、とっても悔しそうだ。


こうやって日本で友達と観光にでかけるなんて、大学生ぶりではないかというくらいウキウキした。


僕は乗り換え案内で前もって乗る電車を調べていたので、最寄り駅までの特急券を買い、30分ほど時間があったので、どこかでビールを飲もうと周辺を散策した。たこやき屋をみつけ、ソースはつけずに、素で食べる。たこ焼きはそれが一番美味しい。そこでビールを飲みながらたこやきを摘んだ。そこでDさんがボソッとつぶやいた。


「まさか、こんな形で先祖参りできるとは思わなかったわ。」

「先祖参り?」


僕はいまいち意味がわからなかったので普通に聞き返した。


「ゲームの信長の野望とかやったことある?」
僕と高砂君はうなづく


「龍造寺って出てくるでしょ?その当主をうちの蔵でかくまったところから、うちの一族は始まったんだよね。」
確かにDさんの苗字は蔵にまつわるし、珍しい。


「で、龍造寺家の先祖を辿ると中臣鎌足なんだよね。」

「談山神社やんっ。」
高砂君が興奮している。僕は何のことだかわからない。


「談山神社って、中臣鎌足と中大兄皇子が大化の改新を相談したことから着いた名前やで。二人で蹴鞠して仲良くなったらしいで。サッカー繋がりやで。」

高砂君は、学生時代から日本史の造詣が深い。別にこの談山神社もわざわざ調べて情報では無くて、学生時代からの知識がまだ頭の引き出しの中に納まっているのだ。高砂君から聞く日本の民族史だったり、幕末の話は非常におもしろい。

僕は、学生時代世界史を専攻していたので日本史に関しての知識は、非常に薄い。今になって僕は世界史だけを専攻したことを少し後悔している。今になって日本の勉強をしてもやはり、学生時代の頃に集中力には叶わず、知識が頭にこびりつきにくい。


「そうなんだよね。談山神社には中臣鎌足を祭っている本殿があるから、先祖参りになんねんな。」


たこ焼きとビールは最高の組み合わせの上に、なんだか僕の知らない心躍る話がいっそうビールを飲むスピードに拍車をかける。

Dさんは残念ながら、福岡についた後に車を運転しないといけないのでビールを飲めない。
そんなDさんに遠慮せず高砂君と僕は二本目のビールに手をつけた。


30分と言う時間を十分に満喫し、コンビニでまたビールと肴を買い、電車に乗り込む。
二人座りのシートを昔ながらの方法でぐるりと回し、向かい合わせにして、到着までの間、酒盛りだ。とはいえ、
30分もすれば着く。
電車がゆっくりと進みだし、周りを見渡しても、この車両に僕ら以外に乗客はいない。電車は
3両編成くらいのものなのに。車両の入り口付近の電光掲示板に、停車駅が表示される。


気に入ってよく食べていた、たらこ味のじゃがりこをつまみながら、またビールを口に運ぶ。
窓からの景色に山があり、谷がある。山を見ると、僕は日本に帰ってきたという気がする。


「ところで、石舞台までの行き方とか調べてるん?」
高砂君からの素朴な質問だ。


「いつも自転車借りて行っとったし、駅降りたら思い出すわ。」


久しぶりに会った三人で会話をしていると30分程度の時間はあっという間に過ぎ、目的地の橿原神宮前に到着した。
駅に着いた瞬間僕は非常に驚いた。僕の記憶の中では、駅の周りはまったく栄えていなかったはずだ。


「え?マジでここ?」
僕はきょとんとする。


「せやで、俺仕事で時々くるけど、橿原神宮前って栄えてんで。」
高砂君は普通に言う。


「悪い、俺全然わからん。駅間違えたかも。こんなに栄えてなかったもん。もう10年以上前やから駅前もだいぶ変わったかな?」
「いやいや、ここはずっと昔からベッドタウンやで。んな、変わってないよ。」
「そっか、まぁ、わからんから、とりあえず、どっかでチャリ借りよう。」


僕らは駅を出て、駅のすぐ横にあるレンタル自転車屋さんに向かったが、そこは返却時間や場所が僕らの都合に合わなかったので、そこのおじさんが教えてくれた別のレンタル自転車屋さんに向かった。

ドアや扉的なものはまったくないマンションの駐車場的なところの机で、テレビで野球を見ながら難しそうなおばちゃんがオムライスを食べている。


「おばちゃん、そのオムライスめっさ旨そうやね。ごめんね、メシ食ってるところ邪魔して。」
言葉の巧み高砂君が、これ以上ない最上の台詞で話しかける。さっそく難しそうなおばちゃんの顔がほころぶ。


「お、自転車借りたいんかい?」
「そうそうお願いします。」


まだ少ししか手をつけていないケチャップオムライスを机の上に置いて、僕らに石舞台までの行き方、それに自転車で談山神社まではいけないことを雑に説明してくれた。
しかも談山神社へのバスは、違う路線の駅からしか出ていないという絶望的な情報をくれた。一番オススメの手段は、「石舞台にある支店で自転車を返却して、そこからバスにのって、談山神社行きのバスが出ている駅まで行って、そこからさらにバスに乗って、談山神社に行く。」ということを教えてくれた。


僕らもまぁ、それしか手段はないだろうし、あまり色んな事を今考えたって予定通りに行くわけないからということで、とりあえず自転車を借りて石舞台に向かうことにした。道は自転車に乗っていれば思い出すだろう。

僕は一番に自転車を選びさっと調整し、自転車にまたがった。高砂君は最後に自転車に乗ったのがいつか思い出せないといいながらそれでも高校時代に一緒に自転車通学していた自転車小僧っぷりを発揮し、準備万端だが、Dさんは最後までサドルの調整をしていて、なかなか出発の準備が整わない。Dさんは目の前の出来事に非常に思慮深いのだ。


自転車を借りよう


必然的に僕を先頭にし、次に高砂君、しんがりに頼りになる
Dさんを置く隊列になり、僕らはママチャリに乗って出発した。


数分乗るとすでに都会的風景は姿を消し、日本家屋や少し古めのマンションなど、時代を漂わせる景色が広がる。そこからさらに少し行くと、小さな山が見え始めその前には田園風景が広がる。季節はばっちりのお彼岸で彼岸花が田んぼの淵を囲うように真っ赤に咲き誇っている。
その辺りまで自転車で約15分ほどだ。


高砂君は、尋常じゃないほどの汗をかいている。
「俺ヤバイ。あかん、もう金で解決しようや。」
疲れていても高砂君は言葉が達者だ。金で解決しようとは、タクシーに乗ろうという意味だ。


さらにその後ろの方に、膝がハンドルに触れそうなほど、不恰好な形で自転車をこいでいるDさんが居た。


「Dさん、自転車の乗り方しらんの?それサドル低すぎるで。」
ゼーゼー息を切らせたDさんは僕らに追いつき、一言言った。


「わかっとるけん。」
それから、目の前の状況を思慮深く時間をとり、見つめて言った。


「調整できんのよ。」
そういって、自転車を止めもう一度、サドルを調整しはじめた。


「ほんならちょっと休憩しましょか。」
普段から自転車に乗っている僕は、汗一つかいていない。こんなのは余裕だ。
Dさんはサドルを調整しはじめ、僕らはタバコを吸っていた。


「高砂、ちょっとさー、あの山と田んぼと彼岸花バックに写真撮ってや。」
「おー、ええぞ。俺の構成ええで。」


彼岸花と田んぼ



写真も撮り終えそろそろ出発しようかという雰囲気になってもDさんはまだサドルを目の前にして、右手を顎にあてている。思慮のDを発動中だ。


「Dさん、サドルまだあかんの。」
「うん、動かないねんな。」
「そうなん?ちょっと馬力で行ってみたら?」と高砂君。
「そう?」とDさん。



Dさんは、右手を顎から離し、右手でサドルの前部、左手で後部を持ち、「えいっ」とサドルを引っ張った。
すると、サドルだけが引っこ抜けて、自転車と連結してる棒の部分は、残っている。


「え?」とDさん


「ん?」と高砂君


「ぎゃはははは。」と僕。


「ヤバイやん、膝がサドルにあたるより、棒がケツに刺さった状態でチャリ乗る方がヤバイやん。」
口達者の高砂君と、思慮深いDさんにセッカチな僕が三人寄れば文殊の知恵を使った結果がこれだ。
知恵を使ったというか、D―(引く)高砂―(引く)僕=マイナスという方程式なだけだと思うけど。


「ちょっと乗ってみてよ、Dさん。」と高砂君。


Dさんは、乗せられて、文字通り乗ってみる。乗るったって、棒に乗るだけだ。自転車をまたぎ、ペダルに両足を乗せ、ゆっくりと丁寧にケツを棒の上に持っていく。真ん中に持っていくと大変なことになるので、少しずらして乗ってみる。


「あかん。」とDさん


「いや、そりゃあかんやろ。」
僕と高砂君の声がハモった。


「Dさん、もう立ち漕ぎでよろしく。」
「膝がハンドルにつくより立ち漕ぎの方がマシやで。」
僕と高砂君は腹を抱えながら笑って人の不幸を楽しんだ。


結局、Dさんは何とかサドルを棒にもう一度合体させて、立ち漕ぎするより、膝をハンドルにすりながら運転することを選んだ。それから、僕らはさらにゆっくりのペースで僕は景色を楽しみながら、高砂君とDさんは、前だけ向いて必死で汗をかきながら石舞台へ向かった。


自転車のサドルを調整しよう



石舞台は観光客でごった返しで、僕が昔よく来ていた頃の心をクレンズするような洗練された空気と神々しさ、大地から湧き上がるエネルギーのようなものが霞んでしまっていた。石舞台の近くにある段々畑の田園風景を見ながら感動していた僕を尻目にDさんは、「やっぱ都会の人はこういうのがいいんやね。俺の家の周りは今だにこんなんよ。」と言っていた。


世界は自分が精神的に立っている場所でこうも違って見えるんだ。


最終的に僕らは大人のパワーを使ってタクシーで石舞台から談山神社へ向かった。タクシーでたった15分程度だった。でも山を一つ越えるので、さすがにママチャリでは厳しいのは確かだった。
談山神社は、時期はずれだったこともあって(紅葉が有名だ)、石舞台とは対照的に、洗練された空気と神々しさ、大地から湧き上がるエネルギーのようなものが蔓延していた。
ひっそりとした山の中に壮大に塔が立ち、沈黙が音となって聞こえそうな木々が誇り高く天を貫いていた。



天を突く



45分ほどかけて、神社の裏にあるDさんのご先祖、中臣鎌足を祭った社と山を参拝した。高砂君はあまりにも長く続く山道と高低差に「これは金ではどーしょーもないな!」と天丼的なまくしたてで僕らに笑いを生んで、その場に座り込んだ。僕らに向かって手を振った。「ここで待っているという合図だ。」


『法隆寺に向かうなら、ひとつ前の駅にで降りて、そこから歩いて法隆寺に向かうほうが、より深く、真に法隆寺を知ることができる』


という言葉を何かで読んだことがある。


社と山までの道は杉の木に囲まれた一本道で、木が風に揺れる音、踏みしめる足が枝を折る音、さえずる鳥の声、いわゆる「人の気配(ひとのけ)」ではない「ものの気配(もののけ)」に包まれていた。その道を黙々と30分ほど歩いていると、その歩く距離、時間が、社と山に真に対面するにふさわしい精神状態を生み出してくれる。
高砂君が面白おかしく表現してくれたが、その道を短縮する手段は、存在しない。でも、絶対的に僕の身体が、精神が、その30分ほどの時間を必要としていたことを理解している。


「何故だろう?」僕は自分に問いかける。


すると、自分の身体を媒体として語りかけてくる声が聞こえる。


「なぜながらその短縮できない時間こそが、本来、世界と君とが手を繋いで一緒に歩むことができる真の時間だからだ。」


僕らは、この社会で「忙しく」生きている。生命活動に必要不可欠な行為の時間を短縮し、できるだけ開いた時間を生み出そうとする。そして、その空いた時間を上手に使うことができずにいる。


部屋の掃除を他人やロボットに任せて、料理をせずに、食べさせてもらうだけで、皿洗いすら機会に任せる。
A地点からB地点へ精神的にも肉体的にも到達する時間を加速させ、残りの時間をただ、ボーっとテレビを見たり、何かにエンターテイメントされることで埋めていくのにいったいどんな哲学があるっていうんだろう。


そんな危機感は、寺島修二の戯曲「毛皮のマリー」で50年も前に代理人という言葉で警鐘されている。けれど、僕らはこの延長線上にどんどん進みつつある。


「時間とは、命だ。」と僕の先輩が言った。


「人生とはいったいなんなんだろう。」という幼い頃に誰も必ず一度は考えたことがある素朴な疑問は、僕らみんなもつ源泉を起源とした内部から吹き出す創造力と創造力の欠片だった。にもかかわらず、主観的な確固たる回答をもたないまま大人になり、そして外部からの刺激で内部を満たし、内部に存在する間欠泉にいつの間にか蓋ができていることすら、気づきもしない。


もう一度問いても良いんじゃないか。


「あなたにとって、時間とは何ですか?」
「あなたにとって、なぜ時間が必要なのですか?」


僕らはどこへいくのだろう



目をつぶり、自分がだだっ広い草原に立っているのを想像する。自分の目の前に少し歩き易くなっている獣道一本辛うじてみえる以外、あたり一面ただ草原が広がるだけで何も見えない。


僕はゆっくりとゆっくりと足を踏みしめて、その獣道を前に進む。


その先には必ず何かがあるということがわかっている。


右足を踏み出す。右膝に草原を踏みしめた反動を感じる。必然的に左腕が前に出る。その左腕は空気を切り前に出ていることを感じる。そのまま左足が前に出て、足の裏で小さな枝を踏んだことを背中で感じる。その勢いで右手が少し吹く風に押し戻されながら一生懸命前に出る。そうやって、この細い獣道を歩いていく。



僕はつぶやく。
「こうやって歩いていけば、この先に何かがあるはずだ。」



するとどこかから声が聞こえる。
「世界は生き物だから、ある場所のある時間にしかあるものは存在しない。そこへ早く辿り着きすぎても、そのものに出会う事はできないし、遅く過ぎても出会う事はできない。」



「じゃぁ、どうすれ」まで僕の口から音がもれたが、その後は、続ける必要がなかった。



地球に受けた生命は、世界を産み落とし、さらに生命を育んだ。


その鼓動は同じリズムを刻んでいる。僕らの時間はそこから単に派生したものだ。逸脱する先に正しい未来は見えようもない。事実として知っていて、身体や精神で感じることができないはずだと思っているかもしれない。


忘れないことが始まりでもある。例えメタファーとしてでも構わない。



「地球は回っている。」




それがメタファーであったとしても構わない





僕は元気でやってるよ。元気でやってけよ。





0 Comments

Add your comment